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私の読む「源氏物語」ー57-鈴虫

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鈴 虫

 夏ごろ、六条院の池の蓮の花が、浄土の八功徳池を見るように盛りの時に、源氏は自分の正妻として兄の朱雀院の三宮を預かったのであるが、柏木との不義が源氏の耳に入り、薫が生まれ、そのため出家した入道姫となった三宮のために、持仏として常に身近に捧持する御仏をかねてから源氏が造らせていたのが完成して、三宮は開眼供養をすることにした。今回は念誦堂を建立しようと、源氏の発願で、あらかじめ御念誦堂用の設備品としての道具などで、何から何までこまごまと調製されてあったのを、そのまま用いて、今回の供養の飾りつけとした。持仏堂は、持仏や祖先の位牌を安置する所で、仏壇に当る。また祠堂とも言う。念誦堂は、念誦、即ち心に仏を念じ、口に経を読む行を修するための堂を言う。一室でも別棟でも堂と言う。仏前に懸げる幡の様子などは心が引かれる唐国から渡来した錦の布を選んで縫製した。幡(ばん)は、「はた」とも言う垂れ絹で、堂の中又は、柱に懸けたり、天蓋の端にも懸ける。これに触れると、滅罪の功徳があるという信仰がある。この幡を造るのに紫の上が尽力をした。花籠や花瓶を載せる花机の覆いなどの、趣のある見事な鹿の子絞りのまだらも親しみ深く、
美しい色つやの模様も目新しい物であった。三宮の持仏堂としての正式なものはまだ出来ていないので代りとして、彼女の夜の御帳台を代用して、垂れてある絹を、四面ともまくりあげて、仏の後方に、法華曼荼羅の掛物を御掛け申して、仏前には白金の花瓶に丈が高く大きな。蓮の花の、紅白の色をよく揃えて供え、仏前に焚く香に、唐風による調製の百歩の香や、薫衣香を焚くようにした。阿弥陀仏と、その脇立ちの菩薩(左は観世音、右は勢至)は白檀で造られているが、大層小さく小柄で可愛らしい御仏である。
仏の水を入れる閼伽の器は目立て小さく、青、白、紫の蓮の花に作って供え、
蓮の葉である荷葉の香の方法を、調合に用いた名香は、蜂蜜を、目立たぬように少し加えて、ぼろぼろと脆くして焚いた匂が空薫きの匂い、仏壇の薫り、女房や上達部の衣装に薫きこめた匂いが混じり合って心が引かれる。
 法華経め経文は、六道に迷っているもろもろの生類のために、六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上を言う、
三宮は六部を筆写させて、三宮の経は源氏が自分で筆写した。せめて、この、源氏の自筆の写経だけでも、源氏と女三宮夫婦の現世の縁繋ぎにして、来世には、互に極楽浄土で出会いましょうとの意味を源氏は願文として作文した。
それからは又、阿弥陀経も、
唐国から渡来した紙は脆いので三宮の朝夕の手習いに、
合わないであろうと、紙屋を召して細かな指示を出して紙を漉かせた。この春頃から持仏開眼の供養の日までにしっかりと心を込めて、急いで三宮に写経をさせた甲斐があって、三宮の手書きの経巻の片はしを見る人達は、誰もが美しい書体に目を見張ってみるのであった。罫線に引いた金泥の線よりも、墨色の調子が料紙の上に輝いている筆蹟なども全く珍しい書体であった。その上軸、包装表紙と、経巻を入れる箱など、もう説明する必要はないであろう。阿弥陀経は源氏自筆のものであるので、特別に沈香木の花足の机の上に置いて、阿弥陀仏と、同一の帳台上に、飾るようにした。
 三宮の御帳台を持仏堂と見立てたので
飾りも終わり、法会の時、高座に登って仏典の講説をする講師の僧、
僧達及ぴ読経しながら仏前をまるく廻り歩く行道の公卿殿上人がが参上し、集合したので、源氏も寝殿の南廂の西の放出、即ち女三宮の、今日の供養の席に着こうと母屋の西廂の間に、顔を出して覗いてみると、狭い感じのする臨時の設備で窮屈そうで、暑苦しいほど正装した女房が五六十人集まっていた。はいきれない女童達が北の廂の簀子の上にうろうろしていた。火取香炉など沢山置いて、その辺に薫りを吹き撒こうと扇であおがせるのでその薫香の煙でむせかえりそうである。源氏は側によって、
「から焚き物は香炉を見せないようにするものだよ」
 と焚いている所が分からないようにするのがよいものだのに、ところがこのように富士山の噴煙以上に、煙がたちこめているのは、感心しない。
 また、講師の説法の時は、この騒がしいのを静かにして心を静めてゆっくりとした気分で聞くもので無遠慮な衣ずれの音や、立ったり座ったりするときには特に気をつけて静かにするように、とまだ若い三宮の女房達に注意を付け加えた。三宮は、集った多数の人のけはいに押されてか小さくなって変な格好で物に寄りかかってひれ伏していた。
「薫がここにいてはむさ苦しいであろう。供養の儀式の間は何処かで面倒を見てやんなさい」
 と乳母に言う。
 母屋の北側の襖も取り払って聴聞所として御簾を懸け巡らし、女房達をそこに入れた。
 三宮にも源氏は本日の行事の細かなことを教え。今日の会場に提供した三宮の居間を気の毒そうに見ていた。
三宮が、夜の御座(御張台)を持仏堂としてあけた仏の設備を見回して、柏木の事件がなければ三宮も出家はしなかったのに、など色々と感慨に耽っていた。
「このような仏事供養を三宮が催すのを、私は、貴女とともに慌てて開催するとは考えても見なかった事で、貴女は私が亡くなった後にこそ仏の道へ進まれるとばかり思っていましたのに」
と三宮に言って涙をこぼすのであった。

蓮葉を同じ台と契りおきて
   露の分かるる今日ぞ悲しき
(蓮の葉を貴女と一緒に住むうてなであるとし、一蓮託生と来世を約束しておいて、夫婦の契りもなくて別れている現在がいかにも、私は悲しい)

 硯を取り寄せて三宮の尼用の黄色を帯びた薄紅色の扇に書き付けた。三宮は、

隔てなく蓮の宿を契りても
    君が心や住まじとすらむ
(隔心なく睦しく、おなじうてな云々と、一蓮託生を、私に御約束なされても、貴方の心は、私と一緒に住むまいとしておいででしょう)

 と同じ扇に書き込んだので源氏は、
「 (「住まじとすらん」などと言って、私が「おなじうてな云々」と)申した甲斐もなく、私を、思いけなしなさるよ」
 と源氏は笑っているが内心は、今までの三宮に対する自分の態度などを反省して、しみじみと感慨無量であるようであった。源氏の心の中には墨染めの尼衣装の三宮が魅力的に見え男心をそそっていたことは疑いもない。  例によって親王達も多く出席した。紫や花散る里、源氏の外の夫人達からも競い合って出された仏前への供物のは、それぞれ趣向があり格別で、あたりが狭い程、数多く飾られてある。七僧への布施とするなど、大概の大切な布施などは、どれもこれも皆、紫上がすべて女房達に指示して準備した物である。どれも綾織りの色々な模様を織り出した絹の仕立てで、何でもないようであるが、袈裟の縫い目までも、縫方などを見てわかる人は「名人の縫い方である」
 と褒めていた。袈裟の縫い目まで批評するとは、細かいことまで女達はうるさいことにいろいろと言うことである。