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私の読む「源氏物語」ー40-行幸

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「こんな事を、恥も外聞も構わずに言う女を引取るように世話したのは、なる程私の失敗した事である、と思うと、まさか嘲り笑う事もできない、まったく私の失敗だ」
 と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。弁少将は、近江に、
「貴女のこちらの宮仕えでも、ご精勤ぶりを、弘徽殿はいいかげんには見てはおられないことでしょう。貴女も気を静めて堅固な巌でも沫雪のように蹴散らかしてしまうほどの勢こんだ意気ごみであるから、うまい工合にきっと願いの叶う時もありましょう」
 と、言って笑っている。柏木中将も、
「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」
 と言って、二人は立ち上がって帰ってしまったので、近江は涙をこぼして泣きながら、
「わたしの兄弟たちまでが、すべて私につらく冷淡に当るけれども、ただ、姉の弘徽殿女御の気持だけが私に親切であるから。お仕えしているのです」
 と、気軽に勤めに精を出して、下級の女房や女童などが勤めかねる雑役でも、小まめに飛び歩き、あちらこちらと歩き廻りながら真心をこめて弘徽殿に宮仕えして、
「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」
 と弘徽殿を責めたてるので、彼女もあきれて、
「どんなつもりで言っているのだろう」
 と、何とも言うことが出来なかった。

 内大臣は近江の願いを柏木から聞いて、大笑いして、弘徽殿の許に上がったとき、
「どこにいるのかな、近江の君。こちらに来て」
 と呼ぶと、
 「はあい」
 と、とてもはっきりと答えて、近江が出て来た。
内大臣は近江に、
「弘徽殿女御に仕えている近江の御奉公ふりは、朝廷に仕える人役人として、なる程、全く適任であると思う。尚侍を望むということであるが、尚侍の事はどうして、わたしに早く言わなかったのですか」
 と、たいそう近江を気遣って真面目な態度いうので、近江は嬉しくて、
「そのように、父上のご内意をいただきとうございましたが、弘徽殿様が、私の希望を自然にきっと御伝えなさるであろうと、いかにもあてにして張切っておりました。意外にも尚侍になるはずの人が、私の外におられるように、聞きましたから、宛にしていたときは、夢の中で金持になったような気がしてましたが噂を聞いて、胸に手をあてて寝た時のように悪い夢を見てうなされているのであります」
 と父の内大臣に答えた。近江の答え方が言葉がまことにはきはきしたもので、内大臣は思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて、
「私に直接に話さず、弘徽殿女御をあてにする、そんな事は、回りくどくて頼りない頼みようであるよ、はっきりしない貴女のお癖だね。希望していて私にもしも話してくれれば良かったのに。そうすれば、私は第一番に、誰よりも先に帝に推薦したのであったのに。然し私に御話がなかったのでそのままになっていた。たとい源氏の御娘玉鬘は、尊い身分であるにしても、こちらの方で、強いて御願い申すならば、尚侍のことは、冷泉帝もお聞き届けになったであろうと思うがなあ。今からでも遅くはあるまい、今からでも申文を立派に書き上げなさい。長歌などの体の申文で、もしも深く面白い趣があるならば、それを帝が御覧になって近江を御見捨てなさるまいと思う、不採用の事はあるまい。冷泉帝はとりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」
 などと、申文は漢文で書く物でさらに長歌などは公文書には書かないのであるが、内大臣は近江をからかい半分にうまく騙してしまった。これは親として見苦しい物であるよ。近江は真に受けて、
「和歌は見苦しく下手でも、私はきっと作りましょう。けれども、それはそれとして公文書の申文は。父上が主な文を仰せられますれば、私は、その仰せに言葉を添えるようにして完成させたいと思います」
 と言って、両手を擦り合わせて父の内大臣に頼み込んでいた。弘徽殿の几帳の後ろに控えて内大臣と近江の話を聞いていた女房は、死にそうなほどおかしく思っていた。二人のやり取りに笑いが堪えられず、外へすべり出して、ほっと息をつく女房も居た。弘徽殿も顔が赤くなって、顔が赤くなって、近江の常識のないことに、たまらなく見苦しい、と思っていた。内大臣も、
「気分が悪く、くさくさした場合は、近江をからかうことによって、何かと気が紛れる」
 と言って、近江をただ笑い者にしているが、周りの宮中に勤める人達は、
「内大臣自身は恥ずかしく思いながら、娘を取りつく所もなく、恥ずかしい目に逢わせなさる」
 などと、内大臣を非難していろいろと言うのであった。
(行幸終わり)