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私の読む「源氏物語」ー44-梅枝

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「今は総てが昔に劣り風味が薄れていく世の末であるが、仮名文字だけが全く際限もなく、優秀になってしまっている。仮名には男手仮名と女手仮名の平仮名とある。昔の人の古い筆蹟(行書草書など)は、筆法がきまっていた様子なのではあるけれども、その筆蹟は、悠々とした自由な気持が、のびのびとせず、筆法は一様に、どうも似ているのであったっけ(自由な変化はあまりない)。まだ唐風が抜け切らないので、和様にならない時代である。巧妙で、美しい趣のある筆蹟は、近代になってこそ、書き出す人達がいるけれども、平仮名を私が一心に習った頃は手本とする冊子が多くあった。そのなかでも中宮の母上六条御息所の力まない、走り書きの消息文一行の自然な筆蹟を入手して、文字柄が、格別に勝れていると感心したものであった。そのために、有ってはいけない、六条御息所と私が親しい関係にあるという浮き名が世間に流れたのである。そのことを後悔されて、六条御息所は、かつて沈み込んでおられたけれども、私は、御息所に対してそのように後ろ暗さはなかった。秋好中宮に私が現在、このように世話申しあげるのは六条御息所は、かつてよく気が御つきなされたから、お亡くなりになられても私の気持ちを察しておられると思う。秋好中宮の書風は手ぎわが、細かく行届いていて、母上なる六条御息所の筆蹟よりも、趣はあるけれども、やっぱり、筆に強いような所)が劣っているであろうか」
 と中宮を憚って源氏は紫に囁くように言った。更に源氏は、
「亡くなられた藤壺中宮の書風は、見た様子は、極意の域に達して、大層深みがあり、明るく上品な風情であったけれども、いかにせん、筆力に弱い所があり余韻がどうも少なかった。朱雀院の内侍の朧月夜は現在の名筆と思うが、あんまり気取り過ぎて洒落るから、浮気っぽい癖が、どうも筆蹟に加わっていることである。とは言っても朧月夜と前の斎院である朝顔とここに居る人とは、いかにも上手に書きなさるでしょう」
 と、源氏は紫上を認めると、
「私が名筆の仲間に入るのは、恥ずかしいことですは」
 と源氏に言う、
「そんなに遠慮しないで。貴女の書風は柔らかで、人を引きつけるところがあります。その行書や草書の真名が、うまく書ければ書けるほどますます仮名は、整わなくてしまりのない文字が時々混じるもので、その時に貴女は巧みである。仮名は、草書を更にくずしたもので、いわぱ草書の又草書ともいぅべきもの。かつ、漢字の行や草と違って、数も頗る多く、字体も定まらない。故に、仮名として特に稽古する必要がある」
 と源氏は紫に言う。まだ何も書かれていない綴(とじ)本などを、今まである上に更に沢山作って、その冊子の表紙や、表紙につけた紐などを見栄え良くさせる。
「これを先ず蛍宮、左右衛門督に書くように依頼しようと思う。私自身も一双(二冊即ち二帖)は書くつもりである。螢兵部卿宮も左衛門督も、気取っているが、私だとて、その宮や左衛門督に書風では負けてはいないよ」
 と源氏はこれから使う筆や墨をあれこれと選びながら自慢をしていた。又彼の女達にも冊子に書くように依頼をしたので女達は、こんな冊子に書くのは容易な事ではないと、思って辞退する人もある、そのような人には何回も以来の文を送り押しつけた。源氏は、高麗から渡来した、薄様らしい紙で綴じたもので、非常に上品で立派な冊子を選び分け、
「この冊子に書かせて、風流人ぶっている若い人達を試してみよう」
 と言って夕霧や、紫の兄の兵衛の督、柏木達に、「歌を葦の生い乱れたように書いた葦手、それとも歌の意味を普通の絵に書いた歌絵など好みによって好きに書くように」
 と源氏が申しつけるので、みんなそれぞれ腕をふるって競い合った。
 葦手とは、「葦の字」の意である。その起源は、伝公任筆の葦手様歌のようなものであったと思う。それが、歌絵などとの影響や交渉もあって発展し、絵画的要素が多くなったのである。故に、歌絵でないもので、葦や水などを加え、文字を絵の間にも織りこんだような書きぷりのものを、すべて葦手と言う。 
 歌絵とは、物語の結に対する言葉で、一首の意が桧になっているものである。
 源氏は香あわせをこっそりとした例の寝殿にいて、自分自身も書を書いていた。三月も半ばを過ぎると花の盛りも終わり薄い藍色である空がよく晴れ渡ったなかで古い和歌などをとくと吟味して草体の仮名も、只の仮名即ち平仮名、女手と言われる草の更に草である平仮名を駆使して美しい書面を書き出して一冊を終える。源氏の前には大勢の女房達は居なくて只墨を摺ったり雑用をする者三人ばかりが従っていた。源氏が由緒ある古い歌集などを選び出して、
「どうであろうか」
 と選定するのに口添えをすることが出来る女房達だけが側に使えていたのであった。
 御簾を上げて肱つきの上に冊子を置き、廂の間に近い所に、なりもふりも構わずに、筆の尻を口にくわえて一心に書面を見つめている源氏の姿は見ていても飽きが来ない程優雅な姿であった。白や赤の冊子の紙に向かい神経を使う所などは筆を持ち直して
真剣に取り組んでいる態度は、何げない執筆の様子も美しいのに、その上、更に気を引き締めている姿は、なる程、たしかに賞讃すべき様子であった。
「兵部卿の宮様がお見えです」
 と女房が源氏に告げると、単衣の乱れた姿の源氏は驚いて直衣を単衣の上に着て、自分の敷物以外に、螢兵部卿宮のを敷き添えさせ、そのまま待ち迎えて、寝殿の今執筆中の所に招き入れた。蛍宮も清楚に着こなして、寝殿の正面の階段を挨拶して上ってきて二人ともきちん着衣している容姿は、大層美しい。その姿を女房達がのぞき見していた。源氏は。
「することもなくこの頃家に籠もっていますのも少々苦痛になってきましたおりでしたので、よく訪ねてくださった」
 と嬉しそうに弟宮に話しかける。蛍宮は、源氏から託された執筆依頼の冊子を持ってこられたのである。
 そのまま直ぐに、源氏が見ると、それほど能筆というのでもない筆蹟であるが、彼独特の書法で、物静かで垢抜けした感じでもって書かれてある。歌も特別に偏った古歌などを選んで、一首を三行程に、真名漢字は少くして仮名を多くして見た目の体裁をよいように書いてあった。源氏は驚いて、
「貴女がこうまで上手い字を書くとは思いもよりませんでした。これは私なんかとても書くことが出来ませんわ」
 と蛍宮の腕を妬ましく褒めて言うのである。
「このような能筆の方のお仲間として、明石姫君のために、臆面もなく、厚かましく書きおろす筆の筆蹟は巧ではないとしても、まんざら下手ではないと、いかにも私は考えておりまする」