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私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1

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 と紫の出家の希望を止めさせた。明石女御は養母である紫を本当の母親のように考えて、実の母である明石の上は陰の世話役として表に出ることを遠慮していることがなんとなく明石上の将来は何事もなく長生きするであろうと,結構なことであると思われる。明石女御の祖母に当たるあの明石の山中に籠もっている入道の妻で、今は仏門に入っている尼君も、幸福な現在を考えると嬉しさに涙をこぼすことがある、目を何回も拭いて赤く腫れさせて、命の長い嬉しげな例と人達に言われて生活していた。
 明石女御の祖父に当たる入道が数多くの願をかけた住吉の社に、そろそろ願ほどきをしなければと、それに併せて明石女御の将来も願おうと源氏は明石入道から娘の明石の上に送ってきたあの願文の入った箱をあけてみると、大げさな願いが書かれた願文が沢山現れた。例えば神を慰めるために行う音楽舞踊である「神楽」を明石入道は毎年奉納した春・秋二回の神楽に子孫の繁栄の祈りを込めていた。なる程源氏のように名門で力のある者でなければ願解きを成し遂げる事のできる大きな願などを、入道は予想してはいないのであった。入道風情には願ほどきを成し遂げることが不可能な事をも、入道は願文に書いておいたのである。立願の後その願いが叶った御礼参である願ほどきが必要であり、弊帛や金銭や物品などを多く報賽(御礼)として神前に奉納するのが常識である。ただ、入道が走り書きのように書いた願文は、学才がありしっかりした文章であるので、仏・神もお聞き入れなされそうな言葉であることは明らかである。どうして入道のような浮き世離れの修行者の山伏が、こんな世俗的なことなどを、思いついていたのであろう、と源氏は読みながら、このような願をかげるのも子を思う愛情からと思って、しみじみと入道が可哀そうにも、又山伏の身としては分不相応にも考え、入道は前世の因縁で、暫く仮にこの世に身を変えて現れている昔の世の行者であったのであろうか、と入道を軽薄な者とは思わず骨のある父親であるとも思うのであった。
 入道のことは表には出さないで源氏は自分の考えで住吉参詣を言い出して出発した。須磨・明石と、浦から浦へのさすらいでかつてなんとなく忙しく心の落着かない旅をした頃の多くの御願どもはすっかり願ほどきをしてしまっているけれども、その後の自分の繁栄を得ることが出来たのも住吉の社のおかげである信じて、紫も共に行列をくんでの住吉参りは世間を騒がす大盛況のきらびやかなものであった。
 源氏は万事を簡略にして、世間の迷惑があってはならないと、行事の省略を命ずるのであるが、準太上天皇として、簡略にするにも限度があるので道中の人々にとってはいかにも珍しく、美々しいのであった。
 上達部も左右大臣を除いて総てが同行した。舞人は、六衛府の次官達(中・少将等)で、顔だちが碕麗であり、背丈が同じで、揃った者のあるだけを、選出して同行した。この選に漏れたことを恥として悲しみ嘆いている芸熱心の者たちも多くいた。賀茂・石清水などの祭に行う東遊の音楽方や謡う人である四・五・六位各四人ずつ十二人のそれぞれ演奏に巧みな楽人達も呼び出した。その上に兵衛府の官人の最も有名な者二人を臨時に加えた。社前で踊る神楽の舞人には大勢が参加した。内裏、明石女御の第一皇子である春宮、冷泉院各殿上人達はそれぞれ各方面に別れて源氏のために用を勤めてくれた。色々と着飾った上達部の馬や鞍、その従者達の衣装、近衛の中・少将などが召使っている少年である小舎人童、牛車の牛飼や、馬の口取などに至るまで、着るものを着飾った様子は、見物人の目を楽しませた。明石女御と紫は同じ車に同乗し、次の車に明石の上、その車に明石の上の母の尼君がそっと隠れるようにして同乗していた。明石女御の乳母もかって源氏が明石に派遣した女であるから今回の住吉参りの理由をよく知っている、明石の上の車にこの女も同乗した。世話をしている女達の車は、紫の上の関係者が五台、明石女御の関係者のが五台、明石上の御方の分が三台、どれも驚く程美しく飾った装束や、車の飾り付けた様子は、言葉に表すことが出来ないほどであった。源氏は明石の上に出発前に、
「尼君を同じ事ならば、嬉しさで寄る年波の皺が延びる程に人並みにめかして参詣させてやろうよ」
「こんなに世間人が大騒ぎしている御参詣に、年寄の尼が仲間入りするような事は工合が悪いことです、もしも春宮御即位などに出会いたいと願っているようならば、長生きしてもらってそのときに参詣させてやりたい」
と源氏をなだめるのであるが、尼君は残り少ない命を思い、この御参詣の様子を、何としても見たがるのでやむなく明石の上は同行させたのであった。尼君の参詣に御供できることは、前世からの運命で、参詣に参加できると、花やぎ騒ぐ人よりも尼君は、参詣に交えてもらえた喜びの果報を噛みしめていた。
 十月、神無月の十日頃になると、社の聖域を隔てるための玉垣に這っている葛も色が変って、高い松の下の木々の紅葉などが美しく、「紅葉せぬときはの山は吹く風のおとにや秋をききわたるらむ」(木々が紅葉しない常盤の山は、風の吹く音に秋の移ろいを聞き続けているのだろうか)と紀淑望が古今集に歌っている風の音ばかりに秋を知るのではない風情である。絃楽器・打楽器と、吹き物などが合奏する仰々しい高麗楽(右)や唐楽(左)の舞楽よりも、笛・篳篥・和琴だけの東遊の、聞き馴れている簡素な楽は懐かしさと楽しさがあって、波や風の音とも上手く融け合い、高い松の木に吹く風の音に相手をするような竜笛(横笛)の音も、普段耳にする音色と違って聞こえ、大和琴に合わせた拍子も、太鼓を使わないで調子を合わせ取る方が太鼓の音が入らないから仰々しくなくて、優雅で物さびて興味深く、住吉社前という場所のせいで外の所よりも一層趣深く聞かれるのであった。もともと東遊に太鼓は使わないのである。舞人の着る小忌(おも)衣に染めつけてある山藍で摺った、薄藍色の竹の節の模様は松の緑に見え、冠に挿す造花の様々の色は、秋の草花と違っている区別をつける事ができなくて、総てのことが美しくて見分けがつかなくなり、「求子」が終る最後に若い上達部は袍の肩を抜いて舞人達と共に庭に降り立ち楽人に混じって踊り舞う。肩抜きした袍の下は、色のはえもなく真黒い上の袍の下に、下襲の蘇芳襲の袖や、葡萄染の袖を着ていたのを突然に袍の肩を脱いだ時に、紅の濃い袙の袂が時雨の降りかかった折に
少し濡れた姿を見ると、ここが住吉の松原なのを忘れて紅葉が散るのかと思われた。こんなに見る価値の沢山ある姿をしばらくは見ていたいものだと思ったときに一同は冠に挿した白く枯れた荻の花の造花を高くかざしてただ一度舞っただけで奥に引っ込んだ、その艶やかさが興味を引き印象に残った。