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私の読む「源氏物語」ー49-若菜 上ー4

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楽しそうで、何の屈託もないであろうと思う人に無理して仲間入りをしていると、その仲間に引かれながら、仲間と同一の調子や態度に、誰も平等で差別がなくなるけれども、毎日専ら子供っぽい幼稚な遊びや慰みに熱中している三宮やその周りの女房達の様子などを源氏は本当に不快に見ていることもあるけれども、大らかに一本調子で世の中を見たり考えたりはしない源氏の性質であるから、このような子供っぽい遊びや物言いも、女房達の自由にさせて、「あの者達は、いかにも、あのような事はやりたいのであろう」と大目に見て注意することはなかった。

 しかし源氏の心には艶っぽいところが無く、男の情欲をかきたてることがないので、三宮にだけは自分自身の身の処し方を丁寧に何回も教えたので彼女は大人らしさをいくらか身につけ身嗜みも女らしく艶が出てきた。このように源氏が三宮を諭し教えているのをタ霧は見ていて、すべてが完全に備わった女は世の中に見つけることはたやすいことではないと、気がつくのであった。夕霧は、そうするとあの紫は心構えや態度が、源氏の北方に収まってから長い年月がたっているのであるが、外部に彼女の行動が漏れて出たり、他人に見られたり聞かれた事はなく、しんみりと落ち着きのある性質と、それ相当に人にやさしく、いかなる位の人であっても婦人に対して軽蔑をするようなこともなく、自分自身も品位を高くかつ奥ゆかしく振舞っていると、あの暴風がきた折りに偶然源氏と語り合っている紫をかいま見たことが思い出された。夕霧は自分の妻である雲井雁も大変に出来た女で可愛いと思うのであるが、どこと言って性格や行動に特徴があるというものを持っていない。夕霧は雲井雁を結婚まで大変だったことから、おだやかな性質の彼女を毎日見ていると、安心できる女と、気が緩んで、そんな気持ちでこの六条院に集まっている源氏の女達を見るにつけてそれぞれに違った趣があって美しいと思うのであるが、雲井雁を一途に愛することが出来なくなったのであろうか、彼は三宮を見ていると他の婦人とは身分が特別に違うにもかかわらず父源氏の三宮に対する寵愛が、他の婦人と特に区別している様子もなく、人が見ているときだけは特別に宮を愛しているという行動を取る、そんなことを知ると夕霧は、三宮に特に逢おうという気持ではないけれども、三宮見ることが出来る機会があるであろうかと、他の源氏の女も見たいのであるがそれにもまして三宮を見たくてたまらないのである。
 衛門督である雲井雁の兄柏木は朱雀院に常に参上して源氏の兄である朱雀院とは親しくしていたのであるから、この源氏の正妻となった朱雀の娘三宮を非常に大事にしていたのをよく知っていたからかつて、三宮の婿の話が出た頃に、朱雀院に自分の気持ちを伝えていた、朱雀院も、柏木の申出を別に驚きもしないし反対のことも聞かなかったので、三宮が突然のように源氏に嫁がれたことが残念で胸が痛み、まだ三宮をあきらめきってはいなかった。そういうことから、かって朱雀院へ通う頃に親しくなった三宮付きの女房で小侍従という者から三宮の消息を聞いて気持ちを慰めていたのであった。
 世間の噂では、源氏の北の方である紫の勢いには、三宮も押されてたじたじであるそうな、ということを柏木は聞いて、自分に嫁していればこのような目には遭わさないものを、三宮は身分高い人で私のような者にとってはとても近寄り難い人であるものなあ、と事あるごとに小侍従の女房に愚痴って、源氏がかねてより出家をしたいと言っているのを知っている柏木は、そのときが早く来るように願い、その折はすかさず三宮に近寄りたいと考えて小侍従の周りを常に歩き回っていた。
 三月に入って空が晴れた気持ちの良い日に源氏の六条院へ蛍宮や柏木が参集した。源氏は、
「このごろは静かに日を送っている。こんな時は退屈で何をして良いか気を紛らすことがない。なんぞ表向きや私事に問題になるようなことはないのかな。さて、何をしようか」
 と言いながら傍らに控えている者に、
「今朝夕霧が来ていたようであったがどちらにいるかな。静かすぎるので夕霧に何時ものように小弓を射させてみればよかった。小弓が好きな柏木などが来ているのに、夕霧と一緒に弓を引けば、残念なことに夕霧は帰ってしまったか」
 と問いかけた。
「夕霧大将は丑寅の町にて蹴鞠を遊ばしてます」
 と花散る里の住む東北の区画に夕霧がいることを告げる。
「蹴鞠はあちこちと鞠を追って乱雑に飛び廻る遊び事であるが目が醒めるもので面白い。蹴鞠は簡単なようであるが運動の才能が無くてはならないものであるなあ。どれ、みんなこちらへくるように」
 と言って夕霧に使いの者を差し向けたので、やがて蹴鞠をしていた夕霧達は源氏の前に現れた。一行には公卿の若い息子達が多く集まっていた。
「鞠はもって参ったか、いずれの方々がお集まりかな」
「あちこちの家の方々が集まっています」
「こちらへ皆参ったかな」
 と源氏は夕霧に尋ねると、明石女御(桐壺女御)は、若宮を連れて、内裏に行ってしまた後であるから、寝殿の東面は、人のいないひっそりと静かな所になっているので、遣水などの合流する所が、蹴鞠に頃合いの場所であると、一同を源氏は案内する。中でも太政大臣の息子達の頭弁・兵衛佐・大夫君など柏木の弟達は歳に関係なく幼年の者も、蹴鞠の技は人より勝れて上手である。

