私の読む「源氏物語」ー40-行幸
と彼女は笑うものの、宮仕え、尚侍の件を玉鬘は以前源氏に言われたときは気が乗らなかったのであるが、昨日、行幸の中で帝を自分の目で見て、宮仕えしても好いなあと、望む気持ちが彼女の心中に若干生じていた。それを源氏が見事に見抜いて当てたのである、
「よくも人の心を見抜けるものよ」
と玉鬘は思った。返事には、
「昨日は、
うちきらし朝ぐもりせし行幸には
さやかに空の光やは見し
(霧が立ち朝曇りしていた昨日のみ雪(行幸)には、はっきりと空の光(天顔)を見ましたかねえ)
ですから私は帝のお顔も尚侍の望も、どちらも、はっきりしない事なのでございます。」
玉鬘は源氏に意中を見透かされたので、逆に却って否定的に答えたのである。
この文を源氏は紫の上にも見せたので、
「尚侍として宮仕えする事を、かつて玉鬘に勧めたけれども、秋好中宮が、私の子として、宮中に勤めてお出でである。その上に玉鬘が宮仕えに出て帝の愛する人になれば、源氏方全部が帝からの御寵愛を受けることになるのでは、そうなると秋好中宮にとっても玉鬘にとっても、宮中にかえって勤めにくくなるのであろう。玉鬘が実の娘であるとあの内大臣に知られても、内大臣の娘の弘徽殿女御がすでにあのように勤めているのであるからと、私は思い悩んでいたのです。若い女性で、冷泉帝に親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないと、主上をちらとでも拝見した者は考えることでしょう」
紫は、
「まあ、いやな事。帝をいくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、女としてはとても出過ぎた考えでしょう」
と言って笑う。
「さあ、そう言う貴女こそ、いかにも、冷泉帝好みの一人になるのでしょう」
と紫に言って、再度玉鬘に文を書く、
あかねさす光は空に曇らぬを
などて行幸に目をきらしけむ
(日の光は曇りなく輝いていましたのに、どうして行幸を見る貴女が雪のために目を曇らせたのでしょう)
やはり、尚侍の件ご決心なさい」
と、源氏はこの後も何回も玉鬘に参内のことを勧めるのであった。
源氏は玉鬘の参内の件よりも先ず何はともあれ、御裳着の儀式をしなければと思い、そのための調度類の精巧で立派な品々を取り揃える。源氏はどのような催しを考えても、彼自身はさほど大層なことをしなくてもと計画するのであるが、いつも自然と大袈裟な催しになってしまう。まして源氏はこの際に、「内大臣にも、事のついでに玉鬘のことを知らせることにしよう」と決心したので、そういう気持ちも手伝ってたいそう立派な調度品が所狭しと並んで大きな立派な裳着の儀式となった。源氏は「年が明けて、二月に」と考えていた。 源氏は、女は、世間の評判が高く、又、名を隠す必要のない身分の娘でも、誰某の娘と言って貴人の娘は、強いて名を隠さず、世間にも聞えているものである。ところが身は深層に隠していて、必ずしも氏神への参詣などを表立ってしないので、玉鬘も自分の子として世間には隠して過ごしていたのである。もし今自分が考えている玉鬘を尚侍として宮中に上げるとなると、彼女は内大臣の娘であるから当然藤原氏の血筋である、それを源氏の子供としていたのであるから、藤原氏の氏神である春日明神の御心に背いてしまうことになるので、結局彼女の身分を隠し通せるものでない、それより私がつまらない計略を持っていたかのように後々まで取り沙汰されては、つまらないことである。普通の身分の低い者であれば、近頃はやりのこととして、氏を改める事が容易な場合もある。即ち養子になったり猶子になったりする。然し自分や内大臣のような位の高い娘には、軽々しく、氏改めはしないものである。など源氏はいろいろと頭を悩ませていた。そうして、
「親子の縁は、絶えるようなことはないものだ。同じことなら、こちらから進んで、内大臣に玉鬘のことを打ち明けよう」
と決心して、玉鬘の腰結役には、彼女の父親である内大臣をと、詳しい事情は書かずにただ越結役になってくれるようにと手紙を送ったところ、内大臣の母親の大宮が、去年の冬頃から病気がちで、一向によくならないので、いまの場合では、とうてい都合がつかないと、内大臣は源氏に返事された。
源氏の息子の夕霧中将も、自分にも祖母に当たるので昼夜三条宮邸に伺って、心に余裕が亡いようであるので、源氏は時機が悪いのをどうしたものかと思案していた。
世の中も、まことに無常なものだ。大宮がお亡くなりになったら、玉鬘は当然喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていたら、罪深いことが多かろう。大宮が生きていらっしゃるうちに、玉鬘のことを内大臣に打ち明けよう」
と考えて、三条宮邸に、源氏はお見舞いかたがた内大臣に話をしようと出かけた。。
源氏太政大臣は近頃は以前のようには目立つような行動はなるべくしないようにしていた。しかし彼の行くところ帝の行幸に負けないほど厳めしく立派で、その容貌が年と共にますます光輝くばかりに見られ、対面する大宮も、この世では見られないほどの感じがして、何と素晴らしい男であると源氏を見ていると、自然に気分の悪さも取り除かれたような気持ちになって、寝たっきりの体を起こして座わった。御脇息に寄りかかり、病に冒されて弱々しそうであるが、源氏に向かってよく話をした。源氏は、
「大宮様はご病気がそんなにお悪くはいらっしゃいませんのに、某の夕霧朝臣がお祖母が病だと気を動転させて、大層に申しますので、どんなにお悪いのかと心配して参りましたが。私も最近は宮中へも特別な何か問題がない限り参内せず、身分らしくもなく籠もっておりますので、何事も不慣れで大儀に思っておりますのでお見舞いにも参上せずに失礼をいたしました。私よりも年齢が上の人で、腰がどうしょうもないほど曲がっていても動き回る人が、昔も今もいらっさやいますが、それに較べ私の引きこもりは愚かしい性分の上に、生まれつきの物臭からでございましょう」
聞いて大宮は、
「年寄りとなったための病気であろうと思いながらも、数か月になってしまいましたが回復する様子もありません。年が改まってからいよいよ私も命がつきたかなと望みもないように思われていましたところへ、貴方がお越しになり、もう一度このようにお目にかかりお話し申し上げることもないのではと、心細く存じておりましたが、今日はこのようにお会いできて、私の寿命も延びたような気が致します。今はもう惜しむほどの年ではございません。親しい人たちにも先立たれ、年老いて生き残っている例を、何と未練たらしく生きていると私は思っていましたが、さて自分がこのように夫や娘の葵に先立たれて未だに生き延びているとは、とても見苦しいと考えておりましたので、夫や娘の許への旅達の準備も気になっておりますが、この夕霧中将が、とても真心こめて男としては不思議なほどよく世話をしてくれ、心配してくれるので、あれこれと心を引き留められて、今まで生き延びております」
と、言って涙を流す。大宮の話す声が震えているのも、はたから見ると年寄りの愚痴としか思えないのであるが、源氏には無理のないことなので、可愛そうで気の毒に思って聞いていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー40-行幸 作家名:陽高慈雨