私の読む「源氏物語」ー46-若菜 上ー1
若 菜 上
冷泉帝の前の帝である朱雀院が、源氏の六条院に帝が行幸したのに従って同行した前頃から、体調が優れずに苦労していた。もともと、朱雀院は病気勝ちであたのであるが、特に今度は、何となく心寂しく思っていた。朱雀院は、
「自分はずっと以前から出家して仏道を修行する願いがあったのであるが、母上の弘徽殿大后が御存命の間は何となく遠慮して出家することを思いとどまっていたのであるが、母亡き後はやはり出家の道を選びたいと思っている。私の寿命はそう長くはないような気がしている」 と、周囲の者に語っていた。そうして出家のための準備を始めた。
朱雀院の子供は承香殿女御との間に出来た春宮を除いて四人の子供は全部娘で一宮から四の宮まででその中で三宮は母親が違って藤壺女御であった。この藤壺という人はかつての昔源氏の父桐壺帝が愛し、幼い源氏を育ててくれた藤壷入道宮(薄雲女院)とは別人で、桐壷の前の帝の姫君で、臣下になり源氏の姓を賜わった方(源氏宮)であった。朱雀がまだ春宮坊であった頃に参内して春宮が即位すれば当然中宮になるのは当然であったのであるが、不幸にも、先帝が早世されたので、これと取立てた後楯も別にないし、彼女の母親が更衣という一段低い地位であったため女御として春宮と交わりも少なくなり、そのうえ当時の中宮であった弘徽殿が妹の朧月夜を朱雀の女にと参内させたので朱雀はすっかりこの女の虜になってしまい、藤壺の存在が全く消えてしまった。朱雀も心には気にしていたのであるが、中宮にすることなく呼ぶこともなくなってしまったので、藤壺はそのことで大変心が傷つき世を恨んで亡くなってしまった。そのようなことから朱雀は藤壺女御が産んだ三宮を他の娘よりも愛しく思っていたのであった。三宮は十四歳であった。
朱雀は今こそ世間から離れて山に籠もりを私が出家をしたなたならば可愛いい娘四人の中で三宮だけが誰を頼りにしてこの先過ごしていくのだろうか。とこのことだけが出家をする決心を鈍らせていた。西山に寺を造らせていたのが完成して移ろうとする準備をするとともに別に又、三宮の裳着の儀式を急いで計画した。朱雀院にある貴重な思いで持っていた宝物や、手廻りの道具類は、申すまでもなく、一寸したつまらない玩具などまで、多少とも、由緒のあるものは全部を三宮に渡し、貴重品の二流三流のものを、他の子達に分配するのであった。
朱雀院の第一皇子の春宮は、父の朱雀帝がこのような病気と同時に、この世を捨てて出家しようとなさる覚悟であることを、聞きくと急いで父宮の朱雀院を見舞いに参上した。春宮の母である承香殿女御も春宮に同行して夫の朱雀院に会いに来た。この女御は朱雀院からはいい待遇を受けていないのであったが、生まれた息子が春宮という立派な立場にあるという夫朱雀院との特別な関係があえい院も懐かしく感じて色々と古いことから新しいことまで話が弾むのであった。朱雀は息子の春宮にも、世の中を治めていくについての心構えなどを教え諭していた。春宮は十三歳、その立場からか少し大人びていた。それに周りを取り巻く女達がいずれも少し年が上であるのと、お世話する明石女御やその他の女御達も、どちらも、立派な家柄から参内した女であるから、朱雀院は春宮の女のことでは安心していた。
「私はこの世にやり残したことは何もありません。しかし私が出家をした後に残る四人の女達のことが、この先どうなるのかと心配でなりません。死ぬことは避けられない宿命です、その時に私は極楽に行けるのか、娘達の将来を決めないまま死ぬことはその妨げになるのではないかと気にかかっている。この歳になるまでの間に、他人事ながら見たり聞いたりした事でも、女というものは、思いもかけずに他人から、何の理由もなく軽く非難される持って生れた運命、というものがあり、それが私には気がかりで、くやしく悲しい思いがするものです。貴方の妹に当たる四人の宮にも、即位した後、貴方の思うにまかせる治世になったならば何かにつけて気を止めて面倒を見るようにしてください。四人の宮の中で母や有力な里方などのある者は、そのような方々に安心して任せない。ただ、三宮がどうも幼い感じが残り私だけを頼りにしている者で、私が出家をしたならば頼る者もなくなって世の中から浮いてしまうように漂い歩くのが自分は何としても悲しいことである」
涙を流しながら息子の春宮を呼んで話すのである。春宮の母の承香殴女御にも、女三宮の事を、好意を持って世話をしてくれるように頼みこむのである。しかし朱雀がこのように頼むのであるが、三宮の母であった藤壺女御は、かつて朱雀院の数ある女のなかで羽ぶりがよかったために、承香殿女御その他が、藤壷と張り合って当時の帝である朱雀の寵を自分のものにしようと互に競争したおりに、春宮の母の承香殿女御はこの三宮の母藤壺に負けたのであった。