 春の日がやがて暮れていく頃に一同は、風も収まり蹴鞠に好都合と源氏の前で蹴鞠を楽しむ、それがあまりにも楽しそうなので柏木や夕霧も参加したいのを我慢しきれずに、蹴鞠に加わりたいと思っているのを源氏が、
「太政官所属の弁官でも、落着いている事が出来きないようであるなあ。そうであるから、
上達部である公卿であっても、衛府の年若い役人達は蹴鞠に加わって大騒ぎをしている。私はこの歳だから若い頃に蹴鞠に加わりたくとも蹴鞠は下品なことと言われて参加することが出来なかった。それが悔しくてたまらなかった。そうはいうものの、蹴鞠は、上品さのない遊びで、身分の高い人の遊びとしては軽薄なものであるよなあ、蹴鞠のこの様をみるとねえ」
 と言うのであるが、夕霧も柏木もこらえきれずに庭に降りて蹴鞠に参加する、思わぬ事に庭の桜の蔭で遊ぶ貴人達の蹴鞠に差し込む夕日が綺麗に映えて、蹴鞠という遊びは源氏も言うようにあまり体裁もよくなく動作は勿論静かでもない無作法な騒がしい遊びのように思うけれども、場所や参加している人により優美にも見えるものである。風情のある六条院の庭の木立の霞が大層立ちこめた所にと咲き誇る桜の花や、少しぱかり芽生えた薄い緑の芽の蔭で、蹴鞠のようなつまらない遊びであるけれども、お互い技の巧拙を競いながら、我こそは上手である、それぞれが思っているその中に柏木が混じり少しばかり技を見せると、とても他人は足元にも及ばないほどの足技であった。柏木は無作法にならないように、身嗜みに気を使って動いているのだが、それでいても相当に乱れている状態は、風情があって美しく見える。寝殿の正面である南面の階段脇の左近の桜の方に蹴鞠の動きが、東から西へ移りつつ、桜の花も忘れて真剣に蹴鞠に取り組んでいるのを、源氏や蛍宮が東の隅の高欄まで出てきて見物していた。