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私の読む「源氏物語」ー45-藤裏葉

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「雲井雁が源氏を選んでよかった、他の人にでも嫁いでいればこのような嬉しいことには会うことがなかったであろう」
 と改めて痛感するのであった。
 雲井雁の乳母である、かって夕霧に「六位の風情の者との縁組みは、つまらない」と呟いたことを思いだした夕霧は、菊の花の少し黄色から紫がかった枯れ始めたものを、この乳母に与えて、
 浅緑若葉の菊を露にても
      濃き紫の色とかけきや
(薄藍色の若葉の菊(薄青色の六位の抱を着ている若輩の私)を濃い紫色に変る(濃い紫色の納言の袍を着る)
とは、少しでも、かつて思いかけたか、かけなかったで
あろう)
 「六位宿世」と軽侮せられた、辛かった時のお前の言葉は、今も忘れる事ができない」

 とにっこりと笑いかける。聞いた乳母は自分のことが恥ずかしくて、きまりが悪いのであるが、夕霧が美しく立派に見えた。さすがに雲井雁の乳母であるすかさず夕霧に返歌をする、

 双葉より名立たる園の菊なれば
       浅き色わく露もなかりき
(二葉の若い時から、名の立っている(著名な)園の菊であるから(幼時から、名門の源氏の若君であるから)、若葉の浅いみどりの色(浅緑の六位の袍)を分け隔てする露(者)もかつてなかった)
 どんなにか私(大夫乳母)に、隔て心を御持ちなされたのであった事か」

 となれなれしく弁解して心苦しく思っていた。

 夕霧は位も高くなり雲井雁の屋敷である今は太政大臣の屋敷に同居をするのが手狭になってきたので、亡き祖母の大宮邸三条の屋敷に移転した。大宮亡き後無住であったので少し荒れていたのを改修して大宮が住まいされたところを自分も住むことにした。子供の頃に雲井雁と共に育った屋敷であるので、懐かしさが一杯籠もった屋敷であった。庭の木々もかっては小さかったが今は枝葉が茂り大きな木陰が出来ている、群がり生えている薄もかってに広がり乱れてかぜになびいている、そのようなのを庭師に整えさせた。池に注ぐ遣り水のなかに貯まった枯れ葉やごみも掻き出させ、心豊かな流れを取り戻させた。夕霧と雲井雁二人は次第に薄れ行く陽の光を見ながら二人が遊び学んだ幼い頃を語り合い、幼心に恋い慕った思いが頭に浮かび出てくると、雲井雁は恥ずかしくなった。大宮に仕えていた女房達も退職して里に帰ることもなく、与えられた部屋にそのまま住んでいたのが二人の前に参集してきて懐かしい二人の幸福そうな姿を見て互いに喜び合っていた。それを見た夕霧は、

 なれこそは岩守るあるじ見し人の
       行方は知るや宿の真清水
(大岩よ御前こそは、この家を守っている主人である、かつての昔、御前がお守りしたこの屋の大宮の行方をば、知っているか、宿の真清水よ)

 雲井雁はすかさず

 亡き人の影だに見えずつれなくて
        心をやれるいさらゐの水
(せめて、亡き大宮の影だけでも、水に写してみたいと思うのに、この水達は平気でよい気になって流れている、小さい水溜りの水は)

