私の読む「源氏物語」ー48-若菜 上ー3
二人は演奏後に昔話に花を咲かせ、若い昔からの親しい仲であり、昔は昔として、現在では夕霧を太政大臣の婿に迎えた親しい仲なので、昔と今とのどちらの関係につけても、お互に更に親しくいたしましょうと太政大臣は気持よく源氏に話しながら、杯を酌み交わしているなか、会場の管弦も順序よく進み、源氏は昔を思い出し、太政大臣とはこのように親しく杯を交わすのは希なことであるので感情が高ぶり涙が止めどなく流れてきた。
太政大臣への感謝の贈り物は、立派な和琴一竿と、源氏がもっとも大事にしている高麗笛を添えて、さらに、紫檀の香木で作った箱一対に、唐渡来の漢字の御手本などと、この国の草仮名の御手本などを入れて太政大臣の車に差し入れた。
内裏から送られた祝賀の馬四十頭を右馬寮の官人達が受取って、その官人達が右舞である高麗の音楽を奏して乱舞をして退出する。右舞の楽は、笛が主で笙も篳篥も加わらない。六衛府から参加した官人達には夕霧から褒美の品が贈られた。源氏が、自身の意向から簡素な式にしてとは言っても、帝、春宮、朱雀院、秋好中宮と縁続きの方々がいかめしく立派であることは言葉では言いようがない、御大身の方々の並んで座っておいでになるのが参会者はずっと見通される事であるから、やっばり、いくら質素にといってもこのような祝賀の会は派手派手しく見えるのである。
夕霧はただ一人源氏の息子であるから話し相手になる兄弟もなく寂しく張合いのない気持で毎日を送っていたのであるが、夕霧は人に優れた才能があり世間からの評判がよく、彼の人柄もそこら者に比べようもなく立派で
ある。夕霧の亡き母葵の上は六条御息所の恨みを買いお互いの生霊が源氏を中心に絡み合い争乱した 葵上と六条御息所との持って生れた運命がそれぞれの亡き後に、源氏を失った六条御息所の娘は秋好中宮として栄え、六条御息所を圧倒し源氏を得た葵上の息子のタ霧はふつうの殿上人となって帝に仕える身で、勝手の立場が逆転している、夜の移りは様々なのである。源氏の祝賀の会での夕霧の出で立ちは会場となった屋敷の主人花散里が準備した装束を着用していた。褒美の品の禄の他当日必要な細々した物殆どは太政大臣邸である三条宮にいる夕霧の北方雲井雁が急いで調えた。折り目折り目の源氏が主催する催しには、内輪の装飾の設備や衣裳の調製などの美しいものに対して花散里は今までは他所のことと聞き流していたのであるから、どのような催し事にも仲間に入ってはこられないだろうと世間は考えていたのであるが、今回は自分の子供のように育てた夕霧が帝の命により主催する大事な会であるので、自分が中心となって色々と計画を立てて実行したのであった。
年が変わり新年となり源氏は四十一歳になった。桐壺のお方と呼ばれている明石女御の出産が近づいてきた。明石女御が里帰りをしている源氏の住む六条院では、正月の一日より女御の安産祈願のため祈りのお経を絶やさずに続けてその上に無数のお寺や社への祈願も続けていた。源氏は夕霧出産の折の妻の葵の苦しみそして死を体験しているので、出産の恐ろしさを身をもって経験している。他方紫は出産の経験なく子がないのは源氏は悔しいことに思っているが、一方ではこのようなお産の苦しみを受けずにすむのをうれしい事とも思っている。それにしても明石女御は出産を経験するにはあまりにもまだ年が若い、うまくお産が出来るのであろうかと、女御妊娠を聞いたときから心配しているのであるが、二月(きさらぎ)頃より女御の様子が変わり出して源氏を始め明石の上やその他周りの者達の心配が深刻になった。お付きの陰陽師達も、これは物怪のせいであるから明石女御を他の場所に移して安静にするようにと、進言するので、源氏や紫上や明石上その外明石女御の周囲の人達は、ここからかけ離れているような所はかえって気掛りで心配に思うと、考えて明石上の住む六条院の戊亥、西北の中央の対、即ち北の対に明石女御を移すことにした。明石の上の住むところは寝殿がなく大きな対の屋が、只二つで、渡り廊下で二つの対を結んでいる。
祈祷の壇(護摩を焼く壇)は、泥土で築くのを本体とする。塔も同様である。泥土で築くのは、壁を塗ると同じで、塗った上に又塗って、段々大きくする。大きくなれば、功徳も大きい事となる。その壇を前にして有名な僧が呼ばれて祈祷の経を大声で唱える。
女御の母である明石の上は今回娘のお産によって自分の運命が定まると思うので、気が気でなく心を尽くして娘の世話をする。女御の祖母である明石の上の母の大尼は今は年老いて少し知能が薄くなってきている、三歳まではともに明石で暮らしていたので、その後長い間会うことがなかったのであった、懐かしく出産はいつなのかと明石女御に何回も聞くのである。最近は明石の上がこのように娘の傍らで世話をしているのであるが、明石女御誕生以前の、昔の明石時代の生活は、殊更にあまり娘には語っていなかったのであるが、祖母の大尼は孫の出産の喜びについ孫の側に寄っていっては涙をこぼしながら昔のことを声を震わせて語り聞かせるのであった。始めの頃は明石女御も祖母の話を聞きながら、いやなことを言うと、祖母の顔を鬱陶しく見ていたが、祖母の話の中に母親から朧気ながら聞いたことのある名前も出てくるので、今は懐かしく祖母の話を聞いていた。祖母の大尼は孫娘に、明石で生まれた頃のこと、源氏が明石にいた頃の様子、女御や母親の明石の上を
明石の浦に置いたまま京へ上った頃の話、そのとき私たち親子と孫は気が狂うように 今が最後である、私どもは源氏が明石におられる間だけの宿縁であったのだなあ、と嘆いたものであったが、このように私共を源氏との御縁を繋ぐようにと助けてくれたのは、私の姫君あなたの良運であったと、私共は大層身にしみじみと感じていますよ。というようなことを涙ながらに明石女御に告げるのである。聞いていた女御は、
「そういえば、尼君の話の通りしみじみと胸を打つ話である。もしもこのように尼君が、私に話して聞かせなかったならば私は何も知らずにいたことであろう」
と孫娘も色々と考え涙を流していた。
明石女御は祖母の話から、自分はこのような昔の色々な母上達の苦悩の事情をはっきり知らなくて、春宮の女御などとはとんでもない身分になれたのは、紫の上の養育の賜であると、あまり悪い気持ちではなかった。
「私は自分を並ぶ者がない優れた者として考えて、今までの宮仕の間にも朋輩等を、人とは思わず軽蔑し、この上もなく慢心をしていた。祖母の言う事情を知っている人達は、私のことを蔭では、軽蔑して噂していたに違いない」
自分の身分を知り大いに反省をするのであった。母である明石の上はもとより尼君の話のように、我々は世間で言う低い身分であると明石女御は承知しながら自分が生まれた場所は、尼君の話のような、浮世離れのした辺境の地明石の浦の片田舎なのであった、とは思っても見なかった。いかにも、おっとりとして大ような性格からであろう。素性も知らないことは、ぼんやりしていたことである。
祖父の入道が今は仙人のような山籠もり生活をしていることを祖母から聞いて、女御はあまりにも色々と聞いて気持ちが乱れてしまった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー48-若菜 上ー3 作家名:陽高慈雨