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私の読む「源氏物語」ー44-梅枝

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(鴬の声のように美し声で謡う、催馬楽の梅が枝を聞くと、一層私の心は浮き立つのであろうか、只ですら、私の心を引きつけている、その梅の花のあたりに)
 きっと、千年もここに過ずに相違ない」

 と源氏に歌を贈る、源氏は、

 色も香もうつるばかりにこの春は
      花咲く宿をかれずもあらなむ
(梅の花も香りも君のためにあるのだから、今年の春は、梅の花の咲いている私の宿を、絶えず訪ねて欲しい)

 と頭中将の柏木に杯を向ける、柏木は宰相の中将である夕霧に杯を向けて、

 鴬のねぐらの枝もなびくまで
     なほ吹きとほせ夜半の笛竹
(鴬が宿とする梅の枝も、撓む程までに、やっぱり、もっと吹き澄まして下されよ、この夜半の笛の音を)

 その歌を貰って夕霧は、

 心ありて風の避くめる花の木に
     とりあへぬまで吹きや寄るべき
(気をつけて、散らさぬように風が避けて吹く梅の木に、無闇にあわてている程にまで、私が笛を吹きかけて近寄るべきであろうか、吹き寄るべきではない)
 吹き寄れば、花は散る故に無情であろう」

 と柏木の杯を受けて夕霧が詠う。みんなが笑うなかで弁の少将が、

 霞だに月と花とを隔てずは
     ねぐらの鳥もほころびなまし
(せめて霞だけでも、月と花と私達との間を、ほの暗いように隔てないならば、月はもっと明るく見え、花もはっきり見られるから、塒に寝ている鳥も、夜中ではありながら、夜明けかと思い、花の美しさを見て、きっと鳴き出すであろうがなあ)

 螢兵部卿宮は、「千代も経ぬべし」と言った通り、時を過して、夜明け方近くなって自邸に帰って行った。源氏は弟の蛍宮への贈り物として、自分の装束の直衣一揃い、直衣と指貫と烏帽子、を宮が嗅がなかった薫物二壺を添えて使いの者に命じて宮の車まで持って行かせた。受け取って宮は、

 花の香をえならぬ袖にうつしもて
      ことあやまりと妹やとがめむ
(花の香の立派な薫物を、立派な直衣の袖に、たきしめて移して持って帰るならば、私の浮気かとして、妻が咎めるであろうか)

 歌で礼を言ってきたので、源氏は、
「妻が咎めるなどと、大層、しょげておりまするねえ、貴方は」
 と妻を亡くしている宮のことを笑うのである。宮の車に牛を繋ぐ間に源氏は、追っかけるようにして、

 めづらしと故里人も待ちぞ見む
       花の錦を着て帰る君
(珍しいことよと妹も、いかにも御待ちなされて、御覧なさるであろう、私の贈った美しい花の錦を着て、御帰りなさる貴方を)
 (宮は今、妻がないから、外に宿る事を一夜もした事はないから、今朝帰るのを)「又とない珍しい事である」と皆さん思われるでしょうよ」

