私の読む「源氏物語」ー46-若菜 上ー1
あの二人は、長い間夕霧に雲井雁が冷淡であった時分に夕霧は雲井雁を見限って他の女に走っても誰も咎めはしなかった、そんな時代にも夕霧は外の女に移る気持もなくて過してしまったのに今更彼女が冷淡であった昔に立ち戻って急に浮気心を起して三宮に心を移し雲井雁を悲しませるようなことは、三宮のような高貴な女に縁を結んでしまったならば、何事も自分の自由ではなくて雲井雁を思い、三宮を思い心が落ち着かず気苦労する、などと夕霧は真面目な男故気持ちを抑えて三宮の事を口には出さないが、三宮が他の男の所に嫁いだならばどのように彼は思うであろうか」
春宮も妹の三宮のことが色々と耳にはいるので、
「父上はさしあたって今のことを考えるよりもこの先の三宮の将来のことを重点に考えなさいませ。よくお考えになって普通の人では限界があります、三宮の嫁ぎ先を真剣にお考えならば
源氏様こそ養女のようにして三宮を御一任申し上げなさるのが宜しゅうござりましょう」
と文ではなく何かの折に面会して申し上げた。聞いた朱雀はその言葉を待っていたように、「その通りである、春宮はよくぞ申してくれた」 いよいよ朱雀は決心して、あの左中弁を呼び寄せて源氏に自分の意向を伝えさせた。朱雀の考え悩むことを聞いた源氏は、
「兄上のご病気は本当に気の毒な事であるなあ。御気の毒ではあるとしても、朱雀院のお命が残り少いといって、私自身もまだどれ程長生することであろう」
と言って源氏は三宮のことを承知すると伝えた。なる程朱雀院が源氏は若干年後まで残るであろうと考えているように人の生死が、年齢の順序通りになるものとして、源氏三十九歳、朱雀院四十三歳であるので源氏がもう少しこの世に生き残っている寿命の限度いっぱいの間普通に考えると、朱雀院のどの宮達に対してもよそ事として知らぬ顔をすることはできるものではないが、一方では兄朱雀院がこのように特別に三宮のことを私を頼りにしていることを告げられれば、三宮を自分の正妻に、と頼りにされている自分はうれしいのであるが、世の中は老少不定な無常な所がある。と言うようなことを左中弁に合わせて告げるのであった。さらに源氏は、
「御世話をすると言うことは三宮と夫婦として睦み合うことになるが、この私が朱雀院に引続いて世を去るかも知れないときは、三宮にとって御気の毒であり、私自身も中途半端な夫婦になったためにこの世への執着心が後世安楽のためには障害として残ることであろう。そのように考えると、中納言夕霧などは年も若いし貫禄はまだ少し不足しているが、将来に希望があり、人柄もいいので最後には朝廷の後見役に必ずなるに違いない、将来性を持つ男である。この際夕霧を婿にと考えるのはどうであろう。長年恋していた雲井雁がやっと妻にすることが出来たようであるから朱雀院はその点を考えて夕霧の名前を言われないのであろうか」
ということも言って朱雀院の申し出に応じないようである。左中弁はそんな源氏を見ていて朱雀院はいい加減な考えからの今回の源氏への申し出ではないということを知っているので、源氏が申し出を受けないような様子を見せているので朱雀院がお気の毒でもあり、また源氏との婚約が最も良いことであると信じていた左中弁自身も悔しい思いがして、さらに朱雀院の固い決意を源氏に詳しく語りかけた。源氏も再三にわたる左中弁の言葉に少し微笑んで、
「とても大事になさっておられる三宮皇女であるから、宮の将来について朱雀院はこのように心配なさるのであろう。私は外ではないが三宮を帝に差上げなさことが一番良いと思うのであるが、内裏にはすでに入内しておられる女御がおられるということがご心配のことであろうが、遠慮などはつまらないことである、入内が後先ということは問題外のことだよ。先輩の女御がいるからといって後から入内した女御を軽く扱われるようなことはないよ。桐壺帝が在世中に弘徽殿大后が自分の子供である朱雀院が春宮になった当時の女御でその頃はその後ずっと遅れて入内された藤壺女御(薄雲女院)に、一時はその権勢も奪われなさった。三宮の母で源氏宮(藤壺女御)は、薄雲女院の妹である。容貌も薄雲女御の次に美しいという評判の方で、伯母薄雲女院の血筋からも母源氏宮のどちらからでも、この三宮はありふれた普通の身柄ではあるまい」
と源氏は色々と思い巡らせながら三宮を我が正妻とすれば帝の血を引く女をめとるという男としては最高の栄誉になると心の中では思っていた。
色々な出来事があったが年末になってしまった。朱雀院は体の調子が思わしくなく体を休めていても女三宮の裳着や御出家の事など色々のことが心せわしく浮かんできては急がせる様子は気ぜわしくなく優雅にせかせるのである。式場は柏殿の西面の室と相談の上に決定した。柏殿は皇后の住むところである。そこに会場を仕切る帳や三宮が座る几帳をはじめとして色々の調度品は日本製のものを使わず全て唐からの舶来品を使い、唐国の皇后の装飾を朱雀は推量して、唐風に端麗で堂々としてあたりも輝く程に準備をした。三宮の腰ひもを結ぶ役には前もってかっての頭中将である太政大臣に頼んでいた。この人は大袈裟で勿体ぶった行動をするので評判の人であるし、三宮と特に血縁関係もないから朱雀院の頼みが面倒臭く思った、朱雀院の行事には自分よりも寧ろ源氏が適当と考えていたようであった。
しかし前々から朱雀院の要請には反対しないことにしていたので式に参集した。左右の大臣やその他の重役の人も大事な職務を抱えているにもかかわらず無理に用事を延ばし都合をつけながら朱雀院に参集してきた。朱雀の子供の東宮をはじめとして親王たちが八人揃って参列し、朱雀院に勤める職員はもちろんのこと内裏や東宮に働く上級の官吏もこぞって朱雀院に集まった様子は荘厳な裳着の式となった。朱雀院での催しはこれで最後であろう、帝を始め東宮やそのほかの高官たちは気の毒でたまらない気持ちを抑えて朱雀院に来たのであった。内裏の倉を開いて沢山の唐からの舶来品を冷泉帝は出されて朱雀の元に持参された。源氏からは盛り沢山の祝儀があった。そのうえに、朱雀から式の列席者に贈られる祝儀の品や、腰結い役の主賓太政大臣へのお礼の品々は源氏が兄の朱雀のために調えた。
冷泉帝の秋好中宮は式に着る三宮の衣装を意匠を凝らし作らせて、さらに冷泉帝の女御として入内した昔、朱雀院から贈られた櫛の箱を、若い娘向きに意匠を直してしかも元の趣向をなくさないようにして朱雀にはそれとなくあの時の品とわかるように作成したものを裳着の日の暮れ方に使いを出して三宮に贈った。使いの者は秋吉中宮に使える事務官の長で朱雀院にも勤めをしている権の亮であったが三宮に差し上げた櫛箱の中には朱雀院に贈る歌を秋好はいれておいた。
さしながら昔を今に伝ふれば
玉の小櫛ぞ神さびにける
(髪に挿しながら、そのまま、昔賜わったものを今日まで持ち伝えておりますから、美しい櫛は本当に古くなってしまいました)
作品名:私の読む「源氏物語」ー46-若菜 上ー1 作家名:陽高慈雨