私の読む「源氏物語」ー57-鈴虫
講師の僧は大変位の高い高僧で、まず始めに供養の趣旨を仏に報告してから更に続けて、朱雀院の三宮が、今を盛りに若くて美しく勝れた容姿の方であるのに、この世を避け離れて出家され、夫の源氏との永劫に切れるはずがない縁を、法華経で結び変えなさる、尊く志の深いことを、 法会や修法を行う時、その趣旨を三宝および大衆に告白する表白の文中に現して、当代に才学も勝れ豊かな弁舌を心から述べるのが大変尊く聞こえ、参集の人皆がそれを聞いて感涙を流すのである。この持仏開眼供養は、ほんの内々で、目立たずに、「三宮の御念誦堂開き」と源氏は考えていたのであったが、みかども、山籠もりの朱雀院にもこの行事を知り、それぞれ御誦経(布施)の使者が来邸した。それで御読経料としての布施などは狭いところに更に増えて、とうとう内々の開眼供養が、大袈裟な会となってしまった。
六条院に準備されたのは、源氏は、「簡素に」と、考えていて世間並でないのであったのに、その上に、帝や朱雀院から、沢山の布施などが加わったので、供養が終った日暮には仮の寺には置き所も無さそうな程まで、布施や捧物などを頂戴したので、いかにも豪勢になって、僧達は
充分な布施を得て帰って行った。
三宮の出家のことが源氏は今となって、不憫に思う気持ちが加わって、彼女をこの上もなく大切に世話をした。
朱雀院は娘の三宮が自分が彼女に譲り渡したこの三条邸に、源氏と別々に離れて住むことになり、結局のなり行きで人目に悪いことになる、と源氏に注意するのであるが、源氏は、
「別々の住いでは、私は気がかりに思っています。一緒にいて、毎日御世話し、話を交わし私の気持ちは変わってはいません。なる程、古今集の歌に平貞文が言うように、「ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな」(いつまでも生きていられない命の尽きるのを待つわずかの間だけでも、つらいことを多く味わわずにいたいものだ)世に、どれ程も、存命しているはずはないと思うけれども、三宮には生きている限り御世話しようと思う、私の気持を無くしてしまいたくないと思っています」
と朱雀院に答え、三条邸を念入りに綺麗に修理をし、三宮の領地からあがる収入などや、国々にある三宮私有の、荘園や牧場などからの貢物などで、目立つ物は三条邸の蔵にしまい込むように命じた。三宮は二品であるから六百戸当てられるのであるが内親王は半分であるから
三百戸与えられた。
源氏は更に蔵を建て増しして、朱雀院の形見の御譲りとして、無数に三宮に御下賜なされた物など、全部三条邸に運んで、源氏は念を入れて厳重に処理しておいた。そうしておいて、三宮の毎日の世話や、奉仕する大勢の女房の事などや、上から下までの奉仕者の生活費は、一切源氏は、自分の負担として全て自分の費用で三宮を世話することにして、そう決めておいて、急いで三条宮の手入れをさせた。
秋になって三宮の住居の寝殿と西の対を連ねた西の渡り廊下の前の中の塀の東寄りの側、寝殿と西の対との間の板塀を、西の渡殿に対して直角(南北)に立っているものの東端を一様に、源氏は野べの趣につくり、簀子に仏に奉る御水や御花の棚などを作って、住いを、その仏に奉仕する方向に、敢えて設えた設備などは、
奥ゆかしくしみじみした趣がある。三宮と同時に出家して御弟子になろうと三宮を慕う尼達や、乳母や、老女房達は、出家は当然のことであるが、若い女房も出家の決心がきまっていて、尼生活をしてたしかに一生を終る事の決意の固い者だけを、三宮が、選択して尼にさせたのであった。三宮に従って出家しようとする者の中には本当に決心しているのではなくて、我も我もと出家をしたいと競り合うけれども、源氏がそのことを聞いて、
「出家はまかりならん。真の心から出家するのでない人が、小人数でも交ってしまうと、修行の妨げとなり、傍の人が迷惑をし、尼としては軽々しくうわついた評判が出て来るものである」
と戒めたので、十余人ばかりの女房は尼とはならずに三宮の側に仕えることにした。
源氏は新たに野原のようにこしらえた庭に蟲を放ち、風が涼しくなる夕暮れには、三宮の部屋に来ては、虫の音を聞くようにして、なおも三宮を思い切れないと、三宮に言っては彼女を苦しめるので、三宮は、源氏の女を求める癖は、現在、自分が尼となった身であるので、男と共にいること自体があってはいけない事であると、ただ一途に面倒な事と思っていた。源氏は人目には昔通りの三宮を世話していると見せてはいるが、内心は、柏木とのつらい事を知っていることははっきりしているので、今では三宮を迎えた頃より比較すると、この上なく変ってしまった源氏の心に対して、三宮はそのことを主な原因として考えて、尼になって俗世間から離れたのであるからは、源氏とは現在では、関係が離れて気楽であるはずであるのに、まだやっぱり、このように、むつかしい煩わしい事などを言われるのが、つらくて、源氏から離れて三条宮に住みたいものであると、三宮は、敢えて考えるのであるが、そんな事を、大人ぶって、強いて源氏に言うことが出来ないのであった。
十五夜の月がまだ空に現れない夕暮れに、三宮は仏壇の前の簀の子に近い廂の間にいて、庭を見つめ、心に念じながら口に仏名とか経文を唱える念誦をしていた。若い尼が二三人仏の花を持ってきて閼伽杯を、からからと音を立てて洗い、花を入れ、水を挿す音など、俗人の世界とは少し違った仕事に、忙しくしている所に源氏がやってきて、
「虫が盛んに鳴いているようだね」
と、自分もこっそりと念誦をする阿弥陀仏の陀羅尼は、大層尊く、三宮や若い尼達にもかすかに聞えてくる。虫が盛んに鳴いていると、源氏が言うとおりなる程、色々の虫の声々の聞える中で、鈴虫の鳴き出すと庭は花やかで面白くなった。源氏は、秋の虫の鳴く声は沢山あるが中でも松虫の音が一番だ、とかって、秋好中宮のために人を遣わして遠方の野原を踏み分けて歩き廻り、よく鳴くのをわざわざ捜し集め、秋好中宮の住む六条院の西南の一区割の庭に放した松虫は、野原なんかよりも、もっと良く鳴くべきなのに、今は、良く鳴き続けているものは少い。
そのような訳で源氏は、松虫と言えば、命が長くあるべきものをその名と違ってはかない蟲であると、思い。松虫は人も行かない奥山、はるか遠くの松原に鳴き続ける虫であるから、この庭に来て鳴かぬのはいかにも隔心のある虫である。そこへいくと鈴虫は気軽で、賑やかに鳴くのがいかにも今の人に請ける蟲である。
と言うようなことを言うと、三宮は
おほかたの秋をば憂しと知りにしを
ふり捨てがたき鈴虫の声(毎年の秋を、私はつらいものと覚悟しておりまするけれども、聞き捨てかねる鈴虫の声である)
ひそかに詠う、源氏が私を飽き(秋)なされたと知ってしまったと、恨む心で言っているのであるが、艶っぽく美しくて、上品でおうような歌である。
「なんと言われれます、「秋をば憂し」などとは、いかにも意外な詠い方である」
心もて草の宿りを厭へども
なほ鈴虫の声ぞふりせぬ
作品名:私の読む「源氏物語」ー57-鈴虫 作家名:陽高慈雨