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私の読む「源氏物語」ー49-若菜 上ー4

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 夢から覚めて今日、このような身分の低い者に将来の希望を託される方が現れるだろうが、「さてどのようにしてこの幸運を我が身に頂こうか」と思っている頃におまえが授かり、書物によっても仏典によっても私の見た夢を信じることと多く書かれていたから、おまえの誕生も卑しい家に生まれたことも吉夢を見たことが現実になったと本当に有り難く思った。しかし力のない我が身にはおまえをどう育てていくのか思い悩むことが多くあった。その結果私は田舎に下れば少しは豊かになるかと思い、近衛中将を捨ててこの播磨の国明石の浦に来たのである。しかしここでもこの播磨の国の事にかかりあって、国の人にも侮られ、勢力もなくおちぶれてしまったので、老年になって二度と再ぴ都には帰るまいと、決心してこの浦に住み着いてしまいました。おまえの将来のことに望みをかけていましたから、私は一心におまえの将来のことに多くの願いを神に祈願しました。その甲斐あっておまえは見事に良縁に恵まれた。更に娘の明石女御は若君を授かり、やがて将来は若君は帝となり明石女御は国の母と呼ばれる身分になるだろう。これは私が神々に願ったことの成就したことであるので、住吉の社を始めとして大願成就のお礼参りを諸処の神々寺々に必ずしなさること。私の見た夢が正夢ということであるから、私は一点の疑いもあの夢には持っていません。
 この私のただ一つの願いである、明石女御が国母となるという、思ひが近い将来に成就するのであるから、その頃私も西の国遠くの極楽に往生していることでありましょう、現在は専ら、蓮の花を持って、私を迎えに来る仏・菩薩を待っておりまする間、その時まで
水清く草青きこの山の庵で念仏三昧に暮らしましょう。

 光出でむ暁近くなりにけり
     今ぞ見し世の夢語りする
(光が出ようとする(若宮御即位・明石女御国母の)暁(時期)が近くなってしまっているのであった。それ故に今こそ私は、かつての昔に見た夢の話をする)」

 と過ぎ去った月日を思い出して書かれていた。さらに追伸として、
「私が命を終わろうとする日をおまえは気にすることはない。昔から喪服として決められている藤色に染めた衣に袖を通す必要はない。ただ、おまえは、入道の娘でなくて仏の化身であると、特に考えて、この老法師のために冥福を祈ってください。現世の楽しみ、後世の楽しみ忘れないように。極楽に私がいる、そのうち母もこちらに来ることであろう、そこで再び会うことにしよう。だから、この世から、極楽浄土に行って、おまえも早く親子対面をしようと考えなさい」
 こう書いて入道はかって住吉の社に願をかけた願文を大きな沈香の木で造った箱に入れて娘の明石の上に贈り、妻である尼君には細かいことは何事も書かず、ただ、
「この月(四月)十四日にこの明石の浦の草庵を離れて、深山に入る。この先、生きていても何一つ役に立たぬ我が身であるから、この体を熊や狼に与える。そこもとは長生きをして若宮の即位を見守りなされ。極楽浄土で再びお会いしましょう」
 とだけ会ったので、尼君は夫からの文を読み使いとして明石の浦から来た大徳に夫のことを聞くと、
「このお文を書かれてから三日目にあの人も通わぬ山奥に入って行かれました。何人かがお供としてお見送りに山の麓までは参りましたが、皆を帰しになって僧一人、童二人だけを連れなさいました。浮世もこれまでと、かつて出家なされた時を、お別れの悲しみの最後と、私共は当時思いましたけれども、悲しみは消えることがありませんでした。旦那様は勧業の合間にうつ向きながら、かつて演奏された、七絃琴と琵琶を静かに演奏しながら仏にお別れのご挨拶をなされておられるようで、演奏が終わるとその琴と琵琶を御堂にお入れになりました。その他の品物なども、大部分を御堂の物として寄進なされて、その残りを六十人ばかりのお弟子にその親しい間柄、身分などを考えてお与えになりました。更に遺りました物を明石の上、尼君様へとこの京へ送りになりました。そうして山にお入りになりました、主無き浜に遺りました多くの弟子達は悲しみ嘆いております」
 と尼君に語る大徳も子供の時に、京都から入道が寄宿した播磨寺へ入道に従って下った者で、そのまま明石浦に住み、現在では老法師となって残っている者であるから、主人であり師匠でもある入道に別れて寂しくてならない心境であった。釈迦如来の御弟子の賢明な聖者でも、仏の常に霊鷲山にまします事を信頼しながらやっぱり、釈迦の人減の時の惑い悲しみは避けることが出来なく深いものであったのであるから、聖とまでは到達していない尼君には夫の深山入りは深い悲しみであった。
 明石の上はそのとき娘の明石女御の側にいたので
「こんな文が来ましたよ」
 と母の尼君からこっそりと連絡があり尼君の許に渡っていった。若宮の祖母であるので高い位の人として、大事でも無いような用件ではよくよくの事でもなければ、母の尼君と行き来して逢うことも困雑なのであるけれども、「非常に悲しい知らせがある」と聞いて、気掛りであるから明石上は人に分からないようにこっそりと尼君の部屋を訪れると尼君はうちしおれた姿で座っていた。明石の上は明かりの灯台を近くに寄せて母から渡された父入道の文を読む 尼君の悲しげな様子もなる程尤もであると分かった。入道のことは赤の他人は、何とも気にかけないことでも、入道の娘である明石上には、何を置いても先ず第一に昔のあれこれが思い出され父入道を恋しく思う心に、このまま逢うことなく年月が過ぎてしまうのでは、と文を読みながら思う彼女の寂しさは言うまでもないことである。明石の上は涙が止まらない、父の文が夢物語のように感じるとともに一方では、将来の事を期待し、これは昔入道が無理に源氏に自分を嫁がせその源氏がさっさと都へ帰参し私を明石に置いたままにしてしまった、これは父入道の政略だと、一時私が自然に心が乱れ、思案に暮れた事はこの文のように、頼りにもならない夢に期待を掛けて、理想を高く持っていたせいであると、今になって明石の上は父入道の心が理解できたのであった。読み終えた明石の上をしばらく尼君は見ていたが、やがて、