私の読む「源氏物語」ー54-柏木ー1
三宮は小侍従が柏木を見舞った日の暮れ方から、気分が悪くなった。お産が始まるのではと感じた女房が急いで源氏に知らせたので源氏は急いで三宮のところに来た。三宮が苦しむのを見て源氏は心の中で、これが柏木の子でなくて自分の子供であればどんだけ嬉しいことであろう、と思うのであるが、このようなことは決して人には漏らすことではないと、ことさらに修験者などを呼び出して、安産の修法は知る限りの有名な修験者をそれぞれ、今日は誰、明日は誰と、毎日招いて不断に行われているので今日の担当の修験者に従っている伴僧達の中で念力のある者は全部三宮の方に集まって安産の修法をあらん限りの力で念ずる。一夜苦しみあかして三宮は朝日が指す頃に無事に出産した。男子出産と源氏は聞いて、このように自分が妊ませた子供であるかのように心配し、修法なども盛大に修して、世間には柏木の子である事を秘密にしてあるが、なんと生まれた子供がもし柏木と瓜二つの顕著な顔つきであるならば、それこそ秘密が漏れて自分は苦しむことになる、柏木に似た子供であっても女の子であれば化粧などをすれば紛れるし、また多くの人に見られることもないので安心だがなあと、思うのであるが、又思い返して、このようにつらい生まれた因縁がつきまとうようなれば、秘密の子では、あまり世話のいらない男の子であるから育てやすいかなとも思う。事実、生まれた子供が女で、源氏の娘として養育して婚姻となると大変なことであると、男でよかったと安堵の気持ちになった。
このたびの三宮の出産はそれとして、源氏は不思議な因縁であると思うのである。自分が、一生を通じて取り返しがつかない藤壷との秘密のことの、報いであるように思う。現世でこのような大きな報いを受けたからには来世の罪は少し軽くなろうと、源氏は考えたのであった。源氏はそう思っていても他の人は三宮と柏木の秘密は知らないことであるから、今回のように親王という身分の高い三宮の御腹で、しかも高齢の源氏との間に出来たとはさぞかしお二人の仲は睦じいものであったのであろうと、想像しながら生まれた若君を世話するのであった。
生まれた夜には早速御産屋の儀式が産室及び、その近くで実行された、臍の緒を切り湯を浴びせる事から、読書・鳴弦,護身法などまで統いて、帝の子供が生まれたのかと思うほど盛大な儀式が行われた。六条院の婦人達総出で出産祝いの儀式である産養に祝いものを出す。出産祝の品物は、一般に常例となっている折敷や衝重や高坏などの趣向などもお互いに負けまいと格別に事新しく競争して用意した。折敷はへぎ板で作った角盆。衝重は、折敷を四角の筒のような台に作りつげたもの。高坏は、丸盆または角盆に、木の台をつけたようなもの。朱か黒の漆を塗ってある。産養は、子供の誕生後、三夜・五夜・七夜または九夜に、親族から産婦の衣服や子供の襁褓、及ぴ餅や赤飯などを贈って祝う事を言う。その五日の夜に秋好中宮から母親となった三宮の着物類を、又、女房にも女房の身分に応じて考えた賜物を公式な行事であるので立派なものを用意してあった。さらに、汁粥である啜り粥と卵形の握り飯の屯食とを五十人分。その外、所々に行われる饗宴には、源氏の六条院の下々の者達や、準太上天皇である源氏の院の政所を庁と言うその庁の雑事をやったり、時を奏したり取次をする下役の者達にまで配られた。
産養の七夜は内裏から帝の使いが来邸した。それも公式の来訪であった。前太政大臣は産養を源氏とは義理の兄弟になるので特に産養のことをしなければならないのであるが、息子の桂木の病が重いために、簡単な見舞いがあっただけであった。親王の宮達、上達部の多くが産養の祝いに六条院に集まった。源氏は祝いの儀式を常識を越えるほどに三宮のために催したが、柏木の子供であるので心中は苦しく、折角御祝いに参邸の親王達や上達部などを取り立てて、賑やかにもてなしをしないで管絃の遊びなどは開催しなかった。
三宮は体が細く繊弱な様子であり、御産の事は初めてのことであるので非常に心配し、産前産後の煎じ薬を全く飲まず、自分の柏木との過失を、出産につけても、しみじみと思いこんでしまって、このお産の機会に死にたい、とまで考えていた。源氏は、三宮の不義の子を実子として、体裁よく人の見る目を繕って、若君として扱うのであるが、
「まだ生れたてであまり可愛くないのかしら、若君の事をあまりお世話なさらない」
などと言う者もあるから、古参の女房は、
「いやもう源氏様は冷淡なお扱いのことで。御子達の少い源氏に珍しく御生れなされた若君の、このようにかわいらしいのに」
などと生まれた子供を盛んにほめるのを、三宮は小耳にはさみ、私をそんなにまで恨むとは、今後ますますひどくなるであろうと、源氏を恨みに思い自分の身もつらく、尼になるか、と考えた。愛情をなくした源氏は三宮の許に夜は泊まることはなかった。昼間だけ少し覗くだけであった。
「世の中は頼りないものであるということを、自分が体験して、自分の余生が短く、何となしに心寂しいので、仏道の修行がちになってしまっていますから、今はこのような出産で、混雑している気がするによって、こちらには参らぬが、気分はいかがですか。さっぱりされましたか、私はますます心が重くなってきました」
と几帳の隙間から源氏は三宮を見て言う。三宮は頭を持ち上げて上から覗く源氏を見て、
「私は生きている心地がいたしませぬ。このような者は尼になって、尼になる事の功徳で生き残るかと、ためしてみる、たとい死ぬにしても出家して尼になっているから罪障を消滅させる事もできるのではと、考えています」
三宮はいつもの子供じみた答え方より少し大人らしく源氏に答えた。
「(生き残る事ができまいと思う心は情なくいやな縁起の悪い。どうして、そんなに助かる事ができまいと考えるのですか。御産は、いかにも恐しいことではあるが、それで死ぬというのであれば、そんな考えもあろうが、無事に終えたのである、死ぬという考えはお捨てなさい」
と三宮に源氏は答えるが、本気に三宮がそんな風に覚悟を決めて、言うならば、尼となった三宮の世話をするのも、自分の心が楽になって、深く今後もこの人を愛することが可能かもしれぬと、夫婦としては、世話をしながらも、三宮が何かにつけて、源氏に気がねすることが、源氏は気の毒であり、自分としても表面は何げなく振る舞っていても柏木とのことがなかった以前の状態には戻ることができない気持であり、そのため三宮が時々つらい思いをしたならば、自然と女房達に分かってしまい、その噂が広まると三宮がかわいそうである、このことはすぐに父親の朱雀院の耳にも入るであろう。真相を知らない院のことであるから、源氏の愛情が薄くなったと思いこむことは必定。源氏は三宮の思い通りに尼になることを承諾しよう、がしかしこれほど見事な髪を落として尼になる三宮の将来を考えると、可愛そうでもある。「もっと気を強くお持ちなさい。たいした問題にすることではありますまい。いよいよ命が終わるという人でも平癒する例は、紫上にも見るように手近にもあるから、世の中は無常であるといっても、それでも。紫上の仮死と蘇生と平癒を見れば頼りがいのある現世であることよ」
作品名:私の読む「源氏物語」ー54-柏木ー1 作家名:陽高慈雨