私の読む「源氏物語」ー49-若菜 上ー4
「この入道の願文には、これとは別に私も取添えて奉らねばならぬ願文が必要です。私の願文の内容はその内に又お話しいたしましょう」
と娘の明石女御に言う。さらに、
「今はこの文によって昔の事がはっきりしたのでこの明石の上がおまえの本当の母であるとわかっても、紫上の心情を思い疎略に扱うことがないようにしなさい。当然親子兄弟や夫婦の間柄は当然親密なことであるが、他人が一寸した同情を寄せたり、又は一言の好意のある言葉をかけてくれるのは、並一通りの事ではない。本当の母である明石上が、おまえのに、付添うて世話し続ける姿を、紫は目の前に見ながらも、おまえが実の母のことに気がつくまで紫上だけが世話していた最初の頃の気持を変えることなくむしろ以前にもましておまえのことをひどく気にかけている。昔から言うように継母が、表面だけ継子を大切に養育する様子を見せるが、腹の中は違う、とあるように、もし継子が知恵のある子供で継母の心中を見透かすことがあるとすれば、やっぱり、自分のためには、継母の腹の中を見透かしていても考えつかずに、継母に隠し隔てなく慕うならば、腹黒い継母も、継子がこんなに純情なやさしい子では、どうして憎む事ができようと、考えをあらためてしみじみと愛情を持つことになれば、仏罰を受けてもいい今までの邪見の心が、改心する事もあろう。
古い昔の事で並々でない忘れることが出来ない仇のような憎しみがあれば別であるが、そうではない人というものは、お互に相手の言う事、考方と違う点が、あれこれと沢山あるけれども、一人一人が言う事考える事が、その中のどちらであっても正しい場合には、自然に二人の関係は好意ある状態で続いていくと思うのである。継母・継子の関係もこのようなものであろう。何でもない些細な事に目くじらたてて相手に難癖をつけ、離れてしまうような心の人は、とてもうち解けて交際する事は出来ない、どうも同情とか、才覚のし甲斐のない事であるであろう。こんな人は多くはないが私の見るところ、趣味風流の点といい、その外、そう気にすることはないと思うような程度の考え方の違いは、人々によって当然、様々あるように思う。それぞれは各自得意な点があるので、取柄がないのでもないけれども、そうかといって特にその中の一人を選んで自分の妻にしようと考え、真面目に選ぶような場合にはまたとても自分の意に添わない。本当に、気立てが良くて立派な人であると言っても良いのは紫を置いて他にない。紫は本当におおらかな性格の女である。ただ少し開けっぱなしであるのが妻としての威厳がかけるのが残念なところもあるが」
と源氏は紫を褒めて、正妻となった三宮のことは意中にないようであった。
「明石の上そなたは、物ごとの事情を理解しているからそれでも、気の大きな珍しい紫上の気持ちをくんで、共同でこの明石女御の後見役を果たしてくれ」
と明石の上に静かに言い含める。
「私には何も言われないのですが、紫様の綺麗な大きな性格を私は毎日ともに女御の世話をしていて充分存じ上げております、私を目ざわり女と考えなされておられるならば、これ程までに私のことを目に掛けて下さるはずがありませんこと、恐縮する程まで私を人並に扱っていただき、私はどうして良いか困っております。物の数にも入らぬ私が死にもしないで世間体の悪い身を晒していることは、明石女御のためには大層つらく、気恥ずかしく、私には自然にそう思うのですがぽろも出さずにこのように生きておりますのも、紫様に始終かばって頂いているからなのでございます」
「明石の上よ、私はそうは思わない、紫にはお前が思うほどの親切心なんか有るとは思わない。ただ明石女御に付き添って世話をやくことが出来ないのが気にかかりお前に世話を頼んだことだけだと思うよ。そしてお前は母親だという態度を他人に目立つように見せないので、お前と紫との関係やその他の女房たちとの関係も万事うまくいっているので私は嬉しいし安心している。一寸したつまらない事でも、物のわからないひねくれた女は、お互いの付き合いの中に入ると当人は勿論のこと相手とか周囲の人にまで、気持ちを悪くしてしまうことがある、そのような中で紫もお前もひがみ心が無く誰とも隔てなく付き合うので私は気を遣う必要が無く助かっているよ」 と源氏が言うので明石の上は、自分はよくぞ控えめにしていたものよと思うのであった。
源氏は紫の許へ去っていった。その去っていく源氏の後ろ姿を見送りながら明石の上は、源氏の情愛は紫様にだけ深まっていくようであると、思い紫が他の女達よりも優れた知能や全てのことに通じるものを持っているからであるし女としての男性に対する媚びもまた自然に醸し出しているところも見事なものであると思った。
一方源氏は正妻と迎えた三宮に対しては、皇女でであるので世話だけは見事にしているのであるが、それも通り一辺のもので十分とは見えないのは、皇女を疎略にしているので勿体ない事であるとも思うのであった。三宮も紫も同じように皇族の出であるが三宮の方がその中でも一つ高い位の出身であることが明石の上には可愛そうに思えた。
源氏を送り出した後で源氏への批判を感じるのは、明石上は自分が直面している紫や三宮という遙かに違った高貴な方々との交際を、自分も偉い立場になった者であると自然に思うからであった。身分の高い三宮でも、自分の考えているようには世の中が進まないのを、明石上などは、身分の高い女三宮や紫上などに仲間入りのできる身として、播磨守の娘でしかないから源氏が以前のように自分を愛してくれないことはなにも恨むことではないと思っていた。ただ、この世を捨てて山深く籠もってしまった父入道を考えると本当に心配であった。一座の中にいた母の尼君も、夫の入道からの文に、
「極楽浄土でお会いしましょう」
とあったのを頼みにして寂しそうに娘の明石の上を見ていた。
源氏の息子の夕霧は源氏の正妻となった三宮のことを、以前宮の父朱雀院が自分を婿にと考えていたことを知っていたので、自分の近くに住むことになったので気になって仕方がない、色々と口実を作っては三宮が住まいとしている西の対に行くことが慣行となってしまい、自然と三宮の動静が分かるようにまた、三宮はどのような姿か、性格はいかがか、女房達に聞き三宮は大変年齢が若い、大ように毎日を過ごしていて、女三宮に接する父源氏の表向きの作法は世間の模範となるようにおごそかで立派にし、というように三宮を大事にしていたが、夕霧は、三宮はそんなに立派な女としては考えられなかった。三宮付きの女房達も経験が豊富な物腰の低い者は少なく、若い美人で、ただもう花やかで酒落ている者が多く三宮の側に侍っていて、考える問題が多い三宮の周辺で、何事も暢気で、落ち着いている人は、心の中が分からないものであるから、自身に悩み事を抱えている人も、
作品名:私の読む「源氏物語」ー49-若菜 上ー4 作家名:陽高慈雨