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私の読む「源氏物語」ー55-柏木ー2

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「さてさて情けないことよ。墨染の衣というものは、やっぱり、悲しい目が暗くなる色であるなあ、どうも好きになれない、このような尼姿でも貴女のお世話をすることは欠かしませんよ、と私は思い、私自身を慰めていますが、忘れられなくて相も変らず、諦めきれずに切ない気持のする涙の不体裁さを、私が本当に、貴女から見捨てられるのは私の罪として観念していますが、出産に出家にとお世話する内にもう一度、何も無かった昔を、取り戻すものでありたいな」
 と源氏は愚痴っぽく嘆くと、さらに
「尼となったので逢うのも、これ迄であると、もしも私から離れるならば、本心から私を嫌って離れていくのだと、私はきまり悪くつらく恨めしく、其れは私にとって可愛そうなことだと思ってください」
 なんと言っても三宮は親王の一人であるので源氏は改めて彼女に頼み込むように言った。
「このように尼となる人は、もともと物の情趣も人情もわからない者が出家をすると聞いてましたが、そんな人より以上私は、もともと物の哀などというものは感じないし知らないし、源氏様にどうお答えしていいのか分かりませんは」
「どう答えていいか分からないとは、あんまりな仰せようぞ。人情や情趣は、思い知りなさる事もあったであろうものなのに」
 と暗に柏木のことを含んだ言い方をして源氏は薫を見るのである。
 側にいた乳母達は、気品があり顔や姿かたちの綺麗な者だけを大勢の女房の中から源氏は選び出したので、その者達に、薫に奉仕すべき心構えなどを、きつく申し渡していた。
「ああ、余命少ない私のもとに生れて、これから成人しなければならないとはなあ。どうして生れて来たのであろう。」
 と言って乳母の手から薫を取り抱きじっと顔を見ていると、薫はいかにも気持ちよさそうに笑って、まるまると太り、色白で美しい。夕霧が生まれたときのことなどを思い出しているが、何となく似ていないように感じた。明石女御の子達は似ていないのは、父今上帝の御系統なので、皇族風で気高くはあるが、図抜けて勝れて、にこやかで、特に御立派でも御ありなさらない。
 
 しかしこの薫は上品な上に可愛らしさがあり、目つきがつやつやとして美しく、常に、にこにこし勝ちである点などを、源氏は、大層可愛い赤児と見ていたが、やはり何となく柏木に似ていると思うのであった。今は赤児でありながらも、まなざしが、ゆったりと落ちついており、他の赤児とは少し違い、
色艶の美しい顔の様子である。三宮は、薫が柏木に似ているとは、どうせ逢瀬を夜の暗いときにばかりしていたから柏木の顔をそうまでしっかりとは見ていないであろうから薫が柏木に似ているとは判別がつかないであろうし、そのことは別にしても、他の乳母などは、事の真相は一向に知らない事であるから、源氏一人思いだけであるので、柏木が子供の顔も見ずに他界するとは、可哀そうに、情ないことであったと、思うと、涙が出てきたのを、今日は、五十日の祝の日であるから、不吉な事を忌み慎まねばならぬ日であるのに、なんと言うことをと涙をぬぐって、
落ちついて考えて見ると、子供の誕生は、喜ぶに十分であり、柏木の子であるから又嘆くにも十分である。
「静ニ思ヘバ喜ブニ堪ヘタリ、亦嗟クニ堪ヘタリ」
 と白楽天が五十八歳で子供をもうけその子に「生遅」と名付け自嘲の詩を詠んだその一節を源氏は口ずさんだ。源氏は白楽天より十歳若いが、自分ではもう老齢になったと感じているので、世の寂しさを感じていたのであった。だから白楽天の同じ詩の中にある、
「慎ンデ頑愚ハ汝ノ爺ニ似ルコト勿レト」を擬して「御前の本当の父柏木の命短きに似るな」とでも薫に言い聞かせるつもりで詩の一節を口づさんだのであった。
 源氏はこの柏木の夜這いを女房の中誰かが手引きしたのであろう、其れが誰であるか自分が知らないことが憎らしく悔しい、その女房は自分をさぞかし馬鹿なやつと見ているであろう、心穏やかではない。もしも源氏と三宮の過失を問題になるならば、そのときは、自分よりも身分のある三宮の方に問題が振り向けられるのは当然のことであるから、この問題が公になれば三宮は気の毒である、と考えて三宮の犯した過失については全く口にすることはなかった。薫が何事か口にしては笑うのを目元口元が可愛いと、事情を知らぬような人は、どう思うであろうかわからないが、本当に柏木に似ていると源氏はつくづく思うのである。柏木の両親がせめて子供でも生まれていればと、嘆くのを、柏木の子供と薫を見せないで、この児を忘れ形見と、秘密に残して置いて、あれ程、気位が高く、思慮もあって老成していた身であるのに、柏木の気持ちの揺らぎで、人生を破滅させてしまったなあと、源氏は柏木を哀れな人生の敗者だと思い、とんでも無いことをしでかした奴という腹立たしい気持ちも消えて、源氏は涙を流して泣いていた。女房達は源氏と三宮に遠慮してそっとその場から去って行ったので、源氏は三宮の近くに寄っていき、
「薫をどう思いなされるか。こんな可愛い人を捨てて出家し、すっかり私から離れてしまうような夫婦仲であったのであろうか。私は情けなくて辛いよ」 と、唐突に三宮が驚くように言うと
三宮は顔を真っ赤にしていた。

たが世にか種は蒔きしと人問はば
     いかが岩根の松は答へん
(いつの世にか誰が種を蒔いたのであろうと、人が尋ねたときに、この岩根の松はどう言って答えるであろうか)、
薫が可哀そうである」

 と、声を小さくして三宮に言うと三宮は答えずにひれ伏して答えることが出来なかった。当然のことだ、と源氏は思いそれ以上のことは言わず、三宮は柏木をどう思っているのであろうか。思慮分別が深くない女であるが、そうかと言って、平気な気持ちではおられまいと、源氏は推量した。
 夕霧大将は、柏木がどうしようも我慢できなくて夕霧にほのめかすようなことを言ったことを、何のことを言ったのであろう、源氏の怒りに触れたというあの言葉は、どのようなことを指していったのであろうか、夕霧はあの時、柏木がもう少し物を考えられる正気の様子であったならば、まだ病がそう重くなかった頃に、私に打ち明けて語り出したことを、はっきりと話の事情を察知しておけばよかった。今となっては、何と言うても甲斐のないことである。臨終間際の話であり、側に人もおれば気が塞がり、しみじみと話すことは出来まい、残り惜しい事であったなあ。と柏木の面影が忘れられないので、柏木の兄弟よりも悲しみを強く感じていた。