私の読む「源氏物語」ー40-行幸
「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝いたしますが、今までこのように私にお隠しになっていた恨み言も、どうしても言わずにはおれません」
と源氏に恨みごとを言う。
恨めしや沖つ玉藻をかづくまで
磯がくれける海人の心よ
(沖の美しい藻(裳)を身につける(かづく)まで磯にかくれていた海女(玉鬘)の心が恨めしい)
と言って、内大臣は人目から隠し切れず涙をながす。玉鬘は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、父の内大臣の歌に返すことが出来ずにいるので、源氏が、
よるべなみかかる渚にうち寄せて
海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し
(父内大臣が顧みてくれないから頼り所がなくて、玉鬘は、私のような所(渚)に身を寄せているので、海女も尋ねて来ない藻の屑のような女である)
「恨めしや云々」とは全く、事情も知らず殊の外な、薮から棒の御恨み言であると、いかにも思われる」
と玉鬘に代わって返歌して内大臣に言うと、
「おっしゃるとおりでございます」
と答えると内大臣はその場にいたたまれずに御簾の外へと出て行った。
親王たちや、源氏と縁のある人は全員六条院玉鬘の裳着を祝いに集まった。蛍兵部卿の宮や紫の姉婿である鬚黒大将のような玉鬘に想いを寄せている人達も参会者の中に多くいるので、この人達は内大臣が、玉鬘の御簾の中に入って暫く出てくる様子もないので、どうして内大臣が女の御簾の中に入り込んでいるのかと、玉鬘に想いを寄せている男達はみんな不思議に思っていた。
内大臣の子息柏木中将や、弁少将だけは、それとなく父親と玉鬘の間柄を知らされ、自分たちの異母姉ということが分かってた。そういうわけで自分たちが玉鬘を密かに恋していたことを、真相が分かると辛いこととも、また嬉しいこととも、複雑な思いであった。弁少将は、
「よくも玉鬘に告白しなかったこと」
と小声で独り言を言っていた。
「美女を娘として養育して、男に心を尽くさせようというのは源氏様の一風変ったお好みよ。中宮とご同様に入内させなるお考えなのだろう」
などと、悔しそうにめいめい好きなことを言っているのを源氏は聞いていて内大臣に、
「やはり、暫くの間は玉鬘に注意なさって、内大臣の娘なのに源氏の娘と偽っていた事が世間に漏れないように、玉鬘を御扱いなさい。軽輩の者達は、いかに女と問題を起こそうが、噂も立たず、何となく事が終わってしまうものであります。、もしも玉鬘の扱い方に世間の人が噂をしだし、我等を悩ますような事があるとすれば、軽輩の者よりも、面倒なことであるから、玉鬘のことはいまは、目立たぬように平穏に扱い、段々時がたつにつれて、自然と人も見馴れて気に掛けないようにするのがどうも良いことでございましょう」
と内大臣に言うと、内大臣は、
「玉鬘のことは源氏様の良いようにしてください。私はそれに従いましょう。あの娘がこんなにまで貴方にお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」
と答えた。
内大臣への腰結の禄(贈物)などは、改めて言うまでもなく、関係者すべてに引出物や、禄などを身分に応じて慣例では限度があるから、それに更に加えて盛り沢山するようにした。玉鬘の祖母である大宮が病気であるということから出席を断られたこともあるので、普通ならば大管弦の宴が催されるのであるが、それは中止になった。
源氏の弟の兵部卿宮は、
「裳着も終わったことでありますから、今はもう私と玉鬘のことをお断りになる理由は何もないでしょうから」
と、一心に源氏に頼むのであるが、源氏は、
「帝からから、玉鬘を奉仕させるようにと御沙汰のある尚侍の事をいったん御辞退申し上げ、さらに主上の重ねての仰言に従って、いかにも御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また言葉に従いまた。尚侍よりも別な事は、その後にでも決めましょう」
と返事をした。
父内大臣は、灯火の下にかすかに見た娘の玉鬘を
「どうにかしてはっきりともう一度見たいものである。もしも玉鬘に少しでも欠点というものがあるとすれ、源氏はこうまで大袈裟に取扱い、大切に思うようなことはあるまい」
など思い、玉鬘に会ってからは彼女のことが気にかかり、愛しく玉鬘を思うのである。
内大臣は今になって、あの不思議な夢も、その故を本当に合点がいくのであった。宮中にある娘の弘徽殿女御だけには、玉鬘の事情をきっちりと話したのである。
内大臣は
「世間の評判になるから、当分の間は、玉鬘のことを公にしたくない」
と、厳重に隠していたのであるが、そんなのはすぐに漏れるもので、自然と噂が流れ流れて、自然に、玉鬘の事を言いふらし言いふらしして、評判になって来たのを、やはり内大臣の隠し子であったあの困り者の近江が聞いて、弘徽殿女御のに面会に来ていた、柏木中将や、弁少将の所に出て来て、
「殿は、姫君を引取りなさるそうですね。まあ、御めでたい事です。どんなに幸運な人でしょう、源氏と内大臣お二人に大切にされて。噂によれば、私も劣り腹(妾腹)の子であるように、玉鬘も劣り腹の娘ですね」
と、近江は遠慮無くずけずけというので、弘徽殿は、
「聞き苦しいことを言う」
と思ってかなにも物を言わない。柏木中将が、
「それは、そのように当然、大切であるわけがあるのでしょう。それにしても、近江は誰が言ったことをこのように出し抜けに言うのですか。そんな事は噂好きで口のうるさい女房などが聞いたら大変なことで、父の内大臣の為にならないことですよ」
と近江に注意すると、
「おだまり。私はすべてを聞いているのですよ。玉鬘というその女は尚侍になるのだそうですね。私が「弘徽殿女御の宮仕えをする」といって急いで御勤めにあがり申した事は、「内侍のかみ(尚侍)になるようなことでもあるか」と思ってこそ、出仕してから後は、女房達が嫌ってしない仕事まで、身を入れて私はお勤めいたしました。ところが話が違って、玉鬘が尚侍になるとは、御前が、私に冷淡であるからのことである。」
と、いきり立って恨み言をいうので、柏木達は何という出過ぎたことを言うと笑って、近江に、
「尚侍に欠員ができたら、「私こそ御願い申そう」と思っているのに、身分不相応なことを言いなさんな」
弁少将は、
「無茶苦茶に、まあ、尚侍の地位を横から飛ぴ出して、取ろうと思っていなさるのか」
などと馬鹿にして言うので、近江は腹を立てて、
「立派なご兄姉の中に、物の数でもないつまらぬ私のような者は、仲間入りをしてはならないのであったんだ。一体全体、柏木中将の君がどうも私にむごく情なく御ありなさる。差出がましくまことしやかに私を迎えに来て、挙げ句の果ては軽蔑し嘲弄なさる。これでは、言うに足らないつまらない者は、居たたまれないと思うでしょう、そんな内大臣の御殿の中であるなあ。ああ恐ろしや、ああ恐ろしや」
近江は言い終わると後めに膝行して退いて、恨めしげに柏木をにらんでいる。その様子は憎らしくもないが、大層意地が悪そうに目尻をつり上げている。
中将は、近江がこのように悪態をつくのを聞くにつけ、
作品名:私の読む「源氏物語」ー40-行幸 作家名:陽高慈雨