私の読む「源氏物語」ー41一藤袴
「なる程、柏木様の仰せの通り、姉弟でありながら、別れ別れになっていた長い間の話も、この際に貴方にお話ししたいのですが、このところ私は何となく気が重く横になって起きるのも儘にならない状態です。それなのに、貴方はこんなに離れた場所とか、内緒の話が出来ないとか、どうしてですかなどとおっしゃって私をお責めになる、それにつけても姉弟であるのにと思うと、却って柏木様が親しめなく、いやらしい気が私にはするのでござります」
と玉鬘は自分の腹立たしい気持ちを真剣に柏木に訴える。柏木は思いもよらぬ玉鬘の言葉に、
「貴方がご気分が悪く横になっておいでであれば、せめて御簾から中に入り几帳のそぱからのお話しを、許してくださいませ。いやいや、どうなるともかまわない。こんな無理な申出は、なる程申し上げるのも、私は思慮が無いことでした」
と言って父の内大臣からの伝言を密やかに玉鬘に伝える、その態度はもう立派な誰にも劣らない殿上人であった。
父からのお言づては、
「尚侍として帝の許に上がることは、その詳しいことを源氏様からは聞いていませんのでよく分かりません。それでも内々に何か相談事があれば、言ってください。父は世話をかけている源氏様を遠慮して、貴女に会いに行くのが出来かねます、源氏様ばかりにまかせ、貴女に何かと相談に乗れなくて、父上は気がかりにお思いであります」
と伝言役の女房宰相の君を通じて玉鬘に告げる、そのついでに柏木は自分のことを加えて、
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「いやもう、姉弟と知ってしまった今では、下手な恋文を書いて以前のようにお渡しする事もできません。けれども、姉弟にせよ他人にせよ、私の貴女を思う情愛を知らない顔で無視するようなことはなさらないでしょう。と思っていますが、今宵の私の持てなしようで貴女への恨みが一層酷くなったようです。このように南面に私を座らせて、帝からのお使者のようによそよそしく扱われて、北面の貴女のお部屋の方に私を案内して欲しかった。宰相の君たちは私をいやな、差出た者とも思いなさるであろうが、せめて下々の雑役などをするような女人達とでも私は話がしたかった。姉弟であるのに、こんなに疎々しい冷遇を受けるのは、この外には又とあるまいなあ。他人と思ったのが姉弟であったり、姉弟なのに他人扱いにしたり、何かにつけて、色々に珍稀な二人の間柄であるなあ」
と柏木は納得できずに玉鬘の心を不審に思いながら愚痴っぽく言うのを宰相の君は可笑しく思い、玉鬘に、柏木がこのようでしたと彼の態度を細かく告げるのであった。玉鬘はそれを聞いて、
「柏木の冷遇云々との言うのはなる程、「姉弟と知ったからとて、急に親密になるのは、出し抜けのようであろうか」と、外聞を遠慮しておりまする間に長い年月の、心中にこめて晴々しない苦労をまあ、打ち明けて晴々させませぬのは、他人と思っていた時よりも、姉弟と知っては辛くなることが多いものです」
玉鬘が真面目一方で、そっけなく言うので、聞いていて柏木は、きまりが悪いから照れて言いたいことは全部内に押し込めて、
妹背山深き道をば尋ねずて
緒絶の橋に踏み迷ひける
(姉弟であるという深い事情を詮索しないで、懸想文などを送って迷っているのであったよ)
と玉鬘が思い通りの相手をしてくれないのも彼女のせいではない、自分の問題だと柏木は思うのであった。その柏木の歌に玉鬘は返してきた、
惑ひける道をば知らず妹背山
たどたどしくぞ誰も踏み見し
(道(文)を、私はそれと気がつかなくて、姉弟でありながら、姉弟と思っての文とも、又恋の文とも、はっきりと区別せずに、私もかつて妹背山を歩いて(踏み─文)見ました)
詠う玉鬘と柏木の歌を聞いて宰相の君は、
「姉弟の意味か懸想の意味か、どっちの意味の文であるかという事を、どうも今まで、玉鬘は見当をつける事が出来なかったようですね。玉鬘はあまりにも世間を気にしすぎて、柏木様の文に返事を書かなかったのではありませんかなあ、この後は今のようにでなくもう少し気を大きくなさいますでしょう」 と柏木に宰相の君が諭すように言うので、彼も、(思うにまかせないが)ままよ、長居をしておりましょうにも、興味がない時である。今後次第に、玉鬘への私の奉公の功が積ってからこそまあ、かこつけ言(不平)をも中上げよう「思うには参りませんでしたが、長居は無用失礼に当たります。今後次第に、私が玉鬘へいろいろと尽くしますからまあ、それから不平を申し上げましょう」
と言って立ち上がり帰って行った。折しも空は晴れ渡り月が曇りもなく輝き、空全体が優雅である中を柏木は、魅惑的な美しい直衣姿で帰って行く様子は男の魅力を一杯に振りまいているように見て女達は見送った。夕霧ほどの美しさはないけれども、柏木も見事な男ぶりである。
「どうしてタ霧も柏木も、このように美しい従兄弟同志なのであろう」
と若い女房達はたいした仕草でもないことまで取り上げてあれこれと二人の貴公子のことを褒めちぎるのであった。
玉鬘に想いを寄せて我がものにしようといろいろと手を考えている鬚黒大将は、この柏木中将と同じ右近衛の長官である。柏木は中将であるから次官ということで鬚黒の部下になる。そこで鬚黒は柏木を絶えず呼ぴ迎えて、こと細かに自分の心情を語り、柏木から内大臣に是非玉鬘を自分の妻にと伝えてくれと頼むのであった。鬚黒は人柄も良く、現在東宮になっている母親の兄になる人物であるので当然将来は東宮の後見人として名を上げるであろう、内大臣は、玉鬘の婿としては良縁である、と考えてはいるが、源氏が隠していることを自分が公表することは出来ない。源氏は何か考えがあるのであろうと、内大臣は源氏に娘玉鬘のことは任せることにした。 鬚黒大将は三十二歳になり、東宮の伯父ということで、源氏達の次に冷泉帝の信任が厚い人であった。鬚黒の正妻は源氏の北の方である紫の上の腹違いの姉であった。式部卿の宮の長女である。鬚黒よりも三四歳年上である。別に歳が多いからと言ってそれが欠点でもないのであるのに夫である鬚黒は「婆」と呼んで気にかけることもなく、どうにかして離縁したいものだと考えていた。
そのような関係で、源氏は、
「鬚黒の本妻は紫上の姉なのにそれを押しのけて玉鬘を鬚黒の本妻とする事は、紫にも申し訳が立たないし、またそれを知っている玉鬘にも気の毒であろう」
と思っていたのである。
鬚黒は玉鬘を得ようと激しく恋文を送ったりはしないで穏やかであったが、彼女には酷く思い焦がれていたのであった。内大臣もあまり鬚黒のことを問題にしてはいないし、玉鬘は宮中に上がるのをためらっている、という内大臣家の内々のことなど桂木を通していろいろと聞いていたので、鬚黒は、
「専ら、太政大臣源氏様の御考が、北の方である紫上の姉が私の北方であるために、気にされて賛成しかねると言うことであろう。それはそれとして、ともかくも本当の親である内大臣の御気持が異存なければ、玉鬘を迎えても、差支えはあるまい」
と考えて玉鬘の女房弁にも玉鬘との仲を取り持つようにと責め立てるのであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー41一藤袴 作家名:陽高慈雨