私の読む「源氏物語」ー56-横笛
それでも上品で、体の色は白く背のたけはすらりと高く、木質の白い柳の木を削って作った人形のようである。頭の髪の毛は、露草で特別に彩色した藍色の濃い「みどり」色であるかのよう見え、そうして、唇は可愛らしく紅色に濡れてつやつやとしており、目の様子は心がゆったりとしている穏和な目で、はたの見る目も、きまり悪い程、香気が周囲に漂っているように感じる、その姿を見て源氏は柏木を思い出すが、柏木は薫のように人より勝れた綺麗さは、無かったように思うが、薫の綺麗さはどうしてなのだろうか。母親の三宮にも似ないで幼少の今から気品高く、堂々と貫禄を持ち、美しい様子が格別な薫の風格は、源氏の鏡に写る面影に比較しても、似てないこともないと、敢えて自然にそう思って見ていた。薫はまだ数歩しか歩けない。目の前にある不思議な罍子に目をとめて、なにが盛りつけてあるかも知らずにいきなり気ぜわしく筍を散らかして、それを手にとって食ったり、荒々しく罍子から投げ捨てたりなどするので、源氏はその姿を見て、
「ああ、無作法な。早く筍を取りかたづけよ。薫は、食べ物に意地きたないと、悪口を言う女房等が言いふらすことよ」と言って笑い、薫を抱きかかえる、
「薫の目もとが、何となしに曰くありげだなあ。小さな稚児を沢山見たからであろうか、こんな事は、子供っぽく無邪気なものであるとばかり見てはいたけれども、この薫は少し様子が違うようで、心配である 。明石女御の姫宮達のいるような近所に、この薫のように綺麗なのが側にいては姫達の成人するのに柏木のように心労で面倒な事件が、姫宮達にも、薫にも、どなたのためにもあることであろう。考えて見れば自分は、孫であるその姫宮達と薫とがそれぞれ成人するのを、見届るまでは存命していまい、それぞれ花が咲くような人生の喜びの時に出会ことでおろうがなあ」
と薫の悪戯を見ながら言うのであった。
「ほんとうにさようでございますねえ「「縁起の悪いことをおっしゃらないでくださいませ」
と源氏の言葉を聞いて女房達が答える。
そんなことは我関せずと薫はまだ生えそろわない歯で噛みつこうとして筍を、しっかりと握り持って、涎をたらたらと垂らして筍をかじり濡らすのを
「この児は本当に、一風変ってひねくれた色男であるなあ」
と言って
憂きふしも忘れずながらくれ竹の
子は捨てがたき物にぞありける
(柏木へのあわれも、女三宮に対する柏木のつらい事も、恨めしくて忘れないものの、子供はいかにも捨て難いものであるなあ)
と詠み、筍の所から離して薫をつれて来るが、薫はただ笑うばかりで歌の心はさっぱりと分からないのである、薫は落ち着かず源氏の膝から離れて這い回って騒ぐのであった。月日が経つほど薫は憎たらしいほど美しくなっていくので、あのつらい柏木の一件を、源氏は全て忘れてしまうようであった。
源氏は薫を見ながら、この薫が生まれてくるために、あの三宮と柏木の事件が宿縁としてあったのであろうか、そう思うと考えもしなかったことであったとしても、あの二人はそうなるべき運命にあったのであろう。源氏は運命論的にいくらか考え直していた。けれども、源氏自身の前世からの運命でも、源氏には、やっばりまだ不満足な事がいくらかあった。その一つは、紫上とは、正当の婚姻をしていないし、三宮は、このような状態になった故に、本妻とすることが出来なくなった。源氏には本妻である北の方がいないというのがその例である。
源氏の周りには多くの夫人が居るのであるが、三宮こそが、欠点があるということはなく、人としての人柄も、立派であり、自分もこの源氏を充分であると思っていたであろうに、このように思いもかけない尼姿となって会うなどとは、やはり柏木とのことを思い出すと、過ぎてしまった罪が許されなくて、今でもやはり源氏は悔しいのであった。
夕霧大将は柏木が死ぬ間際に言い残した言葉が忘れられず、柏木が源氏に言いたいこととは何であろうかと、源氏に聴きたくて柏木の言葉を伝えたときの父の顔が見たいと好奇心も騒ぐけれども、タ霧としては、事情は何となく薄々感づいているのであるが、父に話し出すにしても、その機会というものがあるので、心中には、どのような機会に、かねて思っていたこの疑問の詳細を明らかにし、また柏木の最後の言葉を源氏に聞かせたいものであると、夕霧は常に思っていた。
秋の夕暮れ時がもの悲しいと思われるとき、夕霧は亡き友柏木の妻である落葉宮がどうしているかと、一条の屋敷に彼女を訪問した。落葉宮はくつろいでいて母屋で琴を弾こうとしていたのであろうか、夕霧の急の訪問で弾奏を中止し取り散らかしたままの楽器類を、奥の方に片付ける暇がなくて、琴をそのままにして、くつろいだまま弾いていた。母屋の南の廂の間に、タ霧をの席を設けた。母屋の南側の端の方、廂に近い所に今までいた女房が、母屋の奥に膝行してはいっていく衣擦れの音も、母屋一体の、空だき物の匂が香ばしく漂っているのも難いほど趣味の良い感じがした。いつもの通り落葉宮の母の御息所が夕霧と面会をする。この人は朱雀院の更衣であり、朱雀院には二の姫に当たる落葉宮を産んだのであった。柏木の昔のことを夕霧と話をする。
夕霧は自分の屋敷である三条邸が人の出入りが多く一日騒がしく、妻の雲井雁の腹の子供達が、群れて大騒ぎをするのに慣れているので、ここの静かさには何か趣があるように感じていた。屋敷は手入れも行き届かないから荒れているようであるが、それでも宮家という気品があって、気位高く住んでおられるから、前栽の花が「君が植ゑし一むらすすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(あなたが植えた一群のすすきがすっかり生い茂って、虫の音がしきりに聞こえる野原のようになってしまったよ)と古今集にある御春有助の歌を夕霧は思い、咲き乱れている所にタ日の照り映えているのを夕霧は眺めていた。側にある和琴を引き寄せて弦を弾くと律の調子にしてありよく弾きこまれている琴で演奏者の香りがしみこんでいて懐かしい感じがした。 このような奥ゆかしい趣味の多いところで、気ままな品のない者が、場所をも考えないで、気を静めることが出来なく、体裁の悪い態度で不屈至極な浮名をたてるものだ。そんなことを思いながら夕霧は和琴を演奏する。この琴は亡き柏木が常に弾いていた彼の愛用の琴であった。よく知られた曲を少し演奏して、
「本当にこの琴の音は珍しい、柏木は珍しい音で琴を弾いたのだなあ。柏木の音色の名残が籠もっていますでしょう。その音色を、落葉宮から拝聴し、柏木の演奏法を、明らかにしたいですねえ。
と何とかして落葉宮に琴を弾かせようと夕霧は言うと、御息所が、
作品名:私の読む「源氏物語」ー56-横笛 作家名:陽高慈雨