私の読む「源氏物語」ー37-常夏
とそこまで言って内大臣は止めてしまった。父親が内大臣である娘とあろう者が、と言いたかったのだが、近江はそのようなことは思いもよらず、
「何として奉公の事につき、不名誉などと気遣いなされるか。その仕える事は、私が、内大臣の娘であるなどと大層らしく自分を考えまして、多勢の人中にまじりまするならば、それこそ、親兄弟の不名誉なども考えて、窮屈なことです。然し私は、内大臣の娘と大層らしく自分を振舞わずに御便器掃除にでもなんでも、きっと奉仕致しましょう」
と近江が答えるので、父親は堪えきれずに、つい笑い出して、
「お前には似つかわしくない役のようだ。たまに逢う親への孝行ならばそのものを言うときの声を、少しゆっくりに話して下さいよ。そうすれば、父の寿命もきっと延びましょう」
と、おどけたところのある大臣なので、苦笑しながら近江に告げるのであった。
近江は父に言われて、
「この早口は生れつきのものでございます。子供の時に亡き母から何回も注意されましたが、私が誕生しました時に祈祷師の近江の妙法寺の大徳別当が大変な早口で経を唱えましたので、それにあやかって私が早口になってしまったと母はなげいていました。私もこの早口を何とかして直したいのですが」
と、思い悩んでいる様子である。聞いていた内大臣は「近江は大変孝行の心が深いのだ、感心なこだ」と思い、近江に、
「その産屋に入って祈祷した妙法寺の大徳こそがつまらん僧であったのだよ。その大徳の前世の報いであろう。聾唖やどもり達は法華経の悪口を言った罰のなかに、その一つとして書き記されている。」
と言いさらに弘徽殿女御はわが子ながら私が恥ずかしいほど立派な女であるそのそばに、このようなふつつかな女が控えているとは恥ずかしい。どうして十分調べもせずにこんな癖あるものを手許に引き取ったのであろう、と大臣は思い、誰もがあの娘を見て言い散らすであろうと、近江を引き取ったことを後悔するのであるが、そんなことは口には出さないで近江に、
「姉の弘徽殿がいま里帰りをしています。貴女も時々尋ねていき、側に仕える女房達の仕草をよく見ていろいろな所作を覚えなさい。特に優れたところのない人でも、自然と大勢の中に混じって、その立場に立つと、いつか一人前の恰好もつくものです。そのような心積もりをして、姉の所に伺ったらいかがですか」
と言うと、
「とても嬉しいことでございますわ。どうしてもこうしても是非、弘徽殿女御を始め皆様方に人並に扱われ、御知り戴かれるような事を、寝ても覚めても、長年この願い以外のことは思ってもいませんでした。弘徽殿の許に伺うことをお許しさえあれば、水を汲んで器を頭に乗せて運ぶような、どんなつまらない雑役でも厭わずにきっと女御には奉仕申しましょう」
と、たいそういい気になって、一段と早口で話しまくるから、父内大臣は「何と注意して言っても、言うかいがない」と御考えなされて、「水を汲み」と言った言葉から拾遺和歌集に行基が詠った古歌
法華経を 我が得しことは 薪こり
菜つみ水くみ つかへてぞ得し
を連想してこの近江はどうしようもないとお思い、
「全く、そんなにわざわざ、水を汲んだり薪を拾うような雑役をしなくとも、弘徽殿の許にお出でなさい。せめて、近江が、お産の祈祷からうつってしまったあの妙法寺の大徳の早口でないならば」
と、近江の真面目に真剣に言っている事を進
んで冗談事に茶化して内大臣が言っているのも彼女は気づかず、同じ大臣のなかでも、近江の父の内大臣は清らかで、堂々と威厳があり、はっきりした態度の人である、たいていの人は内大臣に気後れがしてしまい直接会うことが出来ないほどの人物であることを、近江は分からずに教養がなくて野卑なのである。
「それでは、何時、私は女御殿の許に参上するといたしましょう」
と大臣に尋ねるので、
「吉日が好いでしょう。いや何、そんな大げさにすることはない。そのように思うならば、今日にでも」
と、言い捨てて、内大臣は近江の許を去った。
立派な、四位や五位の人違が、内大臣に丁重に付き従って、内大臣が移動するにも威厳のある行列が出来るのを、近江は父親を見送りながら仰々しい一行を見て、
「何と、まあ、ご立派なお父様ですこと。このような方の子供でありながら、私は賤しい小さい家で育ったこととは」
と呟く、五節も大臣一行を見て、
「あの内大臣様の一行では、見るからに権力も身分も御立派で、いかにも気おくれがする近江君の父君で御座いますね。自分の身の程に合う普通の親で、娘を大切にするような方に、近江君は尋ね出され引取られなさる方が、身の程に合っていて、丁度よかったのではないですか」
と言う五節も困った物の考えようである。近江はその言葉を聞いて、
「いつも五節は私の言ぅ事を、打ちこわしするので、あきれてしまう。私がこのような身分になったいまは、同輩扱いにして私に口をききなさるな。父君が私に女御の許にあがれと仰せられたように私は、当然出世をするはずの身でありますよ」
と、腹をたてて言う近江の顔つきが、親しみがあり、顔つきが可愛いくて、ふざけた態度は、相手を怒らさないので、近江はみんなから興味をもたれて少々のことは大目に見られた。ただ一つだけ近江には、大変にひどい田舎で、賤しい下人の中で育ったので、高貴な人の中での物の言い方を知らない。もともと高貴な姫や女御達、そして仕える女房達の話し方は、別にたいしたことでもない話題を語るときでも、声をゆっくりと落着いた調子で話し出す。聞く方は面白そうに聞く、おもしろくもない難しい歌語りの話のときは、声の調子がその歌にしっくり合うようにして、末の句などを、他の人が聞くか聞かぬ程度に止めて、聞く者がその末の句は、どうであるかなど乗り出して聞きたく思わせたり、或は、歌の初句や末句を省略して読み深い意味がわからない様な言い方では人は傾聴もするものである。
ところが近江が内容が深く、話題性のある事を話したとしても、持ち前の早口のために内容が立派であっても、聞いている人には意味が聞き取れない、その上、軽い高い声の軽薄な調子で話し出すときは、声がこわばってごつごつしており、言葉は田舎風に訛っていて、しかも近江が、わがまま一杯に乳母のふところに抱かれて育てられたということから、身の所作が大層下品なために、言う事もなす事もどちらも、さまが悪いのであった。
近江は箸にも棒にもかからなくて取柄がないということでもなく、三十一文字の本と末と意味が合わない歌を即座に口早で詠んだりすることが出来た。
ところで近江は、
「『弘徽殿の所に参上するように』 と父大臣から言われたことに、自分が気乗りをしないと、父上は不快に思われることであろう。それでは夜になったら弘徽殿の許に参上しましょう。父上がたといこの世に類もなく、天下第一に自分を非常に可愛がり大切に思いなさるとも、この女御たちが私に冷淡な態度を取りなさるような事でもあれば、この御殿の内に、今まで自分は居られなかったであろう。こうして居るのは、他の召使などが冷淡でも、女御たちが私に対して冷淡でなかったからこそである」。
作品名:私の読む「源氏物語」ー37-常夏 作家名:陽高慈雨