私の読む「源氏物語」ー53-若菜 下ー4
女の子を育てていくことはなかなか難しいことである。女の子の前世からの因縁というものは、私らの目には見えないことであるのでおやのじゆうにはならないものである。子供が成長していく間の親の心遣いはやはり必要なものである。私は、幸いに子供が少なく子供の成長の過程での心配で心を乱すようなことがなかったが、若い頃には、(子供の無いのは寂しい事よ、多くの子供を育てたならば嬉しいがなあと、子供の少ないのを嘆くときもあった。
お前は明石女御の一宮を養女としたのだから大切に育て上げなさいよ。明石女御はまだ物事を深く考える歳にもならないのに、内裏に上がり春宮の女御となったのであるから、諸事に気の廻らぬところが多くあると思う。
子供達も人に非難されないようにして、しかも、夫婦仲が穏やかで落ち着いているときに、ふと男の魅力に騙されて、心配するような事態に陥らないような心がけを充分に躾けるものであった。身分というものは限りがあるもので、どうなりこうなりして身分に相当した夫を見つけるという、普通の身分の者は、夫に助けられて安心なのであるが」
「しつかりした女一宮の世話役を探さなくとも私がしっかり教育して見守りましょうと、思うのですが私の命がいつまで保つやら」
と紫は源氏に答えながらもまだ自分の命がおぼつかない思いで、朝顔や朧月夜のように仏の道を順当に歩いているのを羨ましく思っていた。
「朧月夜に尼の装束を、彼女の女房達がまだ慣れない手つきで縫っているようなのでこちらから贈って差し上げようと思うが、袈裟などはどのように縫うものかお前が指示してやってくれ。一揃いは六条の花散る里が縫い上げてくれよう。あまりにも尼の装束というはっきりした物よりも少し見栄えの良いのを考えてくださいね」
と言って紫には薄墨色の装束ひと揃いを作るように源氏は命じた。ただ、紫が病み上がりのために内裏の蔵人所に属し、宮中の調度などを作成している「作物所」の職員を密かに呼び寄せて作業をさせた。尼としての諸道具を始め要りような物総てを造らせた。茵・
上蓆・屏風・几帳などをこっそりと特別に急いで造らせた。
このようなことで山に籠もった朱雀院の五十の祝賀の件も延期になり秋にということになったのであるが、八月は丁度夕霧の母葵上の御祥月で、奏楽所の世話をするにも夕霧自身が忌む身となるので都合が悪いであろう。九月は朱雀院の母后で、昔の弘徽殿女御の亡くなられた月であるので、では十月ではどうであろうとしたら、三宮の出産予定もあるので、それも駄目と言うことでまた延ばすことになる。柏木の夫人となった二宮はその十月に朱雀院を里帰りとして訪れた。柏木の父で先の太政大臣は息子の舅として嫁の里帰りを恥ずかしくないようにと懸命に世話をして細かいところまで注意をして美しい儀式とした。外に出ることもなく家に籠もっていた柏木もこの日は気を改めて朱雀院を訪問した。柏木は病がちに過ごしていた。三宮もまだ柏木のことから妊娠したことを気が引けて、つらいとばかり、思い悩むためか、身重の月が進むにつけて苦しそうにしているので、源氏はその姿を見て、柏木のことは別として、三宮が可愛らしく弱々しく長い間こんな風に苦しむのを、
死にはしないかと、いろいろと悪い事ばかりを考えて心配しているのであった。
源氏は、紫上や三宮の病気のための御祈祷などで、あれこれと事が多くて今年一年は諸方面に失礼する事が多かった。朱雀院は娘の三宮が体調を崩した事を聞き、可愛い娘が恋しいと思っていた。源氏が最近三宮をかまってやらないと朱雀院の者が院に告げたので、どうしたのであろう源氏によく頼んでおいたのにと、胸が痛くなり、源氏と三宮との夫婦の仲についても、源氏の冷たい扱いを悲しく思い、紫が病重くあった頃は源氏が紫の看病に付きっきりで三宮はほったらかしであると、聞いても、それは仕方がない事だと思うのであるが、やはり娘を放っておいてと腹を立てていた。紫が回復した後も三宮の方へ源氏が出かけないという事は、三宮に何か不都合でもあったのであろうか、三宮自身は知らない事で、誰か付き人の謀で三宮の身になにかあったのであろう、内裏の内でも歌など風流をやり取りする男女などにも、いつの間にか男女の仲となって添い寝をしたという不義があると、噂を聞くが、と朱雀が言い出す事は出家をし世の中の細かい事などは捨ててしまったにもかかわらず、娘の事となるとなお俗世界から離れる事が出来なくて、詳細な文を三宮に送る。その文が三宮に届いたときに丁度源氏が三宮の許にいて、朱雀の文を読むのである。