 と歌を交わしていると父の太政大臣が内裏より下がってくる途中で二人の住む三条邸の紅葉が見事なのを車中から見て、びっくりさせるようにして二人の前に現れた。彼はかつて住んでいた屋敷であるので、その頃の様子と殆ど変ることなく、どこもかしこも落着いておだやかに若い二人が住んでいる様子が何となく華やかに感じ感慨深く昔を思いだしていた。中納言になった夕霧も、格別に感慨無量で、顔がいくらか赤らんで、平素よりも一層静かにして義父の大臣に向かっていた。夕霧と雲井雁二人の夫婦は理想的な仲で、雲井雁は容貌の美しいことは言うまでもないのであるが、この程度の美人は他に探せばある、しかし夕霧の容姿は際限もなく綺麗で清楚である、と舅の太政大臣は二人の姿を見て思うのであった。
 昔からこの屋敷にいる女房達は、得意になって昔の古い出来事を二人の前で披露する。大臣はふと当たりに散らばっている、大臣が訪れる前に夕霧と雲井雁二人の手習した先ほどの哀傷の歌が散らばっているのを見つけ、それをじっと見つめている内に、亡き父母のことが頭に浮かんできて涙ぐんでいった。
「私も、この歌のように今は影もない昔の人を慕う心を、この水に尋ねて詠みたいけれども、老人が詠むことは不吉なことである」
 といって、

 そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ
       植ゑし小松も苔生ひにけり
(その昔の老木は、当然まあ朽ちてしまったであろう。かつて老木(大宮)が植えた小松(大宮の子供の私)までも)

 その歌を聞いて夕霧の乳母である宰相の君は、その昔夕霧に辛く当たった大臣のことは忘れずにいたが、今はそちらぬ顔で、

 いづれをも蔭とぞ頼む双葉より
       根ざし交はせる松の末々
(夕霧と雲井雁とのどちらをも、私は頼る蔭(力)として、いかにも頼みに致しまする、幼い二葉の頃から、根ざし(延びている根)を、相交えた(かく夫婦となられた)松(御二人)の末々までも)

 そのほかの老いた女房達もこのような歌を詠み集めているの、夕霧は、おかしな事を詠うと思い、雲井雁は、つまらない歌を詠う、聞くのも苦しいと、顔を赤くして我慢して聞いていた。

 神無月十月の二十日に源氏の邸宅である六条院に帝の行幸があった。紅葉の盛りを楽しむ宴を催すので、先の帝の朱雀院にも誘いの言葉があり、朱雀院も六条院に訪れた。このように帝二人が揃って行幸するとはまたとない珍しいことである世間の人は驚いていた。お迎えをする源氏方も手を尽くしてのお持てなしをした。
 当日は巳の刻(午前の十時)頃に、冷泉帝の行幸があって、第一に、馬場殿の前に左馬寮と右馬寮の御馬を引いて来て、整列させてその馬の脇にそれぞれ左右の近衛の衛士が立ち並ぶその方法は五月五日の節会に似通うものであった。
 未(午後の二時)過ぎ頃に馬技の見物など終ったので、一同は馬場殿から六条院の南にある寝殿(本殿)に移る。馬場殿から寝殿までの道すがらにある反り橋、渡殿には筵の上に錦を引き詰め、見苦しいところには慢を引きめぐらし、帝の歩む通路をいかめしくおごそかに設えた。東側にある池には舟を浮かべ、内裏に仕える鵜飼いの長を呼び、六条院の鵜飼いを呼び寄せてその舟に乗せて池に鵜を放った。鵜は小さな鮒を咥え捕ってきた。この鵜飼いの様子は帝一行に見せるためではなくて、寝殿に移る道すがらの余興にと考えたものであった。紅葉の盛りは六条院のどの区劃も見事なもので、特に帝寵愛の秋好中宮の西区劃の庭は格別であるのを、通路と庭との、中間の廊の壁を取りこわし、その上、中門を開いて、目ざわりになるものをなくして、庭全景をお見せした。 
 寝殿での座席は帝と朱雀院お二人の座を上座に設け下座に源氏の席を設けたのであるが、帝の言いつけで源氏の席も同列に並び替えた。しかし帝は源氏に対しては、父君として規則通り恭敬の礼(朝觀の礼)を尽くすことが出来ないのが残念で心に遺るのであった。 池の魚を左の少将、北野で捕らえた鳥一番を右の督が手に持って寝殿の東側より捧げ持って正面階段の左右に跪いて帝一行にお見せする。それを太政大臣が受け取って調理して御膳に捧げる。