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私の読む「源氏物語」ー55-柏木ー2

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源氏様のお心の中には私ごとき者は存在しないと思うのですが、私は物心つく頃より源氏様を御頼り申しあげておりましたのに、私に対するどんな讒言でもあったのであろうかと、思うと、このことが私の死んだ後にこの世に残りあの世へ行く障害にでもなるのではと思うのです。何かのついでに源氏様に夕霧から記憶して置いて、源氏様に、宜しいように御弁明してください。私が、たとい死んだとして、その後でも、源氏のこの不興がもしも許されたならば夕霧にとってもよいことでありましょう」
 と柏木は夕霧に語ると良心の呵責
からか大変苦しそうになり、夕霧は悲しさ気の毒さが甚だしく、しかも心中に思い当る事などがあるけれども、これと言って真相はこれ以上聞こうとはしなかった。
「どのような心の痛みかは分からないが、父源氏には、そのような柏木に不快な様子もなく、君がそのように思っていることを聞くと、驚いて嘆き残念に思うことであろう。どうしてこのように苦しいことであれば、今まで私に隠すことなく話さなかったのだ。言ってくれれば君と父の間に入って私が釈明すのであったのに。けれども、今となってはもはやどうしょうもないなあ」
と夕霧は言って、今更どうにもならないと悲しく思った。
「夕霧の申すとおり私は、少しでも気分のよかった時に、申し上げたり承ったりすればよかったあ。けれども、今日か明日には死が訪れるというこのときになって、明日を知らぬ命をのんびりと構えているのははかないことであります。私の言ったことは夕霧以外には漏らさないでください。もしも、適当な機会があったら、その折に源氏様に夕霧の気持ちも添えて御話し申し下されよ。ということから君だけに話しておく。一条院に暮らしている落葉宮を私の亡き後は時にふれて訪ねてやってください、落葉の父朱雀院様が落葉が悲しんでいるとでもお聞きになって心配されたときには、取りなしてください」
 このように夕霧に言うと柏木はまだまだ言いたいことがあるのであったが、、体が苦しくてこれ以上は言うことが出来なく、
「どうぞ帰ってください」 
 と手を振って夕霧に言う。夕霧は仕方なく泣き泣き柏木の許を去る、加持の僧達が入れ替わって柏木の許に、柏木の母や父も柏木の床近くに来て、女房達がざわざわと騒ぐ中を夕霧は涙を流して帰って行った。柏木の妹の弘徽殿女御はもとより夕霧の夫人で柏木の腹違いの妹雲井雁も大変嘆き悲しむ。柏木は心配りがよく行き渡り、長兄としての思いやりのある性格であったから、鬚黒の北方(玉鬘)なども、この柏木を兄として親しみ、大事な人と考えていたから、本当に嘆き悲しみ祈祷などを柏木邸の祈祷と別に、行うのであるが、拾遺和歌集の中に「われこそや見ぬ人恋ふるやまひすれあふ日ならでは止む薬なし」とおなじで、御祈祷も、どうもやり甲斐のない事で、柏木の重態には、何の効験もない。柏木は夫人の落葉宮にもとうとう会うことなく、泡が消えていくように亡くなってしまった。
 柏木は日頃は親切で親しみ深いという風でもなかったが、外から見ると表面は本当に理想通りに行き届いて落葉宮と接し、様子もやさしく思いやりがあり、気持も風情があり、且つ礼を失わない態度で、暮らしていたから、落葉宮は柏木を恨むようなことは格別にない。ただ、このように短命なのであった夫であったから、夫婦の間とはこのように興味なくつまらないものと考えていたと、晩年柏木が沈み込んでいた様子を思い出し、彼女が沈んでいる様子を可愛そうにと見て彼女の母の一条御息所も、皇女は縁づかぬものなのに、なまじっか縁づいたのは、世の人からの物笑われであり、且つその夫柏木との死別は残念であると。皇女の婚嫁の例は少ないのにと嘆く。柏木の父の前大臣や母の嘆き悲しみは一条の御息所の比ではなかった。
「自分こそ先に死ぬのだった」
「世の中の道理に従わないで、親より先に死ぬとは、死に後れた親の苦しみはどのようなものか」
 と身を捩って悲しむが、今となってはどうしようもない。三宮は柏木の死を聞いて、柏木の身分不相応な心がけを嫌なことだと思い、病の柏木が命を長く持つようにとは思いもしなかったのであるが、死んだと聞いてさすがに悲しいことで可愛そうな男と思うのであった。若君(薫)のことを、柏木が自分と関係して出来た子供であると考えていた、そのことは三宮は夜這いされたこともあったと思い出すと、自分には思いもよらない不祥事があったと、心細くなって泣いてしまった。

 三月弥生になれば空も晴れうららかな日が続いて三宮の子供の薫も生まれて五十日になった。薫の顔は色白で可愛らしく、五十日の割には肥立ちがよく大人らしくて、何かを言ったりなどする。源氏がやってきて、
「五期分は晴れやかにさっぱりとなりましたかな。いやもう、尼姿ではお会いしてもどうしようもありませんなあ。もしも、俗人の時の御様子で、このように、さわやかな姿でお会いしたならば、どんなにか嬉しゅうござりましょうになあ。然るに、このように尼姿とはつらく惰なく、この源氏をお捨てになって」
 と涙ぐんで恨むのであった。そうして毎日三宮の許に来て源氏は三宮を大切に扱いするのである。
 薫の五十日に、祝賀の餅をさし上げようと言うので、女房達一同は、三宮は常の人と違う尼の姿であるから、尼君のなさる御五十日の祝の餅は、どう致すべきであろうか、など普通とは違った五十日にとまどうのである。
「いかがいたしましょうか」
 と女房達が三宮に伺うと、源氏が丁度よくやってきて、
「何も気にすることはない、女の子であれば、それこそ同じ女として母親が尼であれば縁起が悪いであろう。男の子は問題なし」
 と言う源氏の一言で寝殿に、薫のために小さい座を仕度して、薫に祝いの餅を差し上げる。薫の乳母に任命された女房達は華やかな衣装や飾り物をつけて薫の前にある、いろいろと考えた果物を入れた籠や、檜の白木で作って、中に幾つも仕切りのある折箱の趣向などを寝殿の御簾の内にも外にも、薫は源氏の実子でない事を知らず、源氏の御子と思っている事であるから、籠物や檜割子を思う存分に並べ、みんなは祝儀の御目出たい気持の外は何の気持もなく平気な様子で喜びを述べているのに対して、源氏は、実父柏木の喪中であるから晴れ晴れしい祝儀は本当に心苦しく、又、柏木の子であるのに自分の子としての祝儀は、きまり悪く恥ずかしい事であると、思っていた。三宮も起きて、尼剃ぎの髪の裾が扱いにくい程に広がっているのを束ねるのに苦労して、額の乱れた髪を直しているところに源氏が几帳を引いて前に座るので三宮は乱れた姿が恥ずかしくてよそを向いてしまうのを、お産の前に比べると体が小さくなり痩せてしまったところに、尼となるときに長い髪を短く剃ぐのを嫌って、普通の尼よりも長目に剃髪したので後から見た所では、剃いだのか剃がないのか、特に分からない。尼であるから次々と、重なって見える薄黒い色の下着、その上に黄色勝ちな当世風の色の一見薄紅色の上着を着用していた。この色は、紅梅よりは濃く、深紅よりは薄く、最近紹介された色なので女達は今様色と呼んでいた。そうであるから三宮はまだ、尼として板につかぬ横顔は、特にこのような尼姿でも、可愛い子供のように見えて可愛らしく艶っぽくみえた。