「私はつつがなく過ごしています、こちらかは話す事もなく文を差し上げなくて申し訳ない事です。何事をするでもなくて年月のみが過ぎていくのは本当に寂しい事です。お腹に子供を宿してから体の調子は如何ですか。あなたの事を詳しく聞きまして私は毎日の讀経の際には貴女の事が念頭に浮かんできます。容体は如何ですか。夫との間が寂しく辛い事があっても心を静めて落ち着いた気持ちで過ごす事です。源氏様に嫉妬するような素振りなどを、只自分の考えだけで決めつけずに普通に接するのです。凡そ気づいているような風をして、それとなく当てつけるようにする事は、女としては本当に品位のない行動というものです」
というような内容のことを三宮に教え諭していた。源氏は文を読み、朱雀が可哀想で気の毒でもあり、また自分も苦しくて、三宮が今回の情ない柏木との秘密の情事の結果妊娠したことを、朱雀院が御知ることはないと、三宮を一人にしたことを自分の怠慢として、人に聞いて自分を不満に思うのであろう、とばかり源氏は考え続け、そうして三宮に、
「このお返事を貴女はどのようにお書きになりますか。お父上の辛いこの文を読んで私も本当に苦しく思っています。貴女のことを大切に思わなということが私にあっても、貴女が冷淡な女であると他人が見咎める程の事はあるまいと、私は考えております。二人の間が冷えてしまっていると誰かがお父上に告げ口したに違いないでしょう」
三宮は源氏の言葉を聞くと自分の行動を恥じて、源氏に背を向けてしまう。その恥じらいの姿が源氏にはまた可愛いしぐさだと思われるのであった。三宮は痩せて物思いに沈んだ姿は何となく優雅でもあった。
源氏は、三宮の子供のような思慮の浅い心構えを、父朱雀院がよく承知しているので、心配しているのであろうと、文を見て思うのであるが、気掛りであるので万事に、気をつけなされよ。
と言うようなことを告げてから、源氏は思いきって
「このようなことは言いにくいのであるが」と前置きして源氏は三宮に、
朱雀院の気持ちに自分の行動が反すると言うことをお聞きになったとは、気詰まりで心が晴れない。
本当のことを朱雀院には伝えられないから貴女にだけ言っておこう。
お前は明石女御の一宮を養女としたのだから大切に育て上げなさいよ。明石女御はまだ物事を深く考える歳にもならないのに、内裏に上がり春宮の女御となったのであるから、諸事に気の廻らぬところが多くあると思う。
子供達も人に非難されないようにして、しかも、夫婦仲が穏やかで落ち着いているときに、ふと男の魅力に騙されて、心配するような事態に陥らないような心がけを充分に躾けるものであった。身分というものは限りがあるもので、どうなりこうなりして身分に相当した夫を見つけるという、普通の身分の者は、夫に助けられて安心なのであるが」
「しつかりした女一宮の世話役を探さなくとも私がしっかり教育して見守りましょうと、思うのですが私の命がいつまで保つやら」
と紫は源氏に答えながらもまだ自分の命がおぼつかない思いで、朝顔や朧月夜のように仏の道を順当に歩いているのを羨ましく思っていた。
「朧月夜に尼の装束を、彼女の女房達がまだ慣れない手つきで縫っているようなのでこちらから贈って差し上げようと思うが、袈裟などはどのように縫うものかお前が指示してやってくれ。一揃いは六条の花散る里が縫い上げてくれよう。あまりにも尼の装束というはっきりした物よりも少し見栄えの良いのを考えてくださいね」
と言って紫には薄墨色の装束ひと揃いを作るように源氏は命じた。ただ、紫が病み上がりのために内裏の蔵人所に属し、宮中の調度などを作成している「作物所」の職員を密かに呼び寄せて作業をさせた。尼としての諸道具を始め要りような物総てを造らせた。茵・
上蓆・屏風・几帳などをこっそりと特別に急いで造らせた。
