私の読む「源氏物語」ー43-真木柱ー2
それでも冷泉帝はかつて女御として玉鬘のことをいろいろと想像していたが、その希望を鬚黒の女となってはずれてしまった恨み言を、年上の女に甘えるように言うのを聞いていると玉鬘は母親のような愛情を感じて帝に顔を向けようとしても、どうも向けることが出来ず顔を隠したままで帝に返事もできないでいる。冷泉は、
「返答がないのはどうしたことかな、頼りなく気がかりなことよ。貴女に三位を与えたという、我の心をお分かりになると、私は思っていたのであるが、尚特になるようにと勧めた時と同様に玉鬘は今日も、分かっておられるのかそうでないのか、知らぬ顔である、それはあなたの性格なのですかな」 玉鬘は返答しない、
などてかく灰あひがたき紫を
心に深く思ひそめけむ
(このように三位の淺紫を染めるように灰が合わない逢いにくい玉鬘貴女を、私はどうしてこんなに心の奥深く思い初めてしまったのであろうか)
深い仲になることが出来ないのが我等両人の宿縁であろうか」
と冷泉帝が泣きことを言うのを、若く美しい貴公子からの口説きを聞くのも玉鬘は恥ずかしいけれども、「冷泉帝の言動に源氏と違う点があるのか、同じであるか」と考え落着いて、あまり宮仕の功労もなくて、今年三位に昇進を受けた感謝の気持をこめて、
いかならむ色とも知らぬ紫を
心してこそ人は染めけれ
(私がどのような意味で頂戴したかも分からないで三位を頂戴しました。深い御志で、冷泉帝は私に下さったものでありましたのですか)
これからは三位のありがたさを思いしめて、宮仕を致すつもりでございます」
と答えると冷泉帝は喜び笑って、
「今から我が志を思い知りなさるとしても、既に鬚黒の妻になってしまった貴女であるから、その言葉は私にとっては甲斐がないものであるよ。私の胸の中の不満・不平を、聞いてくれる人がいるならば、思いっきり話して、私の心の思いが正しいかどうか判断を仰ぎたい」
と嘆き恨む冷泉を玉鬘は本当に煩わしく思うのであった。これからは、冷泉帝に対して思わせぶりな砕けた素振りを見せないようにしよう。帝も源氏と同じように自分に欲情する心があろうなどとは、面倒な男女の仲であると思うのであった。それからは玉鬘はまじめくさくふるまいながら勤めを果たすので、冷泉帝は冗談事を言って玉鬘に接することもなく
「内裏の生活を続けている内に慣れてくれば、玉鬘もいつか自分に親しくなって来るであろう」
と考えることにした。
鬚黒大将は玉鬘の許に冷泉帝が訪れたことを聞いて、心が乱れて玉鬘に直ぐにでも内裏から退出するように言ってきた。帝がわざわざ玉鬘の局を訪ねるということは完全に彼女を我が女としたい下心であると見て取ったからである。玉鬘自身も、鬚黒の妻として帝の愛を受けるということは出来ないことである。と身の情なくつらく、とても暢気にしている事もできない、そこで帝から退出して内裏を去るという尤もらしい口実などを、玉鬘の実父の内大臣などが、玉鬘の姉である弘徽殿女御の事などを考え、妹の玉鬘に冷泉帝の心が移る事なども心配して、上手に帝に取繕いしたので、玉鬘は帝の前を去ることが出来た。
冷泉帝は、
「それならば玉鬘を退出させよう。退出させずに内裏に留め置いては、もう二度と参内させない人が玉鬘に付添うているからな。そうなると私は玉鬘を見ることが出来ないのでつらく情ないことになる。誰よりも先に私は玉鬘を我が女御にと決めていたのであるが、鬚黒に後れを取って先を越されて、鬚黒に気がねをする事よ。昔、平定文が体を許しあった女を当時の太政大臣に横取りされ、二人の間の子供の腕に歌を書いてこっそりと母親に見せた、という昔話の平定文のような気持ちがする」
と言って、自分の女としたかった玉鬘を奪われたことが悔しい、と冷泉は思い続けていた。
玉鬘のことを尚侍として参内させる、ということを初めて聞いて接見して彼女と会ってみると、それまで噂には聞いていたがその想像よりも遙かに美しく、女御にしようなどということは考えても見なかったのであるが、それでも間近に見た彼女の美しさに心が奪われてしまって冷泉帝は玉鬘を我が物として決して取り逃がすまいと心に決めていたので、大層妬ましく冷泉帝はどうしても諦めがつかなかった。しかし彼は「あまり玉鬘に執心して心が浅いと、玉鬘に軽く見られて相手にされなくなるのは避けよう」と考えて、冷泉帝は、決して本心が悟られないように柔らかい寛大な心を持って奥ゆかしく玉鬘に退出の許可を伝えて、これから先も参内するようにと尚侍の役を約束して玉鬘に語るのであるが、聞いている玉鬘は、
「自分ながら、自分の身ではない、夫が定まっている身であるから、いかに鬚黒を心から愛していない自分は、冷泉帝に仕えたいのではあるけれども、今はままならぬ情けない状況の身である」
と思っている彼女に帝がいかに心深く約束をしてもどうにもならないことである。
玉鬘尚侍退出のための手押車の輦車を、承香殿の東面に寄せて、源氏と内大臣と鬚黒方から送られた付添人達は、いつ玉鬘が退出するのかじりじりして待っている、さいさい退出はまだかと内へ問い合わせてくる、帝は、ぎりぎりまで彼女と別れ難く玉鬘の傍にいて、離れることが出来ないのである。「このように近くで玉鬘を厳重に護衛する近衛の者達が居ては、本当にうるさい事よ」
と鬚黒が近衛大将であるから近くで護衛する、と冷泉は冗談を言う。多分に鬚黒が玉鬘を奪ったことが憎いのである。冷泉は別れの歌として、
九重に霞隔てば梅の花
ただ香ばかりも匂ひ来じとや
(鬚黒というかすみが、内裏との間をせき止めてしまったならば、梅の花の玉鬘は、かすかな香りの様な今回の参内も、これ以後は内裏に来るつもりはないというのか)
取り立てて言うほどの歌でもないが、冷泉の様子を見るとこの歌はさもありなんと思うのである。更に彼は玉鬘に、万葉集からの歌「春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける」を思いだし
「玉鬘とこうして語らい、玉鬘の傍とともに一夜を過ごしたいと思うような夜ではあるが、貴女を待つ人がいるので、貴女を思う私の心からその人の辛さを考えると、鬚黒が玉鬘待ちこがれている心がいかにも気の毒と、私は思っています。さて貴女は内裏から退出後は、どのような方法で消息を伝えることが出来るのであろうかな」
と辛そうに言うのを玉鬘は、有り難いと、年下の可愛い男の子と冷泉を見ていた。
香ばかりは風にもつてよ花の枝に
立ち並ぶべき匂ひなくとも
(歌などを詠み交わす程度の消息は、風のたよりにも伝えて戴きたく思います、私は、女御や更衣方のような花の枝に立ち並ぶ事のできる美しさや匂ひはありませんが、それでもよろしければどうぞ)
冷泉帝から離れない玉鬘の態度を、「可哀そうである」と 冷泉帝は思いながら振り返り振り返り玉鬘の局から去っていった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー43-真木柱ー2 作家名:陽高慈雨