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私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1

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 源氏はこのような騒ぎを見ていると昔のことが自然に頭に浮かび、人生の半ばに須磨・明石で逼塞した当時の世間のことを、今、目の前で見ているように感じ須磨や明石時代のことを、打解けて心置きなく話すことが出来る人もないから、退官した前太政大臣で仲の良かった亡き葵の兄頭中将を今この場にいればと恋しく思った。失職して流浪の身であったときに頭中将は須磨まで世間の非難を何とも思わずに源氏を見舞に来てくれた。会場から密かに下がって、尼君の乗っている二番目の車に、目立たぬようにこっそりと乗り込み

 誰れかまた心を知りて住吉の
     神代を経たる松にこと問ふ
(私達の外にまた、誰が昔祈願をかけた事などを知っていて、神代から久しい年月を経ている、住吉の松に、あの当時の事を話しかけるか、そのような者はいない。この神に昔、祈願をかけた事を知っているのは、私達二人だけである)

 と折り畳んで懐中している檀紙書き込んだ。見ていた尼君は感慨に堪えなくてしんみりとなり気を落としていた。源氏の今の世を見て尼君はあの明石の浦で源氏が一言別れの言葉を遺して京に去ったのちに、娘明石の上が明石女御を身ごもっていること気づき、その後のことを色々と思い出すと有り難い自分の運命を考えるのであった。その一方では、この世から離れて仏道修行で入山した夫の入道を思うと恋しくて、思い出すと悲しさがこみ上げてくるのを、悲しい言葉は縁起が悪いと、言葉を選んで、

 住の江をいけるかひある渚とは
      年経る尼も今日や知るらむ
(この住江を、生き甲斐のある浜辺であると言うことは、ここに年久しく住んでいる蜑(尼)も、源氏の盛んな参拝を見て今日はじめて知るであろうか)

 遅くなっては失礼であろうと、尼君は思いつくままに返歌をして更に、

 昔こそまづ忘られね住吉の
    神のしるしを見るにつけても
(昔の明石の頃が何としても一番私は忘れる事ができない、住吉の神の霊験を見るにつけても)

 と尼君は独り言のように歌うのであった。
 夜通し舞楽を奏して遊び通した。二十日の月が海の上に澄み渡って輝き、霜が大層深く下りたので松原も緑が消えて白くなり、その辺りが寒くなってきてますます遊びは熱気を帯びてきた。紫は普段、六条院の御殿の内にいるままで、その季節季節に応じて催される面白い朝夕の音楽などの遊びに聞き飽き見飽きているのであったが、今回の住吉詣でのように六条院の門から外へ出ての物見遊山は殆ど初めてのことで、 このように、都を離れた旅は慣れてはいなくていづれのことも珍しく自然に興味が湧いてきて楽しんでいた。

 住の江の松に夜深く置く霜は
      神の掛けたる木綿鬘かも
(住之江の海岸の松に夜更けになっておりた霜は、神様の懸けなされた白い木綿鬘であろうかなあ)

木綿とは、麻や楮の皮を剥いて水に漬けて繊維を取り、 曝らして白くした苧の類。祭の時に、冠などに懸ける。それを木綿鬘と言うのである、紫はその木綿鬘を歌に詠み込んだ小野篁朝臣の「ひもろぎは神の心にうけつらし比良の山さえ木綿鬘せり」の歌を思い出し、雪の朝の景色を詠い、ますます頼もしくなる源氏を、この雪の景色を今回の源氏の願ほどきの祭を神が受納なさるしるしであろうかと思うのであった。明石の女御は、

 神人の手に取りもたる榊葉に
     木綿かけ添ふる深き夜の霜
(神に仕える人が手にしている榊の葉に、白い木綿がかかったように見える夜更けの霜が白く降りているので)

 紫付きの女房中務の君

 祝子が木綿うちまがひ置く霜は
     げにいちじるき神のしるしか
(神官の持っている木綿に間違えるほど白くおりた霜は、紫上の御歌の通り御願を受納した神の明らかな証拠であるか)祝子は、神主の下役で、禰宜の上に位する神官のことであ
る。
 この後次々に歌が詠まれたが、どんな歌が詠まれたのか記憶にない。こういう時の歌というものは、さも私は歌詠みであると細工して上手そうに詠むいつもの男達も、却って上手には詠めなくて「松の千午」などと祝う文句を並べる以外に新しい趣向もないからこんな煩雑な下手な作品をここに並べ立てることはやめにした。やがて夜が明けて霜はますます多く降り一同は神楽歌の、本歌と末歌とのけじめも、はっきりわからないまでに、酔い過ぎてしまった。元々神楽歌の歌い方は本歌と末歌とがある。本方(左方)は本歌を、末方(右方)は末歌を、互に歌い交わすようになっているのであるが、みんなは酔ってしまい自分がどちらか分からなくなってしまったのであった。神楽を奏する人々は酒に酔って赤くなった自分の顔を知らないで霜で白くなった面白い景色に我を忘れ、庭に焚いた篝火の火影が消えかけているのに
本方、
「千歳 千歳 千歳や 千歳や 千年の 千歳や」
末方、
「万歳 万歳 万歳や 万歳や 万代の 万歳や」
と、手に持っている舞うものを採物と言う榊や、幣(みてぐら)・笹・弓・剣・ひさこなどを振りながら、源氏のこれからの世がますます繁栄するようにと、目出度く歌い舞うのは見飽きぬ眺めである。総てが飽きることなく面白かったが「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鳥や鳴きなむ」伊勢物語、二二段の歌にあるように、まだまだやりたいことが山ほどあるのにあっけなく夜は明けてしまったから一同は、寄せては返す波と競い合って返る支度をする若者達はまだ遊び足りないと残念に思っていた。住吉の浜の松原に列を作って並んでいる車のそれぞれの御簾が風にあおられている隙間から、乗っている女房達の衣装の一部が、常緑の松の蔭に花の錦が咲いたようにと、見えるのにそれぞれの位に合わせた衣装を纏った給仕人が、綺麗なそれぞれ違った趣向を凝らした懸盤を持って源氏以下の人達に召上り物を差上げるのを、下人たちは、じっと見つめて、目出度いことである、と感じていた。明石の上の母親の尼君の前にも香木であを沈香の若木の折敷に、黒味のある青色の青鈍色の表(上敷)をして精進料理を差し上げ
「素晴らしい、女の幸運であるなあ」
 と給仕をする女房達は陰口をたたいていた。 住吉詣での行きの道中はたくさんの奉納品で大変な道中であったが、帰途はそれらも総て奉納し終わり身軽であるのであちこちと見て回りながらの道中であった。どこへ見学に寄ったのかは書くのが煩わしいことで省略する。
 この源氏の住吉社への願ほどきの参詣を、彼の明石入道が見ることも聞くこと出来ない山奥にあることを、娘の明石の上、妻の尼君ともに気持ちが収まらなかった。こんな入道の隠棲は普通の人にはとても出来ないことである、もしこの中に混じっていたならば見苦しいことであったろう、世の人はこの入道を見習ってきっと、望みが大きくなるに違いないと思うのであった。何かにつけて尼君を褒めちぎり世間の話の種として「明石の尼君」幸運の呼び名として人々は口にした。あの大臣を退職した近江の君も双六遊びをするときも、
「明石の尼君、明石の尼君」