私の読む「源氏物語」ー52-若菜 下ー3
このまま帰ることも出来ずに往生している。
待つ里もいかが聞くらんかたがたに
心騒がすひぐらしの声
(私を待っている紫もどう思ってこの蜩の声を聞いているであろうか、三宮と紫とどちらに行こうかと私の心を悩ませる蜩の声である)
返歌をして源氏はどうしようかと考え躊躇して、やはりこのまま帰っては三宮に冷い感じを与えてしまうと気の毒であるから、帰るのを止めて三宮と添え寝して六条院へ泊まった。源氏は心が落ち着かない、紫のことが心配である、夕食は果物ばかり口にして三宮と床を共にした。彼女は自分の妊娠も忘れて源氏に激しく愛を求めた。
源氏は朝の涼しい間に二条院に出かけようと、早めに起床した。
「昨夜は檎扇をどこかに落して困った。この檜扇は、どうしても風が弱くなまぬるいなあ」
持っている檜扇を下に置き、昨日三宮と共にうたた寝をした昼の部屋を何気なく見渡している、三宮の布団の下に少し歪んでいる端から、薄緑色の薄様である文を巻いた端が見えたので、何かなと引き出して見る。男の手の文であると源氏は見た。たきしめた紙の香などは臭いがきつく艶めいていて、意味ある恋文らしい文面でありそうだ。紙面を二枚使って細々と書いてあるのを読んでみると間違いなく柏木の筆蹟であると源氏は判別した。髪を梳るために鏡を開いて源氏に勧める女房は、源氏の手にしている文が、まさか柏木から三宮への恋文とは知らず、小侍従がこの様を見て柏木から来た文の紙の色だと分かり胸がどきどきして潰れるように驚いた。源氏が朝粥を食するときに傍らに侍る小侍従は源氏を見ることが出来なかった。彼女は、あれは昨日の柏木の文ではない。もしそうであったら大変な事で、そんな事はあるはずはない。姫はきっと隠されたであろう。小侍従は三宮がそんな迂闊なことをするとは思わない、と信じて心を静めた。三宮は何も知らずまだ寝ていた。源氏は、三宮はまだまだ子供である。自分が見つけたから良いようなもの。女房にでも見つけられたら、どんなことになったかと、思いながらも、三宮をはしたない女とみて、やはり、思った通りなのであったなあと、彼女の考えの浅いところの証拠を見たような気がして、奥ゆかしい所がない思慮の浅い性格を、心配な事であると、考え込むのであった。
源氏が六条院を離れたので、女房達は三宮の前から去っていったので侍従女房が三宮の側に寄っていき、
「昨日の柏木様からの文をどうされました。今朝方貴女がお目覚めになる前に源氏様がよく似た色の紙をお持ちでしたが」
と尋ねたら、三宮は、大変なことをしたと思ったとたんに涙が止めどなくあふれてくるのを小侍従は見て気の毒に思うが、なんと馬鹿なことを、言う言葉がないと、三宮を見ていた。それでも小侍従は、
「どこに彼の文をおかれたのです。女房達が来ましたから、わけがありそうに三宮様の側近くに居るのはどうかと思い、御側を離れましたのですが、源氏様がお出でになったのは少し間があってからでしたので、その間にどこへ隠しになったのですか」
「いいや、そうではないのよ。文を見た時に源氏が入って来たから急に隠すところが無くて布団の下に差し込んだのをすっかり忘れていたのよ」
小侍従は三宮の間の抜けた行動に答える言葉がなく、布団の下を探してみてもどこにもその文はなかった。
「大変なことをなさいましたねえ、柏木の君もひどく源氏様を恐れて敬遠され、貴女とのことが少しでも源氏様に漏れるようなことでもあれば、ただ事ではすまないと、慎んで居られますのに、先日初めて逢われていくらも経っていないのにこんな事が起るなんて。すべて貴女が子供のような思慮のない行動で柏木様に蹴鞠の時にうっかりと姿を見られたのであるから、それ以後柏木様が貴女を忘れることが出来ず、逢わす手だてを、ただ話すだけだから頼むと、私にしつこく言われるようになりました。こんなにまで、深入りなさるとは、考えもしませんでした。お二人のためにも文を源氏様に持って行かれたことは、確かに困ったことですね」
乳姉妹の間であるので小侍従は遠慮無くづけづけと三宮に言う。普段から三宮はこの小侍従とは親しいので遠慮のない言葉に別に何とも思わないのであるが、答えることも出来ずにただ泣くばかりである。それからの三宮は気分が悪く、何一つ言葉を言わなくなった。
「このように姫を悩まされるのは源氏様が姫を放っておかれて、今は病気がすっかり直ってしまわれた、紫上の御世話に熱心になりなされた事でよ」
と、女房達は原因を知らないので源氏の行動をひどいというのである。
源氏は三宮が隠していた文を二条院へ持ち帰り どうもおかしいと思うので人の見ない所で繰返し読んでみた。
sんの宮の女房の中に柏木に似た字を書く者がいたかなと、そこまで考えてみるが、文章が華やかに整った深みがあり柏木の文章であると確信できるてんもある。文面に、長年三宮に恋いこがれているところにたまたま本望が叶ったので、その後逢わないでいる間の自分の気持ちを書き表している文章は、本当にしみじみと読む者の心にしみるけれども、懸想文は本当にこんなにはっきりと懸想文と分るように書くものであるのであろうか、柏木程の人物が懸想文を、女の迷惑のことも考えずに書いたものであるよ。秘密の文というものは人手に渡る事があるものでと、昔は自分も思ったから、事細かな事柄は、紛らわして書いたものである。用心深く文章を書くというものは大変な労力が要るものであったっけなあと、かんがえながら、三宮の軽率な秘密の文の扱い方とその上、あの柏木の心構えまでも、源氏は見下げていた。さて三宮をどうしようか。彼女の妊娠という珍事も、柏木との情交の結果なのであるなあ、さても情けないことよ。人からでなく直接このような秘密の事実を見つけてしまったと、これから知らぬ振りをして今まで通りに三宮を世話するか、昔通りにはとても出来まいと、思うのであるが、遊びだけの女であると気にもとめない女でも、他の男に心を通わしていることもあろうと、思った時には不愉快なことでこの女から次第に足が遠のくもので、まして今は三宮という自分の正妻のことである、他の慰み者の女とは違う。我妻三宮に懸想するとはとんでもない無礼な柏木であることよ。帝の妃と情交を交わすというとんでもない男も昔にあったが、それとこれとは違う。宮中に勤務すると言うことは男も女も、同じ主君に親しく仕えるのであるからその間に自然と馴れ親しんで互いに心を交わし体も求め合うようになることは多いことである。例え女御、更衣といっても身持ちの良い物ばかりではない、軽率な者も混じっている、そのために時として間違いを起こすことがある、がしかし、はっきりした過失が露顕しない間は、そのままで宮仕を続けるから、公にならない事件も多くあろう。
さて三宮は正夫人として自分は大事に扱い、気に入っている紫よりも、この三宮を、可愛く震央として大切な方
作品名:私の読む「源氏物語」ー52-若菜 下ー3 作家名:陽高慈雨