その恨みが、三宮は憎い奴の娘だ、と言う思いはないにしても、ここで朱雀院に三宮を宜しく頼むと言われても、三宮に立派な後ろ盾をする人がない気の毒な境遇である事は誰もが知っているので、それに同情して世話をしようと、とても考えないのではないか。
そのように思うと朱雀は朝夕に三宮のことを嘆き悲しんでいた。月日が過ぎて行くに従って朱雀の病が重くなって行き御簾の内に籠もりきりになって外に出ようとはしなかった。今までも物の怪が憑いたように時々元気がなくなることがあったが、この度は物の怪に恐れて体が震い止まることがなく、朱雀はもう自分はこれまでであると思うのであった。朱雀は帝の位を譲りはしたが、それでも朱雀帝として在位当時に帝から恩恵を蒙った者達は、朱雀が退位して院になった現在でも、朱雀院の親しみ深く立派な性格に対して、昔の在位時代通りに心の慰め所として御前に伺候し、その外の院に奉仕する者みんなは朱雀院の病を心配して回りに控えていた。 源氏も大変心配して先ず夕霧を見舞いに行かた。朱雀院は大変喜んで夕霧を御簾の中え入らせて側に呼び色々と話をする。「私の父でありお前の祖父でもある桐壺院がお亡くなりになるときに色々と遺言があったが、その中に、お前の父上である源氏のこと、冷泉帝のことを宜しく頼むと特に私に申されたのであるが、位について天皇となっては、公事の法度がきまっているものであったから、私の心の中には源氏に対する好意は変らないものの、一寸したつまらない過失で源氏から恨まれる様なことが私にはかつてあったであろう、と私は思っているのであるが、その後長い間どんな事情や場合にでも、そなたの父はそぶりにも見せずに私と親しくしておられる、そのことを思うとどのような賢い人であっても自分の身に起こった不幸なことを根に持って人に接するのに公明を欠きゆがんだ気持ちを表すのが昔から多々あるものである。それを察していつの日にか源氏は恨みを晴らすであろうと人々は見ていたのであるが、とうとう源氏は一言の恨み言を申すことなく過ごされて、春宮にも気持ちよう接してくれている。その上に今回そなたの妹の明石姫を入内させて
冷泉帝の前の帝である朱雀院が、源氏の六条院に帝が行幸したのに従って同行した前頃から、体調が優れずに苦労していた。もともと、朱雀院は病気勝ちであたのであるが、特に今度は、何となく心寂しく思っていた。朱雀院は、
「自分はずっと以前から出家して仏道を修行する願いがあったのであるが、母上の弘徽殿大后が御存命の間は何となく遠慮して出家することを思いとどまっていたのであるが、母亡き後はやはり出家の道を選びたいと思っている。私の寿命はそう長くはないような気がしている」 と、周囲の者に語っていた。そうして出家のための準備を始めた。
朱雀院の子供は承香殿女御との間に出来た春宮を除いて四人の子供は全部娘で一宮から四の宮まででその中で三宮は母親が違って藤壺女御であった。この藤壺という人はかつての昔源氏の父桐壺帝が愛し、幼い源氏を育ててくれた藤壷入道宮(薄雲女院)とは別人で、桐壷の前の帝の姫君で、臣下になり源氏の姓を賜わった方(源氏宮)であった。朱雀がまだ春宮坊であった頃に参内して春宮が即位すれば当然中宮になるのは当然であったのであるが、不幸にも、先帝が早世されたので、これと取立てた後楯も別にないし、彼女の母親が更衣という一段低い地位であったため女御として春宮と交わりも少なくなり、そのうえ当時の中宮であった弘徽殿が妹の朧月夜を朱雀の女にと参内させたので朱雀はすっかりこの女の虜になってしまい、藤壺の存在が全く消えてしまった。朱雀も心には気にしていたのであるが、中宮にすることなく呼ぶこともなくなってしまったので、藤壺はそのことで大変心が傷つき世を恨んで亡くなってしまった。そのようなことから朱雀は藤壺女御が産んだ三宮を他の娘よりも愛しく思っていたのであった。三宮は十四歳であった。
朱雀は今こそ世間から離れて山に籠もりを私が出家をしたなたならば可愛いい娘四人の中で三宮だけが誰を頼りにしてこの先過ごしていくのだろうか。とこのことだけが出家をする決心を鈍らせていた。西山に寺を造らせていたのが完成して移ろうとする準備をするとともに別に又、三宮の裳着の儀式を急いで計画した。朱雀院にある貴重な思いで持っていた宝物や、手廻りの道具類は、申すまでもなく、一寸したつまらない玩具などまで、多少とも、由緒のあるものは全部を三宮に渡し、貴重品の二流三流のものを、他の子達に分配するのであった。
