私の読む「源氏物語」ー55-柏木ー2
また夕霧は、三宮がこのようにあっさりと世を捨てて出家をしたのは、大病を患ったわけでもなくて、世に未練もなくさっぱりと出家を決心した気持ちは、どうした事かと合点が行かない。たとえ三宮の出家希望があっても、出家を源氏が許していいものであろうか、許してはならない。紫上があれ程命の終りで、出家をしたいと泣いて頼むのを父は許さなかった。いろいろと夕霧は自分の耳にしたことを考え、柏木は前から心に思っていた三宮への恋心を、堪えきれぬことがあったのであろうか、。しかし彼の外面が落ちついているところは、外の人に比較すれば格別に注意深く行き届いており、起居も穏かにしていて三宮を思慕する下心など、少しも示さないから、外からみると気が詰まりそうなまで自分を固く守るところがあったが、固すぎて何かの拍子に精神の一角が崩れると心全体が崩れてしまうと言う、意志の弱い所があったのであろう、三宮との過失はどうもその崩れた弱いやさしく物軟か過ぎたのが原因であったのであろう。三宮への想いは、あってはならない秘め事に、彼は心を取り乱して、このように自分の思慕を命に換えねばならない事なのであったか。そんなものではない。それは三宮に気の毒なのはそれとして又、柏木の体であると言って、破滅に追いやらねばならないものか、そうではない、前世の因縁とは言うものの、思慕を命に換えたのは、本当に思慮不足で、つまらない事であるなあ、などと、夕霧は、自分なりに柏木のことを考えるのであるが、せめて、自分の北方、柏木の妹雲井雁にも夕霧は自分の心の中を話さなかった。また機会もなく源氏にも柏木の最後の言葉を話さなかった。がしかし絶えず、柏木は最後にこのように言い残したと、言って源氏の顔色を伺おうと思っていた。 柏木の父親で前の太政大臣昔の頭中将は母親の北の方とともに柏木の死後涙の乾く暇がなく、沈み込んでしまい、取りとめもなく過ぎて行く、七日七日の日数も気がつかず、法要の際に、布施として僧達に贈る法服や、女の装束やその外、色々とすることがあるのであるが、二人ともとても手をつけられる状況でなく、柏木の弟の君だちと姉妹の達とが、それぞれに分担して準備をした。経や仏の装飾の指図なども、柏木の弟の左大弁が準備した。七日七日の供養の御誦経の事などを、側の人が、今日は、いく七日であるなど、両親に告げて注意するにのであるが父の前大臣は、」
「お経などを私に聞かせなさるな、聞けばこんなに、悲しみが増すではないかと、途方に暮れてしまう。親を悲嘆に沈ませるのは、柏木の冥途への道に却って障害になる」
と言って、自分も死んだ人のように、ぽんやりと考えこんでいた。
柏木の嫁である一条の宮は落葉宮と呼ばれていたが、悲しみよりも心もとないままで、臨終の対面もせずに夫柏木と死別してしまった恨みもあり、日が経つにつれて広い邸内に人少なく心細く暮らしているが、柏木が大事にしていた使用人達は今も夫人の見舞いに参上していた。柏木の大事にしていた鷹や馬を担当している係達も、主人柏木の死後は、皆が、担当の役がないので、気が抜けてがっかりしていて、それでもさすがにまだ一条宮に出入りするのを落葉宮が見て、色々と思い出しては、悲しみがますます尽きないものになっていた。柏木が生前使用していた琵琶や和琴も弦を取りはずし、目立たぬようにわざと見すぼらしくして音を立てないのも、彼女の気が塞がって、晴れ晴れしないせいであろうか。しかし、一条宮の庭の木立は芽を吹いて、本当に淡い煙のように薄青く見えて、花も咲く時を忘れずに開いているのを、落葉宮は眺めながら悲しみがこみ上げ、傍らに従う女房も、喪服の薄墨色の粗末な姿をしながら寂しく沈んでいる昼頃に、先駆けが大きな声を出して叫びながら一条宮の前に車が止まる気配がした。
「ああ亡くなられた衛門督殿の訪れなされる御様子である。亡くなられたことを忘れるようであることよ」
と女房の一人が言う、中には涙を流している者もある。夕霧大将が訪問してきたのである。来訪の案内を、供の者を取次を頼みこんできた。
「いつものように、柏木の弟の弁の君(左大弁)や宰相などが、来訪なされた」
と、落葉宮の母一条御息所は、思っていたところへ、夕霧がはたの見る目も大層きまりが悪い程、綺麗な姿であり立派な態度で、入ってきた。寝殿の廂の間に席を設けて夕霧を案内した。普通の客人のように応対するには気が引けるような立派な姿であるから、落葉宮の母親である一条御息所が夕霧の相手をする。
「柏木が亡くなられ私の悲しみは、当然、悲しみ嘆かれる身内の親兄弟北方の方々に、私も同様以上でありますが、身内ならぬ他人は喪に服する事もできず、お悔やみをお示しする方法もなく、御弔問も、世間並の有りふれたものに、結局なってしまいました。柏木が最後に私に、一条院に暮らしている落葉宮を私の亡き後は時にふれて訪ねてやってください、落葉の父朱雀院様が落葉が悲しんでいるとでもお聞きになって心配されたときには、取りなしてください、と落葉宮の事を遺言されましたから、落葉宮のことを私は心配申し上げています。雑然と騒がしい世でありますが、私が生きている限りは、私の死が、落葉宮におくれても先立っても、その時のまぎわまでの間は、私がもしも気がつきますならば、それにつれて、私の深い誠意の程を、落葉宮に認めていただきたいものであります。内裏に神事などが忙しいときに、私の個人的な気持ちで、柏木の死を哀悼し、じっ籠居していることは、例のないことでありますから出仕はいたしております。そのようなことで、少しの暇をみて弔問してもお話を伺う時間が短くて却って物足らなくおもわれることであろうと考えまして、今日まで畿日も過したけれども今日やっとお伺いすることが出来ました。お父上の前大臣にも悲しみに心乱れておいでになると聞きまして、親子の情愛の闇に迷うのは、それは当然の事として、柏木と落葉宮夫婦の御仲で、柏木が落葉宮に、深く思い残しをされたであろうと思う、その心残りを私が推量いたしますと、宮の悲しみは尽きることがないでしょう」
と言って夕霧はしばらく顔を上げずに涙を流し鼻水をかんでいた。夕霧のその姿は、
彼の性格から、几帳面ではっきりとし、気品が高いものながら何となく傍らに侍る女房達を魅了するところがあった。御息所も悲しみで鼻声になり、
「しみじみと悲しい事は、夕霧様が仰るとおり、無常の世のならわしと、私は思います。悲しみが辛いと言っても、他に考えを変えることもあることと、年を重ねた私は、無理にでも気強く諦めておりまするけれどもねえ。しかし若い落葉宮は思いつめた様子が、柏木に遅れないようにと私には思い切り深刻そうに見え、今更に不運の身で、今日まで生き長らえた私がこのように、死んだ柏木と、死にそうな落葉宮との両方に、無常な世の末の様子を次々と見なければならないのか」
と言って御息所も心が乱れていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー55-柏木ー2 作家名:陽高慈雨