私の読む「源氏物語」ー45-藤裏葉
(藤の花の紫(雲井雁)に、私は、かこつけ言(恨言)をば、負わせよう、藤の花(雲井雁)に、御身(夕霧)の御申込を今か今かと待っている時期よりも遅れて今日に到ったのは、辛いけれども恨みませずに)
歌を投げられた夕霧は、杯を持ったまま母方の伯父の婿取の盃であるから、形式だけ立って、内大臣に拝舞の礼を申しなさる様子は誠に上品の極みである。
いく返り露けき春を過ぐし来て
花の紐解く折にあふらむ
(何度も、袖が涙に濡れて、露っぽい春を送り迎えてきて、今日、御許しを得る機会にどうして逢うのであろうか)
と夕霧は詠うと杯を柏木に回す。
たをやめの袖にまがへる藤の花
見る人からや色もまさらむ
(やさしい女、雲井雁の袖に見違える(よく似ている)藤の花も、それを見る人(連れ添って世話をする夕霧)のせいで、美しい色(雲井雁の美しさ)も、一層まさるのであろう)
次々と列席の者達は歌を詠う。しかし杯が回るうちにみんなは酔いが回り歌の出来はもう一つであった。
今夜四月七日の夕方の月は影が薄くそのため池の水面は澄み渡って見えた。先に内大臣が「わが宿の藤の色濃きたそかれに尋ねやは来ぬ春の名残を」と詠われたことを思うと、「なる程、歌の通りである」、繁ることもなくまだほっそりとしているかすかで、ほんのりとしている若葉の梢が、まだ痩せ細っているのに、えらい様子ぶって風情があり、横に張り出した松ほどには高くはないが、その枝に絡まって咲いている藤の花は何となく面白い光景である。内大臣の息子の弁少将は柏木中将の弟であるが、好い声の持ち主で催馬楽の「葦垣」を歌う。
葦垣真垣 真垣かき分けて てふ越すと 負ひ越すと誰 てふ越すと 誰か 誰か この事を 親に まうよこし 申し 轟ける この家 この家の 弟嫁 親に まうよ こしけらしも
娘を男が盗んでゆく歌だ。内大臣は、
「我が家の婿取りの日に、なんとまあ皮肉な歌を歌うものよ、女を盗む歌を謡うのか」
酔いも回って遠慮もなくなり
「年を経てしまって、古くなっているこの家の」
と内大臣は弁少将が「葦垣」という婿取りにふさわしくない歌を謡ったので原歌の「とゞろけるこの家の」を、祝言に相応するように言葉を変えたのである。「とゞろけるこの家」は「女が盗まれて大騒ぎをしている」意で、祝言にふさわしくないと、内大臣が考えた。うちくつろいだ、奏楽と宴とで、夕霧と内大臣の気持ちの確執は消えてしまったようである。夜が更けるにつれて夕霧は大層酔ったふりをして、
「酔いが回ってしまい気分が悪く、これから帰ろうとしてもどうも帰れそうもない。柏木の御寝所を、今夜、私に貸してくださらぬか」
と柏木に夕霧は頼むのである。それを聞いて内大臣は、
「柏木よ、夕霧の寝るところを用意してやれ、年寄りの私は酔いが回ってしまったのでこれで失礼するから」
と言い捨てて奥に入ってしまった。柏木は、
「花の蔭の、初寝と言うわけでござりまするなあ。それは、どうも、如何したもので、面倒な案内でござりまするよ」
と夕霧に言うと、夕霧は友の柏木に、
「色を変えない松に、契を結んでかかっている藤は、浮気な花であると思うか、そうではない。然るに、花の蔭の初の旅寝などとは、縁起でもない事であるよ」
と柏木にたしなめる。二人とも花と言いながらそれは雲井雁のことを言っていると知ってのことで、夕霧の柏木への言葉は
「緑なる松にかかれる藤なれどおのがころとぞ花は咲きける」(いつも緑である松にかかっている藤であるが、自分の花の咲くころだと、花は咲いたことだ)という紀貫之の歌をもじっている。
