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私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1

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 とよい賽の目の出るのを、祈るのであった。 入道となった朱雀院は熱心に仏道修行をしていて政務のことなど一切耳にしなかった。毎年春と秋とに、天皇が父帝と母后との御所へ行幸なさる「朝覲の行幸」だけは昔を思い出す材料となっていた。三宮のことだけは頭の中に未だに心配事としてあり、見捨てる事ができなくて源氏に任せきらず、何かと口出しをするのであるが、この源氏をやはり表面だけの後見人として、三宮の事について内々で注意して下さるように三宮の兄である現在の帝である今上帝に依頼をするのである。三宮は二品に昇叙されて、所領の封戸などが加わる。二品は二位ということであるから彼女の勢いはますます華やかなものとなる。紫はこのように三宮が明石上や紫上などに、従来より以上に地位が高くなり、世間からの声望につけて、紫上は、源氏ただ一人の情愛で、他の人には引けを取る事はないのであるけれども、歳を取ってしまったならば、源氏の寵愛も衰えてしまうであろうと心配をする。そのような寂しい境遇になる前に自分から出家をしてしまいたい、とこの頃は常に考えているのであるが、しかしこのような自分の考えを源氏に告げたならば、生意気なように源氏が思うであろうと、口に出してはなかなか言えないでいる。帝でさえ三宮に色々と気を遣っているから三宮を軽く扱ったと帝の耳に聞こえることでもあればと源氏は考えたのか、最近の夜は紫と三宮と丁度半々になるような回数になった。これが本来の姿であると紫は思うのであるた。

 このことはかねてから覚悟はしていたことであったが、紫は源氏が自分にへの愛情が薄くなったなあ、予想していた通りである、と心中不安に思うのであるけれども、平気を装って今まで通り源氏と接していた。紫は源氏が現れない夜は明石女御が生んだ春宮のすぐ次の妹である一宮を、大切に世話をしてあげる。一宮の世話で、源氏不在の寂しさを慰めていた。紫は明石女御と帝との間に出来た春宮と一宮姫をこよなく可愛いと思っていた。
 花散る里はこのような孫の世話をする紫が羨ましくて、夕霧と惟光の娘の藤典侍との間にできた三の君と次郎君を呼び寄せて世話をした。花散る里は母親のいない夕霧を源氏の頼みで面倒を見てきたこともあるので、夕霧にたって頼んで彼の子供の面倒を見させてもらったのであった。この二人の子供は少し変わっていて、年の割にませていたので源氏も我が孫を可愛がるのであった。私の子供は少ないと、かって源氏は思って寂しく感じていたが、扇のように末広がりに孫が多く生まれ、この孫達を可愛がり、毎日の退屈を紛らわしていた。   
 右大臣となった鬚黒が、源氏に仕えることが昔より更に熱心になり親しく伺候してくるようになり、彼の正妻北の方となった玉鬘も今では成人して堂々とした奥方ぶりで、源氏もその昔我が家の娘分として預かっていた頃の彼女と何とかして関係を持とうとした考えも今やなくなったのであろう、六条院へ訪ねてくるときも、玉鬘は、源氏に会うのは当然のことであるが、紫上にも挨拶をして仲睦まじく語り合うのであった。
 三宮は二十歳になったのであるが、相変わらず幼稚で大らかな性格のままである。明石女御には源氏は帝に完全にお任せになって、この三宮だけが大層気掛りで、幼い娘のように何くれとなく面倒を見て大切に扱っていた。父親の源氏の兄であう朱雀院から三宮に、
「自分は何となくこの世との別れが近いような気がして、何を見ても心細く感じるようになった。私はこの世のことは一切気にしないでと思い捨てたが、もう一度だけお貴女に会いたく思っている。もしお会いできなければこの世に恨みを遺すようなことになるが、もし出来るならば大層なことではなくそっとこちらに来てくれないか」
 と文を送ったので源氏もそれを見て、
「お年もとられて死ぬことを考えるのも尤もである、朱雀院を訪問しなさい。このような仰せがたとえない場合でも貴女から、当然お訪ねするのが親子の仲である。まして、朱雀院がこんなに貴女に会いたい気持ちを持っているのであるから、私はお気の毒で仕方がない」
 と三宮に里帰りの支度をさせる。源氏は何の理由もなく里帰りもおかしなことである。どんな理由をつけて三宮の里帰りを実現しようかと、色々と考えてみる。源氏は朱雀院が来年五十歳になることを思いつき、若返りのため若菜などを調理して御祝い申上げようかと、五十の賀の際それに寛ぐ時など、その席に応じて着る色々の僧衣のことや、斎戒(精進物)の支度(道具)の飾り付けを、身・口・意の三業を慎む僧侶は世の人と違って食事も慎んで一日一食であるから常人の二食に対して、片膳(かたぞなえ)と言う、そのように色々と違う世界の支度や飾り付けであるから、朱雀院への気遣いを考えて源氏は色々と考えてみる。朱雀院は昔から管弦の遊びが好きであったから、祝賀の日の舞人や楽人を厳選し、その道の最高の者達を呼び寄せることにした。右大臣鬚黒と玉鬘の子供達二人、夕霧の典侍腹の子を加えて三人、さらに夕霧の小さい七歳以上の子供を総て童殿上するようにした。蛍兵部卿宮の孫、すべてしかるべき宮家の子供達や殿上人の良家の子供達も源氏は舞人、楽人として選び出した。殿上人の君達も容姿が整って舞の姿が格別にすぐれている者を選定して、色々な舞を準備した。五十の賀という晴れの朱雀院の祝いの催しに選ばれた人は誰も彼も皆が真剣に練習に励んだ。その方面の指導者は練習に呼ばれて休む暇のないこの頃であった。
 三宮は父親の朱雀院から七弦の琴を習っていたのであるが、若い歳に朱雀と別れたので、朱雀は彼女の技量がまだ未熟であると心配しながらも、
「三宮がこちらに訪ねてきたときにはあの七弦の琴を聞きたい。音楽に堪能な源氏の嫁となったのだから他の和琴や箏の琴は弾けなくとも、源氏の指導で七絃琴だけは充分に弾けるようになったであろう」
 と朱雀は三宮にこっそりと言うのであるが、そのことをどこから聞いたのか帝が、
「若い時父朱雀院から習っただけではそう上手くはないとしても、夫の源氏の指導で今は少しは上達しているであろう。父の前で三宮が精一杯の努力をして琴を弾くような機会に自分も出かけて行って聞きたい」
 と近臣の者に言ってることを源氏が漏れ聞いて、
「最近は当然機会ある度に教えているからね、演奏は少し上達はしたけれども、まだ朱雀院に聞かせるほどの腕ではない。三宮が何も知らずに参上して朱雀院が、琴を聞きたいと、申されたら三宮はとにかく気まずい思いをするであろう」
 と三宮を気の毒に思い、気を入れて三宮に教えていた。調子の違う曲を二つ三つ、色々と感興のある大きな曲など伝授して、さらに四季の移り変りによって、当然変化する調子や空の寒さ暖かさを考えた演奏法を教え、秘曲のあるだけを特に念を入れて教えたので、三宮も初めは頼りなく演奏していたのであるが、練習がすすむにつれて彼女も興味が湧いてきたのか次第に会得して大層上手になった。