このようなことで山に籠もった朱雀院の五十の祝賀の件も延期になり秋にということになったのであるが、八月は丁度夕霧の母葵上の御祥月で、奏楽所の世話をするにも夕霧自身が忌む身となるので都合が悪いであろう。九月は朱雀院の母后で、昔の弘徽殿女御の亡くなられた月であるので、では十月ではどうであろうとしたら、三宮の出産予定もあるので、それも駄目と言うことでまた延ばすことになる。柏木の夫人となった二宮はその十月に朱雀院を里帰りとして訪れた。柏木の父で先の太政大臣は息子の舅として嫁の里帰りを恥ずかしくないようにと懸命に世話をして細かいところまで注意をして美しい儀式とした。外に出ることもなく家に籠もっていた柏木もこの日は気を改めて朱雀院を訪問した。柏木は病がちに過ごしていた。三宮もまだ柏木のことから妊娠したことを気が引けて、つらいとばかり、思い悩むためか、身重の月が進むにつけて苦しそうにしているので、源氏はその姿を見て、柏木のことは別として、三宮が可愛らしく弱々しく長い間こんな風に苦しむのを、
死にはしないかと、いろいろと悪い事ばかりを考えて心配しているのであった。
源氏は、紫上や三宮の病気のための御祈祷などで、あれこれと事が多くて今年一年は諸方面に失礼する事が多かった。朱雀院は娘の三宮が体調を崩した事を聞き、可愛い娘が恋しいと思っていた。源氏が最近三宮をかまってやらないと朱雀院の者が院に告げたので、どうしたのであろう源氏によく頼んでおいたのにと、胸が痛くなり、源氏と三宮との夫婦の仲についても、源氏の冷たい扱いを悲しく思い、紫が病重くあった頃は源氏が紫の看病に付きっきりで三宮はほったらかしであると、聞いても、それは仕方がない事だと思うのであるが、やはり娘を放っておいてと腹を立てていた。紫が回復した後も三宮の方へ源氏が出かけないという事は、三宮に何か不都合でもあったのであろうか、三宮自身は知らない事で、誰か付き人の謀で三宮の身になにかあったのであろう、内裏の内でも歌など風流をやり取りする男女などにも、いつの間にか男女の仲となって添い寝をしたという不義があると、噂を聞くが、と朱雀が言い出す事は出家をし世の中の細かい事などは捨ててしまったにもかかわらず、娘の事となるとなお俗世界から離れる事が出来なくて、詳細な文を三宮に送る。その文が三宮に届いたときに丁度源氏が三宮の許にいて、朱雀の文を読むのである。
「私はつつがなく過ごしています、こちらかは話す事もなく文を差し上げなくて申し訳ない事です。何事をするでもなくて年月のみが過ぎていくのは本当に寂しい事です。お腹に子供を宿してから体の調子は如何ですか。あなたの事を詳しく聞きまして私は毎日の讀経の際には貴女の事が念頭に浮かんできます。容体は如何ですか。夫との間が寂しく辛い事があっても心を静めて落ち着いた気持ちで過ごす事です。源氏様に嫉妬するような素振りなどを、只自分の考えだけで決めつけずに普通に接するのです。凡そ気づいているような風をして、それとなく当てつけるようにする事は、女としては本当に品位のない行動というものです」
というような内容のことを三宮に教え諭していた。源氏は文を読み、朱雀が可哀想で気の毒でもあり、また自分も苦しくて、三宮が今回の情ない柏木との秘密の情事の結果妊娠したことを、朱雀院が御知ることはないと、三宮を一人にしたことを自分の怠慢として、人に聞いて自分を不満に思うのであろう、とばかり源氏は考え続け、そうして三宮に、
「このお返事を貴女はどのようにお書きになりますか。お父上の辛いこの文を読んで私も本当に苦しく思っています。貴女のことを大切に思わなということが私にあっても、貴女が冷淡な女であると他人が見咎める程の事はあるまいと、私は考えております。二人の間が冷えてしまっていると誰かがお父上に告げ口したに違いないでしょう」
三宮は源氏の言葉を聞くと自分の行動を恥じて、源氏に背を向けてしまう。その恥じらいの姿が源氏にはまた可愛いしぐさだと思われるのであった。三宮は痩せて物思いに沈んだ姿は何となく優雅でもあった。
源氏は、三宮の子供のような思慮の浅い心構えを、父朱雀院がよく承知しているので、心配しているのであろうと、文を見て思うのであるが、気掛りであるので万事に、気をつけなされよ。
と言うようなことを告げてから、源氏は思いきって
「このようなことは言いにくいのであるが」と前置きして源氏は三宮に、
朱雀院の気持ちに自分の行動が反すると言うことをお聞きになったとは、気詰まりで心が晴れない。
本当のことを朱雀院には伝えられないから貴女にだけ言っておこう。
作品名:私の読む「源氏物語」ー53-若菜 下ー4 作家名:陽高慈雨