私の読む「源氏物語」ー46-若菜 上ー1
更に親しい仲になって、そなたの父が私と親しくしてくれるのも私は本当に嬉しく思っているが、自分は生れつき頭が悪い上に、姫達のことを考えると、どうしていいものか闇の中に紛れ込んだ感じがして、ますます愚か者になってしまっている。こんな自分が見苦しい状態にあるときに、春宮の事などで口出しをすることはできないと老えて、春宮の事は源氏に一任し、無関心な状態でいるのですよ。内裏のことは父桐壺院の御遺言を守って、冷泉帝に位をお譲りしましたから、今上たる冷泉帝は、このように末世軽薄の時代を明るく照らす帝として、私の在位時代の至らなかった不行届きなことまで恢復なさる事は私が思っていたとおりで本当に私は嬉しくて肩の荷を降ろした気持ちです。この秋の六条院行幸のこと終わって、昔の親しかった思い出と、今度の御幸の時の事とが頭の中に一つ事となり、そなたの父源氏がなつかしく、お会いしたくてたまらない気持ちである。父君と逢わないならば、いかにも心許なく思う。必ず夕霧は源氏に此方に来るように伝えてくれるか」
あまり元気なく夕霧に告げるのである。夕霧は朱雀の言葉を聞き、
「昔のことは私は幼くてあまりはっきりとはいたしませんが。年がいきまして、現在は朝廷にも御奉公致しまするから色々と見たり聞いたりすることが沢山御座います。世の中の色々な物事には大小があります、私的なうちわの、貴方が申されます恨むべきはずのこと、父源氏と話をする機会がありましても昔のことは決して申しません、ただ父源氏は、
『太政大臣という帝の御世話を申し上げる職を辞し、準太上天皇になったこの折りに静かに出家をしよう』と籠もってしまいまして世間のことを知ることも出来ず、亡くなられた桐壺帝の御遺言のことを実行することが出来ません。朱雀様が帝で居られますときは、自分はまだ年が若くまた、自分の器も大きくなく内裏の方々にはとうてい及ぶことが出来ない。また賢明な上役の方々が多く侍っておられ、私の力を朱雀様にお見せすることはとうてい出来ることではありませんでした。現在、このように私は政事を離れているので、朱雀院が閑静に御過しなさる折に、打解けて参上もし御話も承りたいけれども、準上天皇の位を戴いたために訪問のために屋敷を出るのにも大層な行列を準備しなければならず、それが大層で日にちばかりが過ぎていくのです」
と父はことあるたびに嘆いております」
と朱雀に答える夕霧を朱雀はじっと見つめている。夕霧は二十歳前であるが、体は充分大人になって、顔や容姿は今が男の盛りにと見えた。
朱雀はそのような夕霧をじっと見つめている内に、このところの心配事である三宮のことで、この夕霧を後見人としてはどうかと心に思った。朱雀は夕霧に、
「太政大臣の屋敷にその方は住んでいると聞くが、長い間、太政大臣が、その方と雲井雁とのことを許さない噂を聞いていたが、私はその方が気の毒に思っていた。ところが円満に解決してそなたが太政大臣の所に住みついたのは、聞いて安心したのであるが、私には、大変残念に口惜しく思う事がある」
と告げる、心の中で三宮のことを思っていたのである。夕霧は朱雀の物の挟まったような言い方が気になったのであるが、朱雀は多分、三宮のことをどう身の振り方をつけようかと、色々と考えておられるのである、そこで適当な人物があれば姫を託して自分は出家をしようと考えた上で、私に何となく相談されたのである。と合点がいきそれでも何とか返事をしなければと、
「私は性質が柔弱ではきはきとものが言えませぬ、頼みになる者ではござりませぬ私には、妻も早く迎えることが出来ませぬ。良き女があれば、もっと早く迎えたと存じまする」
と朱雀に申し上げて後は何も言わなかった。朱雀院に仕えている側近くの上の女房などは、夕霧を物の隙からのぞき見て、
「大変立派な夕霧様であるよ」
「そうで御座います、目出度いことで」
などとひそひそと喋るのを歳を取った女房が、
「そうであっても昔の源氏様と較べるととても較べることが出来ないよ」
「目元がもっとはっきりとしてとても清楚にしておられた」
と次第に喧しくなる女達の喋りを朱雀が聞いて、
「本当に弟の源氏は人とすこし違ったところがある。今は若いときよりも、年と共に一層立派になって美しく光り輝くように見えるのである。堂々としてきっちりと公務をこなしていくのを見ると明快でありどう表現していいのか言葉がありませんね。そんなに生真面目な男かと思うと冗談は言うし、遊べばまた誰もが太刀打ち出来ないほどの技芸にたけていて人懐かしいこのような人物は他にはいない内裏では重要な人物です。源氏は前世でよほどよいことをしたのであろうなあ。源氏は母親と早くに別れて他の兄妹とは違って内裏で大きくなった。桐壷帝が、この上なく可愛いがられ、あれ程大切に愛撫し御自身の命よりも大切にとお育てになったが、源氏はそのことを良いことにして威張ることもなく、又自分の身を考えて二十歳になるまでなごんの位にもならなかった。二十一歳で源氏は参議宰相で、近衛大将を兼任したと思う。
それなのに、この夕霧は非常に早く官位が進んでしまったようである。確か夕霧は十九歳で中納言兼右近衛大将に任ぜられたと思うが。このことを考えると源氏の子孫の評判が次第に高くなっていくようであるなあ。宮中での政務のことや行事の仕様などは夕霧は源氏に劣らず精通しているようである。源氏に比べて若いのに中納言などに昇進したのはちょっと早かったかなとは思うのだが、夕霧が年を取ると共に、源氏を超える技量になるだろうという世間の期待はとても高いようであるなあ」
としきりに夕霧をほめる。
話の主人公である三宮は大変かわいらしい姫で無邪気な性格を朱雀は見ていて、
「この娘三宮を大切に可愛がり、一方では年も若くて未熟な点を上手に隠してくれ、そうして貴女に諸芸と仕来りをうまく教えてくれるような人で信用のおける人があるならば、そんな人に貴女を嫁がせてやりたい」
ということを三宮に朱雀は語るのである。
物のわかった思慮ある三宮付きの乳母達を呼び寄せて、三宮姫の裳着を何時に行おうかと相談するついでに朱雀は、
「源氏の大臣はお前達の知っている藤壷女御の兄である式部卿の娘紫を幼い時から手元に引き取り、自分好みに育て上げて女御にされた、このように三宮を預かって養育してくれる人が居ないものか、皇族以外にはそのような人物は全くあるとは思わない。内裏には秋好中宮がおられるし他の多くの女御の方々も仕えておいでになる、その方々は総て高貴の家の娘である、そのような中に三宮を預けたならば、私は出家をするし、母親はすでに亡く、これといった後見人もいない姫は、帝の周りの女とのお付き合いが大変であろう。この夕霧が独り身であった頃にそれとなく、私の考を彼にほのめかして夕霧の気を引いて見るべきであったなあ。夕霧は若いけれども大層優秀で、将来が頼みになる若者であるが残念なことである」
と乳母に語った。乳母はその言葉を受けて、
「夕霧様は真面目な人で、これまで長い年月の間も、太政大臣の娘の雲井雁に、思いを寄せておられて、外の女の方には目も向けられなかったようです」
作品名:私の読む「源氏物語」ー46-若菜 上ー1 作家名:陽高慈雨