私の読む「源氏物語」ー51-若菜 下ー2
殊更父君の御寵愛を受け、そのような生活から源氏に嫁して自分より遙かに身分の低い源氏様の女に囲まれて不愉快なことも多いことであろう。その間のことを小侍従はよく承知しているのであろう、この世は不変ではないころころと変わるもの。自分勝手に心に納めて、どっちつかづなことをいいなさいますな」
「人から情けない夫婦生活とけなされなされている三宮姫の御境遇であると言って、今更結構な男の方へ、再婚なさることは出来ないでしょう。源氏さまとの関係はお歳も離れておいでですので世間普通の御夫婦仲とは言えないと思うのでありますが、ただ結構な後見者がなくては三宮姫は世の中に漂っているようであり、源氏様を親とも婿ともと朱雀様はお考えて殿の許へ送られたので、源氏様と姫は互いに親子のような関係であると思っておいでであるでしょう。その辺のことを悪く言われる貴方はどうかと思いますね」
「源氏様のお囲いの婦人達から馬鹿にされておられる三宮姫の御境遇であると言って、今更結構な御方の所に、再婚なさる事のできるものではござりませぬ。源氏様との関係は、世間普通の夫婦仲とは言えないと思いますが、しかし、結構な方の後見がなくて三宮姫が世間から馬鹿にされるよりも源氏様を親代りとして世話を頼もうと、朱雀様が源氏様に託されたのである。だから源氏様と姫は見たところいかにも親子のようにお互いに思っておられるのでありましょう。柏木様のおっしゃることは悪口としか考えられません」
小侍従は柏木とはかって体を交わし、彼が独り身であるときは自分の部屋に夜には来て添い寝したことも数多くあり、今でこそ歳も取ったし、二宮と結ばれたこともあって通いがないので諦めてはいるが嫉妬心はまだ心の隅に遺っていたので腹が立ち柏木にづけづけと言う、柏木はそれを色々と言いくるめて、
「本当は毎日あの立派な源氏様を見慣れているので三宮の心の中には私のような者はとんと存在しないでしょうから、こんなみすぼらしい私にお会いになるようなことはないとは思っています。だが私は物を隔ててでも良いから一言だけでも話すことは姫にとってなんということでもあるまい。神仏に願いを懸けることが罪なことでもあるのか」
と柏木が本気になって言うので小侍従はすかさずそんな無理なことは出来ませんと言い返した。しかし彼女はまだ若い、考えることも浅いものであるから柏木がこのように命にも替えてと熱をこめて頼むのに耐えきれず、
「もし何か隙でもあれば考えてみましょう。源氏様が不在の時は姫の御帳台のまわりに、女房が多勢伺候して近いところには女房頭の厳しい方が付いておられます。何とかこの方の不在の時を見計らってみましょう」 と柏木に言いつくろって六条院に帰っていった。
その日以後小侍従は毎日柏木から、まだかまだかと急き立ての文をもらう。困っているところに好機がやってきて柏木に手紙で知らせた。柏木は目立たぬ姿をして喜び勇んで六条院へやってきた。こんな事をしてはならないと柏木は思うのであるし、またこの後で却って悩み事が深くなるということを考えもしないで、ただ、七年前の六条院の蹴鞠の時に唐猫が御簾をはねたときに三宮姫をちらっと見たその三宮の衣の端の色が月日のたつにつれて、ほのかに見かけただけでは物足らずはっきりした色をという思いを三宮に告げたならば何か一言でも返事がもらえる、又は姫がこの自分を気の毒にと思うであろうと、柏木はかってに思っていた。四月十日のことである。賀茂祭りの禊ぎが明日であるという日に六条院から齋院に手伝いのために位の低い若い女房十二人、女童が選ばれそれぞれ縫い物をしたり化粧をしたり、禊ぎ行列を見物しようと考えている女房もいてそれぞれ忙しく準備に余念がない、そのため三宮の近くに侍る女房の数が少なくなってしまった。
三宮の一番近くに侍る按察 の君という女房も恋人の源中将が無理矢理呼び出すので自分お部屋に下がってしまい三宮の側には小侍従一人になってしまった。これは良い機会であると彼女は柏木を呼んでそっと、女三宮の御帳台の東側の御座所の端に柏木を入れた。これは少し小侍従は出過ぎたことをした。
このような状況を知らない三宮は普段通りに下着の単衣になって床に入ったが、何となく男の気配がするので源氏様がお出でになったのかと思っていたが一向にそれらしい様子もなく、男が畏れ謹んだ態度を示して、御帳台の浜床の下に女三宮を抱き下し申上げた時に姫は鬼でも来たのかと、恐ろしいが強いて上を見上げると源氏ではない男であるのに気がついた。抱き下ろした柏木が何かを言うのであるが三宮には何を言っているのか分からなかった。彼女は驚きあきれ、気味悪くなって、女房を呼ぶのであるが側近くに誰も伺候していないから、彼女の声を聞きつけてはせ参じる者はいない。わなわなと顫え、水のように冷汗までも流れて何も考えがつかない、全く気の毒であるがその恐怖の姿はまた可愛らしげである。
「こんな身分の卑しい私ではありますが、姫からこのように嫌われるとは思いませんでした。私は以前から姫には身分不相応な恋心がござりました、そのことを誰にも言わないで、この私の胸にじっと隠しておきましたならば、心の中で腐らしてしまってそのまま、きっと過ぎてしまったでしょう。なまじっか、意中を漏らしてしまい、しかも、姫のお父上朱雀院様もそのことを聞かれてしまわれましたが、日にちが過ぎても、承知出来ないとも仰せられないので、私は貴女のことを頼みに思い始めました、そうして私が物の数でもない、一段と低い身分のために、源氏様より遙かに深い貴女への愛を無駄にしてしまいました。今になってはどうすることも出来ないこの私の思いですが、あのときの貴女への情熱は年月が過ぎるほど悔しく辛く、姫を手にした源氏様が高い位の方であるので貴女を恋していることは恐しいことではあるが、それでも貴女のことが忘れられず、色々と思いを込めているうちに私は自分の気持ちを抑えることが出来なくなったのです、このように貴女に夜這いをかけるようなことをして、思いやりのない恥ずかしい行動をしてこれ以上の罪なことは無いと自分では思っております」 と言うのを聞いていて三宮は、この男は柏木だと暗い帳台の中で柏木の胸に抱かれながら分かって、意外な男がと、恐ろしく答えることが出来ないでいた。
「姫は恐ろしいことと思っておいででしょうが、人妻を恋することは世の中では珍しいことではありません。その気持ちがお分かりでないようならば私はますます貴女を積極的に攻めまする、私の心を、そうなのかと哀れんでくだされば、その言葉をお聞きして私はこの場を退散いたします」
と柏木は三宮に言いながらも少しづつ強く抱きしめていった。柏木の腕の中の感触は姫は案外とほっそりとした女である、というものであった。夜のことで顔や着ている衣のことははっきりしないが、あの御簾を猫がまくり上げ偶然三宮を垣間見た折の彼女の顔はふっくらとしたと見た感触が未だにあり柏木は彼女がもう少し肉付きのいい女と思っていたので意外であった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー51-若菜 下ー2 作家名:陽高慈雨