私の読む「源氏物語」ー49-若菜 上ー4
「お前の父の太政大臣とはよくいろんな事を競い合ったが、蹴鞠のことだけは勝つことが出来なかった。蹴鞠のような主だった競技ではないことは父からの伝授はあるまいけれども、鞠の上手の息子はやっぱりこの上なく勝れたものであるなあ。全く、見ても見尽くせない、いかにも、積り積った年功が見られた」
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柏木は、
「内裏でのおつとめは私はとても他の方について行けません、私が源氏様の言われるとおりに私の家風としてこの鞠技を伝えて行きますとしても、子孫に何の効果もあります」
「どうしてそういう風に思うのかなあ、そうではなくてどんな事でも、外の人と違った勝れたことを、当然私たちは記録に残して後世に伝えるべきものである。蹴鞠の上手である事を柏木の家の記録にもし書き留めておいたならば、子孫はそれこそ喜ぶことであろうに」
冗談を言う源氏が柏木にはすばらしい大人に見え、三宮がこんな美しい男の許に嫁いるのであるから、彼女の心を動かすような男は他にないであろうと思うのである。がしかし、どのような手段・方法で三宮が慕うあまり心を乱している自分を、可哀そうである、と心を動かし好意を持ってくれるほど三宮の気持を、自分の方へ向けるか、柏木はあれやこれやと考えるのであるが、三宮の身分はこの上もなく高く、三宮には到底近づくことは出来ないと、柏木は身の程を自然に思い知らされて六条院から帰って行くのであった。
帰って行く柏木の車に夕霧は同乗して、道々二人は話し合った。柏木は、
「これからも退屈な時は六条院に参り暇をつぶそうか」
「もしも今日のような閑暇があるならば、桜の花の散らないうちに六条院に参れと、父上が仰せられたからね。名残の春を愛でながら、小弓を持ってまた参ろう」
と二人は約束して、互いに別れるところまで話し続けた。柏木はどうしても三宮のことが話したいので、夕霧に、
「源氏様は紫様の許にばかりいらっしゃるようですね、紫様がよほど大事なのですか。それでは三宮がどう思っているでしょうかねえ。三宮は前の帝朱雀院が大変大事にされて成長なさったので、それが習慣になっておられたのに、いまは、源氏様の愛情がそれ程でもなく、沈みこんでおられる様子は、御気の毒なことです」
とはっきりと言う、夕霧は、
「そのようなことはないよ、父は三宮を大事にしているよ。紫様はごく小さい頃より父が育て上げたことから、君にはそう見えるのであろうが、三宮を愛し大事にしておられるよ。何やかやと、色々の事に三宮を大層尊重して、愛しておられるから君の三宮への心配は無用である」
「そのような言訳はなさるな。御黙りなされ、私は内情を、すっかり聞いておりまする、三宮には気の毒なことが度々あるということをね。そうは言うものの、朱雀院からは、この並一通りではない御寵愛があるのにね、源氏様の今の関係があまりにも冷たすぎる」
と柏木は三宮を不憫に思うのである。
「いかなれば花に木づたふ鴬の
桜をわきてねぐらとはせぬ
(どのような理由からか、花から花へと飛びかようって遊ぷ鶯が桜だけを愛して、塒としないのであろうか)
春の鳥の鴬である源氏様がが春の花である桜の三宮様一つだけにとまるべきものなのに、とまらないのはどうしてであろう。三宮様を塒とはしないのであるかな」
歌を口ずさんで源氏の批判をすると夕霧が、「なんとまあ情けないことを言われる、三宮を垣間見たからかなあ」と柏木の気持ちを想像して、
「深山木にねぐら定むるはこ鳥も
いかでか花の色に飽くべき
(春の鳥である鶯は山奥に塒を定めている、だがどうして美しい花の色に心がとまらないことがあろうか)
女三宮にだけを塒にされないのは、紫上始め多くの婦人方があるからしょうがないことである。だから三宮様だけを思い続けるわけにはいかないのである」
と夕霧は柏木の問いに答えて、面倒なので柏木にこれ以上三宮の話を続けなかった。他の話に切り替えて二人は別れた。
柏木は今も一人父太政大臣の屋敷の東の対に住んでいた。皇女をどうしても妻にしようという気持ちがあって、年頃になっても独身で妻がいない寂しさや心細いこともあるが、
自分は、地位とか器量才覚がこれ程勝れていて、どうして思うことが成就しないことはない、と心に決めていて、蹴鞠の日に三宮を垣間見たことにより沈み込みがひどく、物思いに耽る状態で、もう一度あの御簾の隙間からでも良い、せめてちらりとでも三宮の姿を見たいものである、とそのことばかり頭にあり、とにかく、何をしても人目にもつかない普通の身分の人は仮に簡単な物忌や方違の外出も面倒な事なく手軽にできるから、何かのすきを見つけてその姿を見ることは出来る。然し、三宮となると、どうも、そのよう簡単なわけにはいかない、などと、あれこれ考えて苦しむのは慰めようがない。
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「奥深く女房達に守られて住いをする三宮に、どんな手段でも、自分はこんなに三宮のことを思っている、とだけでも知らせたいが方法は絶対あるまい」
と考えると胸が痛くなってくるので、かねてから親しくしている三宮の女房の小侍従に文を送る。
「先日、私は春風に誘われて、六条院へ参上した折に庭の垣の中を分けてはいっていきました時に、三宮様は私を御覧なされて本当にはしたない者と見下げなされた事であったろうと、口惜しく思い、その後は垣間見た三宮様の面影恋しさに気分が悪くなって、只わけもなく毎日物思いに耽って過しております。
よそに見て折らぬ嘆きはしげれども
なごり恋しき花の夕かげ
(よそながら花のような三宮を見て、折ることが出来ないようにとうてい対面は出来ない嘆きは多いけれども、見た後が恋しく、忘れ難く思われる美しい桜の花の三宮の御姿であることよ)」
と書き記して送る。受け取った女房の小侍従は、柏木がたまたま猫が逃げ出して御簾を引き上げた際に柏木が三宮を垣間見たなどということを知らないので、柏木の気持ちが世間一般の人の恋心と思い、たまたま三宮の前に誰もいない時だったので、柏木の文を三宮に見せようと三宮に、
「この太政大臣の息子さんの柏木が、三宮さまを忘れることが出来ない気持ちから、このように言問ひをなさるのは、どうもうるそうござりまする。しかし、三宮様を想う柏木のの様子に、そのまま見捨てておくことが出来ませんのでこのように仲介する気持になりました、私も男の心を知りたいきもちです」
と笑いながら三宮に差し出した。
「小侍従は大層いやらしい事を、平気でまあ言うことよ」
と三宮も平気で文を受け取り中を見る、そうして軽率であった御簾の端を唐猫が引上げた事を、思いだし恥ずかしさに顔を赤くし、源氏が何かのついでに、
「夕霧に会いなさるな、貴女は子供らしいところがあるから、自然に気がつかないうちに夕霧が貴女の姿を見てしまうようなことがありましょう」
と注意されたことを思い出し、夕霧が蹴鞠の日に猫のことから自分の姿を垣間見たような事があったと、もしも源氏に告げることがあったらと、柏木に見られたとは思わずに、
三宮はまず源氏に注意された言葉が気になる。そのようなところはまだ子供っぽいのであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー49-若菜 上ー4 作家名:陽高慈雨