 と返歌をすると妻を亡くした蛍宮は、空閨の寂しさを感じるのであった。柏木や弁達にも源氏は立派な贈り物の細長や小袿を今日の祝儀にと渡した。
 このようにして秋好中宮の住む御殿である西の対に十一日の午後八時(戌のとき)頃に、源氏はやってきた。秋好の居る西の対の廂の間を衝立などで仕切って放出を造りそこを裳着のための明石姫の髪を整える髪上げの場所とした。髪上げを担当する内侍達も集まってきた。紫もこの機会に秋好に会おうと西の対に現れたので、あきよし、紫両方の女房達がこの西の対に溢れていた。
 夜中の十二時の子の刻に明石姫の裳着の式が始まった。大きな灯火を点してはいるけれども、灯りはほのかなものである明石姫の姿は立派で美しいと腰結い役の秋好中宮は見ていた。源氏は、
「秋好中宮が明石姫君を簡単に見捨てるようなことはあるまいと信じているからこそ、秋好中宮の行啓を戴いてまだ童の明石姫を見て貰ったのである。中宮の行啓を仰いでの腰結は、中宮を軽々しく頼んだことが、後世の例になるであろうか。只の人の腰結に、中宮の行啓はあるまじき事なのである、と私はみにあまる光栄とありがたく思っています」
 と秋好中宮に語るのであった。秋好は、
「当然、どうなるべき事かとも、考えませなんだのにね。
源氏様に無礼な姿とか、後世の例になるであろうか、と大袈裟に仰られますと、どうも、却って、たしかに、私は恐縮せずにはいられなく思われまする」
 と秋好は何でもない事のように、源氏に否定する様子は、大層若く愛敬があるので源氏は、思い通りに、それぞれ個性のある美しい容姿の自分の女達の明石姫、紫上と、秋好中宮がここ六条院に集合したことをお互いが親しい間柄で睦しくお付き合いできると自然に思うのであった。ただ明石姫の母親の明石の上だけは娘の裳着の日だというのに、娘の栄えある姿を見に来ないのを「悔しいことであろう」と源氏は彼女の気持ちは察するのであるが、裳着の式に臨席するようにと思うのであるが、他人がどう言うかと思うと明石の上の出席を無理に誘うことはしなかった。このような六条院の儀式は、普通の場合でも色々と多く開催され、煩雑であるのに取りとめもなく語るとしても、「それも却って煩雑でうるさかろう」と細かいことは省略する。

 春宮は朱雀院の皇子で、母は承香殿女御(鬚黒の妹)。今年十三歳になる。彼の元服の式は二月廿日にとりおこなわれた。春宮は立派な男であるので、身分の高い者達が娘達を争って春宮の女御にと願望するのであるが、げんじの娘の明石姫を春宮の女御にと、という気持ちが大きいのを聞いて、彼らは、
「折角、入内させても、春宮の気持ちが明石姫に行っては、却って中途半端でつまらない宮仕で付き合いもつらいことであろう」
 と勢い込んでいた人達もしんぱいする、なかでも左大臣や左大将などは、娘の入内を止めてしまった、ということを源氏は聞いて、
「それは私の娘が入内するからといって、左大臣や左大将達がその娘の入内を止めるということは不都合な事である。宮仕ということは、宮仕の人達大勢の中で、少しばかりの優劣を競い合いするのが勤めというものであろう。多くの勝れた姫達が、入内もせずに、家に引込められてしまうのは、全く、良い娘を持っている、持ち甲斐はあるまい」
 と言って娘明石姫の入内を遅らしてしまった。「明石姫君の入内後相続いて入内させよう」と、左大臣と左大将などは源氏に遠慮するのであったが、源氏が明石姫の入内をこのように延期したことを聞いて、春宮元服の夜の添い寝は左大臣の三番目の娘が上がった。このさんの娘が「麗景殿」と名乗った。
 明石姫の内裏での部屋は、昔の源氏の宿直所であった淑景舎、即ち桐壷を、改修して用意したのであるが、姫の入内が遅れたので春宮が待ち遠しくて苛々しているのを源氏が見て、四月に参内と決定した。入内に際しての姫の調度品などを、すでに桐壺の備えてある物以上に色々と取り揃えて源氏自身が調度品の雛形や蒔絵などの図案などをも、すべて目を通しながら、その道の優れた職人を呼び寄せて丁寧に念を入れて立派に磨いて調製させた。また、綴本や紙類を入れておく箱、即ち冊子箱に、当然入れるはずの草子などで、そのまま姫が習字の手本にできるものを源氏は選んで入れて老いた。上代の立派な筆蹟などで後生までも書家として名前が遺るような書家ではないが能筆の作家の物が源氏の許に沢山蒐集されていた。