私の読む「源氏物語」ー37-常夏
源氏太政大臣が、后にする予定の姫君である明石姫を躾けなさる教育は、女は何事も万事に、平等に行き渡って片寄らず、目立つような才芸は持たない方がよい。またいろいろなことを広く知り、事に応じて要領を得ないというようなことがないように、余裕ある日常を送れるようにとお考えであると聞いている。
なるほど、源氏様は明石姫をいずれは帝の妃にとお考えであるから尤もなお考えであると思う、しかし、人というものは、考えにも行動にも、特に好むものがどうしてもあるものだから、明石姫もご成長なさった後にはそれなりの特別なご性質が現れることであろうよ。あの姫君が一人前になって、入内させなさる時の様子が、とても見たいものだ」
などと雲井雁に言って、
「ところが、女御にとお世話申そうと思っていたお方は、そうは出来ないようになってしまったが、何とか世間の物笑いにならないようにして差し上げようと、あちこちの姫君の噂を聞くたびに、貴女のことを心配しております。
人の気持をためそうと、親切らしく言葉をかけてくる様な男の願い事には、当分の間従ぃ靡きなさるな。父も考えていることがあります故」
などと、暗に夕霧のことを指して、雲井雁が可愛くてたまらないと思いながら注意する。聞いていた雲井雁は、
「昔は、自分の行動を深く考えることもしないで、あの夕霧様とのことでつらい思いをした騒動にも、平気な顔をして父君にお会い申していたこと」
と、彼女は今になって思い出すと、胸が詰まってひどく恥ずかしい気持ちがした。
祖母の大宮からも、いつも会えないことがとても辛いという文を戴くが、父上がこのようにおっしゃるのに雲井雁は遠慮して、大宮の許に出かけてお目に掛かることがどうしても出来なかった。
内大臣は、先に娘と名乗ってきた女を事の次第を聞くと覚えがあることなので近江と名付けて屋敷の北に部屋を与えて育てていた、しかしこの娘をどのようにしたらいいのかと、思案していた。
「どうしたものか。思慮ある者と言われるようにと、隠れた娘がいたと知ってしなくてもょい余計な事をして、迎えて連れて来て、人達も、世の人も馬鹿げた事をしたことよと、いうので、自分が近江を昔の住処へ送り返したりするのも、まことに軽率で、優しさを無くした気違いじみたことのようだと世間はまた思うだろう。そうかと言って、内大臣邸に連れてきて世話していれば、「やはり本気で内大臣は、あの娘を大切に育てる気持ちになったのか」と、噂されるのも煩わしい。帝の所に上がった娘の弘徽殿女御の所に送って宮仕えさせて、何も仕込んでない女故、女房達の軽蔑するような愚者として笑い者に、敢えてしてしまおう家の女房たちが近江をたいそう不細工だと蔭でけなしているらしいあの娘の容貌も、そんなに言われるほどのものではない」
などと思い、里帰りをしている娘の弘徽殿女御に、
「先に話した貴女の妹に当たる近江を宮中に出仕させましょう。気がきかなくて見苦しいような点などは、老練の女房などに命じて、遠慮なく指導をしてください。近江を、若い女房達の噂の種にして笑い者にしないように。近江は、大層軽率な女のようであると私は見ています」
と、笑いながら弘徽殿に頼むのである。弘徽殿は、
「どうして、そのような辱めを受けるようなことをいたしましょう。柏木中将などが、近江は優れた女よと吹聴していたことには少しは及ばないでしょうが、このように皆さんが騒ぎたてるので、彼女もきまり悪く思い、気後れしているのでございましょう」
と、弘徽殿は何となく内大臣が恥ずかしくなるような言い方で返事をする。弘徽殿の容姿は、どこを見ても行き届いて趣がある。美しいというのではなくて、大層上品で、見た目にはすましているけれども、人懐しい優しい様子が加わっていて、例えば美しい梅の花が咲き初めた朝のような感じがして、近江君の事に就いて、まだ話の残りがありそうに、微笑んでいる姿は、他の女にはない美しさであった。内大臣は、
「中将が、「若い女房達の笑いものにさせ給うな」とか「軽率のようである」など言うけれども、これもつまりは、柏木が、思慮の浅い穿鑿の、不十分さによるのであったのかな」
などと少し不機嫌に言う。これも
気の毒な、近江君の人柄の御評判である
内大臣は自分の部屋には帰らないでせっかく弘徽殿女御のところに来たのだから近江のところに寄っていこうと、彼女の部屋に向かった。部屋をを覗いて見ると近江は女らしくもなく縁近くに座り御簾を背中で押して不作法な姿で若い派手な侍女である五節と双六に熱中していた。「小さ目、小さ目」ともみ手をしながら五節が振る賽子の筒に向かって言っているその喋り方がとても早口である。見ていた大臣は
「情けない格好をして」
と近江の双六遊びをする姿を見て思った。供の者が近江に大臣の来訪を告げようとするのを、手で制して、やはり、妻戸の細い隙間から、襖の開いているところをお覗き込む。内大臣の覗き見、それはそれとして、この五節もまた気持ちは近江に勝ちたいとあせっているのであろう、五節は負けていたのである、
「大き目でお返し、お返しよ」
と、筒をひねり廻し、数の多い目(大目)を出したくて急には賽を筒から振り出さない。何かを賭けてこの二人は勝負しているのではと、内大臣はこの二人の双六に興ずる姿を見て思うのである。女にはあるまじき態度で二人は勝負をしていた。近江の容姿は親しみ易く、愛敬のある振る舞いで、髪は立派に揃っていて、欠点はあまりなさそうであるけれども、額が人より狭いように見える点と、調子高い声が、彼女の美しさをぶち壊しているように思えた。だから取り立ててどこが良いというのではないが、親子の真偽を争う事ができないほど鏡に写して見る自分の顔と近江がよく似ているので、前世の因縁が恨めしいと内大臣は思うので、近江に、
「近江がここにいるのが、気持ちが落ち着かず馴染めないのでないか。父は忙しいばかりで、ここにさいさい訪ねることが出来ないのだが」
と近江の部屋に入って彼女の前に座って問うと、近江は例の早口で、
「こうして此方で住まわせていただきまして、何の心配がございましょうか。長年、私は父上はどんなお方かとお会いしたいと常々思い申し上げておりましたお父上と、毎日拝見できないのだけが、双六に大目の出ないと同様な気がするのでござりまする」
と答える。
「なる程そうも思うであろう。されば、私の身近に召使う人も、私方には殆どいないから、近江を側に置いて私の世話をして貰おうとそうすればいつも顔を見ることが出来ると、以前は思っていたが、そうもできないからね。一般の奉公人はそれこそ、どうあろうとこうあろうと何をしでかしても、自然に多くの人と混じって働くので、一人の女の行動に対して、誰の耳にも目にもつかないですむことが多いから、安心していられましょう。そんな気楽な勤めであっても、「あれは、たれそれの娘である、あの人の子である」と、素姓が他人に知られている知名な家柄の娘であれば、その娘の行動で親兄弟の面目を潰す例が多いようだ。ましてや」
作品名:私の読む「源氏物語」ー37-常夏 作家名:陽高慈雨