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私の読む「源氏物語」ー48-若菜 上ー3

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 神無月の十月に紫は源氏の四十歳お礼祈願と嵯峨野大覚寺の南にある御堂で薬師仏を供養し、祝賀宴は別に二条院で開催するように計画した。この御堂は去る年明石の上が故郷明石の浦を離れて母親とともに生まれた姫を伴って京に上ってきた頃に、源氏が造営したものである。また薬師佛は医療の佛であることから源氏の健康息災を願ってのことであった。紫は大袈裟なことをするなという源氏の注文に従って、ごく内輪の法要にしようと考えていた。それでも御堂内の仏像と経箱そして経典を巻く帙簀などは立派なものに仕上げてた上に堂内はまるで極楽浄土のように美しくきらびやかに仕上げた。紫が源氏のために捧げて読経を依頼したのは、鎮護国家の三部経である金光明最勝王経と金剛般若波羅密多経と仏説一切如来金剛寿命陀羅という非常に膨大な時間を要する広大な祈願であった。ごく内派の法要であると言いながらも、上達部達が多数堂内に集まってきた。堂内の様子はいうまでもなく美しく落ち着いた雰囲気で、紅葉した木々を抜けて野に出れば眺望が素晴らしく、このようなところに人達は、先を争って集ってくるであろう、霜枯れした野原の中を馬や車の音が響き渡ていた。読経に参集した僧達への御布施を、源氏の女達は先を争って我も我もと争って持参するので見事な贈り物となった。
 十月二十三日を二十三日という源氏誕生にちなんだ日を選んで精進落しの日にして、仏事中は精進をするので供養が終ると精進落しの祝賀「御としみ」を行うようにした。「御としみ」は、「御落し忌み」を略しているのである。その会場を、六条院は花散る里、明石の上、明石姫、三宮それに紫と住んでいるので手狭であるから、紫が自分の屋敷と思っている二条院で開催することにした。儀式の際に備える御装束以下当日のあらゆる準備を殆どを紫方の女房や下働きの者達で作業をしているのを花散里やその他の源氏の女達が聞いて、
紫の許に駆けつけ出来ることからそれぞれが分担するように各自所望して進んで手伝をする。
 二条院の西東の対は今は女房達の部屋として使われているのであるが、女房達を他の部屋に移して綺麗にかたずけさせてそこを、殿上人や五位で親王・摂関・大臣家などの事務を取扱う侍である諸大夫、六条院の事務をする者達、そして下男に至るまでの席を立派なものに準備した。
 寝殿に張り出した部屋を作りそれを規則に従って整備して源氏の席として螺鈿の倚子を置く。倚子は帝か先の帝である上皇にしか使用してはならないのであるが、源氏は准太上天皇という身分であるので倚子の席を用意した。寝殿の西の間に、装束を載せる机を十二脚置いて、夏冬の装束と夜具などを、例に習って載せ、美しい模様を織りだした絹織物、」綾などが、それぞれの机の上に覆い掛けられて、並んできれいに整理されて美しく見えるが、しかし中にあるものは外からは見ることが出来ないのである。源氏の正面には置物用の机が置かれ香染(丁子染ともいう)の地の裾濃の覆いをして隠してある置物が置かれていた。冠にさす挿頭の花を載せる台は、沈香の木で造った花足が付いており、黄金の鳥が造花の枝に止まっている見事なものである。これは明石女御からのもので造ったのは母親の明石の上であるからなかなか結構な作である。源氏の座る後ろに置かれた屏風は紫の父親の式部卿宮からの贈り物で図柄は例によって四季の絵であるが、珍しい山水や池など構図は少し変わっていて面白いものであった。北の壁に沿って飾物を載せる御厨子を二対立てて飾りの物をその上にのせてあるのはどこの会場でも同じことである。南の廂に上達部・左右大臣・式部卿の宮を始めとしてその位以下の人たちが数知れず多く殆どの宮人は参集した。
 祝典を彩る舞楽の舞台の左右に楽人たちが演奏するための平張りを建て、その平張りの西東に会場を準備した下役の者たちに与える強飯を握った屯食を八十個、続けて褒美として与える禄を入れた唐櫃を四十並べて置いた。いづれも源氏の四十歳にちなんだ数である。
 未の頃、午後の二時頃に楽人たちが二条院に集まってきた。早速萬歳楽
やわうじゃうといった祝いの楽を演奏し始めた。やがて日が暮れ始めると右舞の高麗楽は笛だけの追吹きで納曾利を一人で舞う落蹲の右舞が舞台に上がって舞が始まる、平素見馴れない舞の風情であるから珍しいので、舞い終った時に、夕霧と柏木が庭に降りてきて舞いながら舞台から退く入舞を、少しぱかり舞って紅葉の木の中に入って行ったその余韻がなんとなく見ている者たちの目に残った。

 桐壺帝が在位の頃に帝が朱雀院に行幸になりその際の余興に源氏と頭中将が青海波を二人で舞ったことを知っている人たちは、夕霧と柏木は親に劣らない跡継ぎである、父の代、子の代と、代々評判の家柄であり、夕霧も柏木も容貌・気だてなども、父達に殆ど劣っておらず、却って官や位は親たちよりもすすみが早い、何歳になったのであろうと勘定して,やはりこのようになる前世からの運命で、この二人はともども昔から勝れた親子の仲であったよ、と夕霧、柏木を羨ましく見ていた。
 源氏も子供の夕霧と昔からの友人であり、競争相手であった亡き妻葵の兄である頭中将、現在の太政大臣の子供の柏木二人の舞を見ていると、感無量で自然と涙が出てきた、と同時にその昔桐壺帝の前で頭中将とともに「青海波」を舞ったことを思い出し、さらに誘われるように藤壺中宮や、朧月夜と思い出すことが多くあった。夜になり楽人たちは演奏を終わり退出することになる、紫付きの事務官たちが楽人たちに褒美である禄を入れた唐櫃を開けて次々に白い衣を渡す。楽人たちはそれぞれ品は違うのであるが色は白色で、それを左肩に担いで庭の築山を廻って池の畔を巡り過ぎ去っていくのをまるで催馬楽「席田」
の歌、

席田の 席田の 伊津貫川に や 住む鶴の 住む鶴の や 住む鶴の 千歳を予ねてぞ遊びあへる 千歳を予ねてぞ遊ぴあへる

 鶴が歌い舞うように見えた。

 楽人たちが引き上げるといよいよ参集者達の得意の器楽の演奏が始まる、これがまた祝賀会の楽しみなのである。
 絃楽器類は春宮院に保管されている由緒のある物が用意されている。春宮は紫上に取っては婿でもあるから色々と東宮が選び取出された。それらは朱雀院から冷泉帝から、桐壷院から受け継がれた物であり、冷泉帝のはその母薄雲女院(藤壺女御)などに関連があるかも知れない、源氏はそれらの楽器を見て昔内裏で聞き馴れた音色で、久しぷりに手にとって珍しく合奏に加わって演奏しながら、今宵だけでなく、このような催しがある度に、昔内裏で数々の演奏会に参加しまた観賞したことを思い出すのであった。
「藤壺の宮がご存命であるならば、このような彼女の四十の賀を私が主催して盛大に催すのであったが、四十に届かぬうちに亡くなられたのは本当に残念である。考えてみると自分は薄雲女院(藤壺)の御存命中に自分の感謝の気持をお見せしたのであろうか」
 源氏は悔しくてならない。冷泉帝も母親の