柏木は夕霧に心も中では、先ほどの言葉は夕霧に折れて出た事であるので、憎らしく残念な事と、は思うのだが、夕霧の性格が理想通りに立派であるので、「結局は、この男が妹婿であって欲しい」と、妹を託しても安心できる、夕霧を自分の部屋でなく雲井雁の寝所に案内した。
夕霧は柏木が妹の雲井雁の所に自分を案内したことを知ると、自分の多年の念願が叶う、夢のようであると、喜ぶと同時に恥ずかしく、今までよく我慢していたものであったと、思うのであった。雲井雁は夕霧が部屋に来ることを女房から聞いて、長い年月会えなかった恋しい夕霧に会うことが出来ると嬉しさと恥ずかしさが同時に湧いてきた。そんな彼女の姿は一段と、美しさが増し二十の女の盛りである、非のうち所がないほど艶めいていた。
「世の中の男どもの話の種になるほど貴女に恋い焦がれ、このまま狂い死にするのではないかと、自分自身情けないと思いながら毎日を生きていた、その私を、お父上の内大臣は常に見ておられそして御考えの上、貴女との逢瀬を許されたように思っています」
とまず雲井雁に切りだし、さらに、
「弁少将が進んで謡い出した葦垣の趣旨は、御聞きなされたか。あの歌は娘を拐かす歌である、ひどいあてこする弁であるよね。「河口」の歌のようにお父上が喧しく止めたにもかかわらず、貴女は堰を飛び越えて私たちは共寝をしてしまった、と言いたかったのであろうよ」
催馬楽「河口」の歌は、
河口の 関の荒垣や 関の荒垣や 守れども はれ 守れども 出でて我寝ぬや 出でて我寝ぬや 関の荒垣
と女が親の反対を押し切って男の許へ飛び込んでいく歌であるから、夕霧は雲井雁に暗に今夜の二人のことを言うのであった。聞いて彼女は、河口などと嫌なことを言われると、
浅き名を言ひ流しける河口は
いかが漏らしし関の荒垣
(軽々しい浮名を、言い触らすのであったのは、御身の口からであるが、どうして漏ら(流)したのであったか、関の荒垣(夕霧)は)
情なく思います」
と雲井雁は恨めしげに夕霧に言うのである。大袈裟な雲井雁の言葉に夕霧は少し笑って、
漏りにける岫田の関を河口の
浅きにのみはおほせざらなむ
(堅固に守っているというても、監視の隙間があるので、浮名が漏れてしまったくき田の関なのに(父内大臣が厳重に制しなされても、浮名が漏れたのであるのに)、私(夕霧)の口の軽薄さにのみ、責めを負わせないで欲しい)
逢えなかった、長い年月の物思いの辛さの積りにつけても、ひどく無闇と苦しい故に、物を考える事もできませぬ」
と酒の力に任せて少し苦しそうに夕霧は返歌を詠う、そのまま帰ることもなく朝まで居座った。夕霧付きの女房達は、色々と内大臣に告げるのであるが、
「得意げな朝寝であるなあ」
と非難する。夜明けまでと考えていたが、夜が明ける前に、夕霧は去っていった。夕霧の寝乱れ姿も、見る価値のある美しさであると女房達は思った。
後朝の文は夕霧はまだやっぱり人目を忍んで、昨夜久しぶりに内大臣の許しを得て逢瀬を楽しんだというのに今まで通り用心深い筆で書いてあった。それを読んで雲井雁は
、このように夕霧がなかなか踏ん切りを付けてくれないのを、口の悪い女房達が、膝とか背を、突っつき合っている所に父親の内大臣がやってきて、夕霧の文を取り上げて見るのが、雲井雁にとって文面が文面であるので困っていた。その文は、
作品名:私の読む「源氏物語」ー45-藤裏葉 作家名:陽高慈雨