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私の読む「源氏物語」ー51-若菜 下ー2

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「だいたいあらゆる習い事いうものは、その習い事をしっかりと習練すれば、その腕前は、どんな芸でも熟練の域に達するのであるが、そうなると如何なる芸事も頂点というものがないと、自然に分かってくるものである。だから人は芸を達成することは絶対出来うることでないと言わなければなるまい。しかし練習を重ねればそれだけのことはある。けれども、その道の奥義を極めた人が、この世間にあんまりいないから、その道の端を学んだだけで自分は習熟した者であると満足しているのであるが、七絃琴というものは演奏するには面倒で弾くのは難しい。七絃琴というものは押さえる壺というか所謂定石というものがなく、先輩が教えるままに学び取った昔の人は、色々な演奏の方法を考案して合奏をする楽器が、七絃琴の音の中に調和し琴を演奏する者が身分が身分が賎しく貧しい者もその演奏の巧みさによって高い身分に取り立てられ、財産も貯まり、世間に認められる例が多いのであった。
 七絃琴を我国に伝えた者は、この七絃琴の楽器としての良さを分かっていて、長い年を見知らぬ外国でこのことの技を覚えるために暮し、この地に命を捨てるものと、覚悟を決めてまでもこの琴の技量を習得しよう、と宇津保物語の中の俊蔭巻の俊蔭漂流談に詳しく書かれている。まあそのように難しい楽器であるが、今言った宇津保物語に七絃琴の音は時節でもないのに、演奏すると霜や雪を降らせ、と古い昔の出来事として書いてある。七弦琴はこのように最高の楽器として伝授する人がなく、たとえ演奏する人があっても昔の曲のどの部分を演奏しているのか片端も残ってはいない。たしかに演奏を聴いていると不可思議霊妙な音色のせいであろうか、七弦琴に鬼神が音色に魅せられそのため演奏家の中には不遇になった人がいるということも聞いたことがある。その後は、良くない禍がある、とかいうけちなことがつけられてて、演奏法が難しい上に呪いのようなことが言われるものだから、現在では演奏する者が少ないと聞いている。

 さて、調律をする基準にどの楽器を主にしたらいいのであろう、七絃琴の衰えたように世の中が進むにつれてすべての事が衰えて、あっけなくなって行く世の中に、一人だけその世間の人から離れて理想を抱いて、シナ・朝鮮と、外国を当てもなく迷い歩き、親や子と別れるような事をして宇津保物語の俊蔭は七弦琴の奥義を極めてきた、世間でいうひねくれ者ときっと呼ばれたであろう。現代でもそうだよ、だが、普通にこの七絃琴の道を一通り理解するだけのことはしておくがいい。調子一つ秦法を完全に弾きこなす事だけでも底の知れない難しいものであるという琴であるけれども。
 色々の調子や、面倒な大曲がのいくつかを、かつて熱中していた私の時には、この世にある限り又ここ日本に伝わっていた譜という物のあるだけを、残らず見比べて、師匠とする人もいないので、上代の人には匹敵しそうもあるまいと思うよ、ねえ。
 現在でもこの七弦琴の現状は寂しいものである。まして今後私の死後はどうであるか、私の秘法を伝えるような子孫もない事が本当に寂しく思っているよ」
 と長い話を夕霧に聞かせると、聞いていた夕霧は、自分が後継者になれないのが申し訳なく残念に思うのであった。
「明石女御の子達の中に音楽が好きで何か器楽を習いたいと思う者があれば、いかにもその時にそれも、その時分まで私が生き長らえているようであるならば、僅かな曲であるが奏法の全部を子達に伝授し申上げよう。二宮は何となく音楽の才能があるように見えるがな」
 というと明石上は光栄に思って涙ぐんで源氏の言葉を聞いていた。 
 明石女御は箏の琴を紫に任せて妊娠のせいか横になったので紫は自分の前にあった和琴を源氏の前に置いて演奏し始めたので内輪同士の打ち解けた遊びとなった。葛城を演奏する、催馬楽の唄は
 葛城の 寺の前なるや 豊浦(とよら)の寺の 西なるや 榎の葉井に 白璧(しらたま)沈(しず)くや 真白璧沈くや おしとと とおしとと しかしてば 国ぞ栄えんや 我家らぞ 富せんや おおしとと としとんと おおしとんと としとんと
(訳)
 葛城の寺の前だよ そう、豊浦の寺の西だよ
 榎木の葉陰の井戸に 真珠が沈んでるよ 真っ白な真珠が沈んでるよ おしとと とおしとと そんな風だったら さぞ国は栄えるだろう 我が家も富豪になれるだろう おおしとと としとんと おおしとんと としとんと

 華やかに演奏し、おもしろおかしく歌う。源氏は興に乗って再度唄う、その声はのびのびとして例えようもなく美しい。十九日の月がやっと出始める頃花の色や香りが月影に誘われるように輝き一帯に漂う匂い言うことのない夜景となった。
 十三絃の箏の音は、明石女御のは可憐で女らしく、母の明石の上に似た左手で弦を揺する「揺」の音が深く澄んだ響きをたてたが、紫のはそれとは変わってゆるやかな気分が出て、聴き手の心がほっとするほどのゆとりがあり、独特の演奏法であった。合奏の終わりに近づくと呂の調子が律になる所の弦の響きがいっせいにはなやかに現代風となり、琴は五個の調となる、いろいろな琴の奏法の中で「五個の調」は「掻手(かいで)・片垂(かたたり)・水宇瓶(すいうびょう)・蒼海波(そうがいは)・雁鳴(がんめい)」の五奏法で、五つの調べの中の五、六の絃のはじき方をおもしろく三宮は弾き少しも未熟と思われる点がなく、よく澄んで聞こえた。春と秋その他の色々な条件の下で演奏するのには弾き方を変化しなければならない、そのことをしっかりと源氏が教え込んだのを誤りなくしっかりと体に覚えこんで弾いているのに源氏は嬉しく思った。小さい孫たちが熱心に笛の役を勤めているのをかわいく源氏は聴いていた、
「お前達はさぞ眠たかろう、ご苦労だったね。
今夜の合奏は時間をかけないでほんの暫くの音あわせで止めようと思っていたのであるが、あまり見事な演奏でどれかまずい曲でもあったらそこで止めようとしていたのだが、いずれの曲も見事な演奏で中止することが出来なかった。私もどの曲が良いとか悪いとか耳が敏くなく、善し悪しの判定が出来ないままに夜が更けてしまった。情けないことよ」
 と、笙の笛を吹く玉鬘の長子に杯を差し出して慰労のためと衣を脱いで肩にかけてあげた。夕霧の子供は横笛を担当していたのだが紫から模様を織出した織物の絹の細長に、袴などを添えて、はいご苦労様と渡した。夕霧には三宮が杯を挿しだし自分の装束一揃いを差し出した。
 それを見て源氏は、冗談のように
「けしからぬ事である、琴の師匠の私をさいおいて夕霧にとは、師匠の私をもっと丁寧に扱ってもらわねば。後廻しになさるのは、嘆かわしい事である」