朱雀院の第一皇子の春宮は、父の朱雀帝がこのような病気と同時に、この世を捨てて出家しようとなさる覚悟であることを、聞きくと急いで父宮の朱雀院を見舞いに参上した。春宮の母である承香殿女御も春宮に同行して夫の朱雀院に会いに来た。この女御は朱雀院からはいい待遇を受けていないのであったが、生まれた息子が春宮という立派な立場にあるという夫朱雀院との特別な関係があえい院も懐かしく感じて色々と古いことから新しいことまで話が弾むのであった。朱雀は息子の春宮にも、世の中を治めていくについての心構えなどを教え諭していた。春宮は十三歳、その立場からか少し大人びていた。それに周りを取り巻く女達がいずれも少し年が上であるのと、お世話する明石女御やその他の女御達も、どちらも、立派な家柄から参内した女であるから、朱雀院は春宮の女のことでは安心していた。
「私はこの世にやり残したことは何もありません。しかし私が出家をした後に残る四人の女達のことが、この先どうなるのかと心配でなりません。死ぬことは避けられない宿命です、その時に私は極楽に行けるのか、娘達の将来を決めないまま死ぬことはその妨げになるのではないかと気にかかっている。この歳になるまでの間に、他人事ながら見たり聞いたりした事でも、女というものは、思いもかけずに他人から、何の理由もなく軽く非難される持って生れた運命、というものがあり、それが私には気がかりで、くやしく悲しい思いがするものです。貴方の妹に当たる四人の宮にも、即位した後、貴方の思うにまかせる治世になったならば何かにつけて気を止めて面倒を見るようにしてください。四人の宮の中で母や有力な里方などのある者は、そのような方々に安心して任せない。ただ、三宮がどうも幼い感じが残り私だけを頼りにしている者で、私が出家をしたならば頼る者もなくなって世の中から浮いてしまうように漂い歩くのが自分は何としても悲しいことである」
涙を流しながら息子の春宮を呼んで話すのである。春宮の母の承香殴女御にも、女三宮の事を、好意を持って世話をしてくれるように頼みこむのである。しかし朱雀がこのように頼むのであるが、三宮の母であった藤壺女御は、かつて朱雀院の数ある女のなかで羽ぶりがよかったために、承香殿女御その他が、藤壷と張り合って当時の帝である朱雀の寵を自分のものにしようと互に競争したおりに、春宮の母の承香殿女御はこの三宮の母藤壺に負けたのであった。
その恨みが、三宮は憎い奴の娘だ、と言う思いはないにしても、ここで朱雀院に三宮を宜しく頼むと言われても、三宮に立派な後ろ盾をする人がない気の毒な境遇である事は誰もが知っているので、それに同情して世話をしようと、とても考えないのではないか。
そのように思うと朱雀は朝夕に三宮のことを嘆き悲しんでいた。月日が過ぎて行くに従って朱雀の病が重くなって行き御簾の内に籠もりきりになって外に出ようとはしなかった。今までも物の怪が憑いたように時々元気がなくなることがあったが、この度は物の怪に恐れて体が震い止まることがなく、朱雀はもう自分はこれまでであると思うのであった。朱雀は帝の位を譲りはしたが、それでも朱雀帝として在位当時に帝から恩恵を蒙った者達は、朱雀が退位して院になった現在でも、朱雀院の親しみ深く立派な性格に対して、昔の在位時代通りに心の慰め所として御前に伺候し、その外の院に奉仕する者みんなは朱雀院の病を心配して回りに控えていた。 源氏も大変心配して先ず夕霧を見舞いに行かた。朱雀院は大変喜んで夕霧を御簾の中え入らせて側に呼び色々と話をする。「私の父でありお前の祖父でもある桐壺院がお亡くなりになるときに色々と遺言があったが、その中に、お前の父上である源氏のこと、冷泉帝のことを宜しく頼むと特に私に申されたのであるが、位について天皇となっては、公事の法度がきまっているものであったから、私の心の中には源氏に対する好意は変らないものの、一寸したつまらない過失で源氏から恨まれる様なことが私にはかつてあったであろう、と私は思っているのであるが、その後長い間どんな事情や場合にでも、そなたの父はそぶりにも見せずに私と親しくしておられる、そのことを思うとどのような賢い人であっても自分の身に起こった不幸なことを根に持って人に接するのに公明を欠きゆがんだ気持ちを表すのが昔から多々あるものである。それを察していつの日にか源氏は恨みを晴らすであろうと人々は見ていたのであるが、とうとう源氏は一言の恨み言を申すことなく過ごされて、春宮にも気持ちよう接してくれている。その上に今回そなたの妹の明石姫を入内させて
作品名:私の読む「源氏物語」ー46-若菜 上ー1 作家名:陽高慈雨