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私の読む「源氏物語」ー53-若菜 下ー4

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「代々貴女はあまり物事をよく考えることもしないで、専らわざと人が告げることを信じるようである。貴方の心の中には、私が貴女を投げやりにして情がないと、それだけを思いこみ、また今は、私が盛りを過ぎてしまった老人と見て軽蔑するような風で、刺激がないと古くさくぱかり思いなさるであろうと、私は朱雀院が貴女に対する私の態度を、期待はずれで気に入らないと思われ、また、貴女は私が貴女を愛する力がなくなったと侮るのであろうと、残念にも思わずにはいられないのであるからね。朱雀院が居られる限り、貴女は少し心を落着けて我慢をし、朱雀院が、貴女のことを考えて私に世話をするようにと、私に託されたのは何か理由があったように思えたのである。私のような盛りの過ぎた者に対しても、柏木と同様に扱ってもらって、あまり軽蔑しないように。
 私は昔から夢であった深い仏道に進むことも、この女の方々がと思うような当然仏門には薄いはずである婦人方にまでも取り残されてしまい、のろまなところがあるのである。だが自分お心には出家することは少しも躊躇する事はないのであるが、そのような私を置いてお父上が出家なされ、私に貴女の後見を託され気持ちを私はしみじみと心にしみて、嬉しかったからね。だから引き続いて朱雀院と競争するようなかたちで私が出家し、貴女の父上と同じ仏門に入って貴女をこの世に遺していけば、それを見て貴女の父上がどのように思われるかと出家を思いとどまっているのですよ。気にかかっていた夕霧や明石女御なども、身が定まったので、現在ではこの俗世に気がかりでならない人はなくなりました。明石女御もこの後のことは分からないが、それでも子供が何人か授かりましたので、これからの私はのどかに心やすく生きていけますと、出家してもかまわない身になっています。あかしにょうご、それに紫、明石、花散る里だれもがそれぞれの都合次第で、私と一緒に出家するとしてもいい歳になっていますしね。だから私も肩の荷を下ろした気分です。
 朱雀院様もこの先そう長くは生きては行かれますまい。院は本当に、御病気が次第に重くなって行かれる一方で、気持ちも心細くなっていかれます、そのような時に思いがけない浮いた噂が、父上の耳に入って苦しめるようなことはなさいますな。現世は、全く気楽安心なものであり、そう難しく考えることも無いことです。ただ朱雀院の極楽往生の障害となるかも知れない不幸な行為は恐ろしいことであるからね」
 と源氏ははっきりと柏木と肉体関係を結んだことをせめないで。三宮に懇々と諭された。聞いていた三宮は涙を流しつつ我を忘れたように思い染み反省しているので、源氏も同じく涙を流して、
「昔は目上の人の小言をうるさいことを言うと思って聞いていたが、今は私がそのような歳になってしまった。さぞかしうるさい翁めと。貴女は思っているであろうことよ」
 と偉そうなことを言ってと源氏は恥ずかしく思いながら、硯を引き寄せ、墨を摺り、紙を取りだして筆と紙を三宮に泣きながら渡し父君への返事を書くようにと進めるが、三宮も泣き崩れてしまい書くことが出来なかった。
源氏は、三宮は柏木と情を交わしていた頃、彼への返事はこのように書きしぶることなく書いていたのであろうと、
その三宮が憎く一切の愛情もきっと冷めてしまうに違いないけれども、返書の言葉を三宮に教えながら返書を書き終へさした。
 こうして女三宮は病のために父朱雀の五十のお祝いに参上することが出来ず、何時参上することになるのだろうかといううちに、この月も過ぎてしまった。二宮である柏木夫人の落葉宮が、元気いっぱいにお祝いに参上したのであった。源氏は三宮の現在の姿を見て、妊娠で格好の悪い姿で落葉宮と競い合うように参上しても、気が引けると思うのである。そうして十一月は、亡き父上桐壷帝の祥月であるから、自分の忌月である。それはそれとして年末は何かと気ぜわしい。また三宮の姿も何となく見苦しいことで朱雀が、心待ちに待って会うことになるであろうからと、源氏も思うのであるが、姿が見苦しいから新年の御賀の参上を出産までも延ばすことは如何なものかと、くよくよと考えずに明るく過ごしなさいと、三宮に語りかける。そうしてえらく痩せてしまったので、食事をしっかりして元気を出すようにと、三宮は可愛いと見ながら体の注意をするのであった。柏木衛門督を今まではどの様な時でも源氏は側に侍らせて特に大事なときには必ず柏木が側に侍っていたのであったが、今はそれもなくなり柏木の動向もあまり知られなくなった。源氏はこのことを上達部や殿上人が、どうしたのだろうと怪しく思うであろうと、思うのであるが源氏は柏木を見ると、三宮を寝取られたことを知らないと思われてぼんやりしている自分が恥ずかしく、柏木と逢うと自分の心も動揺して平静でなくなるであろうと、思い直すこともあるのだが、その儘長い間柏木が参上してこないことに非難することはなかった。源氏の周りの人は、柏木の病が長引いていて六条院への参上が出来ないのであろうと、だけ思っていた。このことを夕霧は、何か理由がある事なのであろう、色好みの柏木は、きっと、私がかつて垣問見た三宮に、恋しさをこらえきれないのであったであろうかと、気がつくけれども、本当のところ、このように、柏木と三宮との情交が源氏にはっきりと、つつ抜けに露顕しているとは、夕霧には思いも寄らないことであった。  
 十二月にはいった。朱雀の五十の祝賀会は十日と決めて、舞楽などの練習で、六条院の内は賑やかである。二条院で療養している紫はそのまま二条院に居るのであるが、祝賀当日の予行練習の試楽が行われると聞いて、どうも二条院に落着いて居ることが出来なくて、それを是非見ようと六条院に帰って来た。明石女御は出産のために後である籠城院に帰っていた。出産も無事に済ませまた男の子であった。次々と明石女御が出産するので、源氏はその子供をあやすのが日課となり自分が長命であることを嬉しく思っていた。  試楽には右大臣である鬚黒の妻玉鬘も来訪していた。夕霧は東北、丑寅の地区にある彼の養い親である花散る里の屋敷にいて毎日朝から晩まで練習に余念なく励んでいるので、花散る里は試楽の日に源氏の前には現れなかった。柏木をこのような賑やかな日にも呼ばないのでは、集まった人達は賑やかな中にも、どうして柏木は参加しないのだろうと疑問に思う者もあるからと、源氏は招待の文を送ったのであるが、柏木は病が重いのでとの返事をして参加しなかった。病と言って参加しないのではあるけれども、彼はどこが悪いということもないのであるから、源氏は三宮のことで自分に気がねしているのであろうかと、気の毒に思い特別に招待の文を送ったのであった。柏木の父親である前の太政大臣も、