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私の読む「源氏物語」ー36ー蛍

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「無しつけにまあ、私は物語をけなしつけてしまいましたね。だいたい物語というものは神代以来の、この世にある事実を素材として、記して置くもので、朝廷の正史である日本紀などは長い事実のほんの一面しか書いているに過ぎません。物語にこそ社会の真相は記述せられてあるのでしょう」
 と玉鬘に笑いながら言った。

「誰それの話といって事実のままに、その人を記述すればそれは歴史となってしまう。物語と歴史とは記述の心構えが違うのである。善い事でも悪い事でも、この世に実在の人の生き方が、如何程見るとしても見飽かず、どんなに聞くとしても聞き切れない感興深い車実を、後世に語り伝えたい、言わずにいられない創作動機で、書き留め始めたものである。好意を持って書く場合には、私や紫上は、よい事の限りを選び出して、書いている。また読者の心に従おうとしては、悪い状態の、世にも珍らしい事を、取り集めて、理想主義的に書いてある事実は、善と悪のどちらに関した事でも、すべて世間に実在する事柄であるとは言えないのである。
 それは日本だけではなくて、唐の国の物語でさえも、現実世界を素材とした構成が、日本と変っているが、しかし、同じ日本の国の事を素材としているけれども、物語は昔のは今のに違っているであろう。唐の国も同じであろう。作られた内容に、細かさや複雑さや内面的に深いものと、その反対に、浅いものとの差別は、どうしてもあるものです。けれども、一方的に物語を作りごとと言い切ってしまうとすれば、物語という事の意味に、どうも遠っていると思うよ。
 仏教で、端正壮厳な心で解釈された法文でも、説くためには、方法とか手段と言う事があるので理解の無い無智の者は法文のあちこちで矛盾するという疑問を持つに違いありません。方便も真如であり、真如も方便である。虚も実であり、実もまた虚であるのは、不変平等の真如実相であると説く『大乗方等経』の中に無知のものは矛盾を感じることが多いが、詮じつめて行くと結局、大乗の真如も小乗の方便も、帰着する所は、只一つの目標に届く適中するにあるので、そこに到達する途中の悟りと迷いとの間隔が、どうも、物語の善い人と悪い人の差別位の程度には、違って居るのであるのですね。
 世間の事は、善意に解釈すれば、すべてどんな事でも、万事、無益でなくなってしまうよ」
 と、物語を実に、わざわざ創作目的があって作る事としてにことさらに大したもののように言う。さらに続けて
「ところで、このような昔物語の中に、私の様に、真面目一方な愚か者の物語はありませんか。大層、人間離れのしているどこかの姫君でも、貴女のように心の冷淡無情で、私の言う恋を聞かぬ風に、空とぼけしている人は、万が一にもありますまいな。さあ、二人の仲を世にも珍し親子の恋の物語として書いて物語にし、世間に語り伝えさせましょう」
 と、玉鬘に近づいて近づいて言うので、玉鬘は袖に顔を隠すようにして、
「そんな物語に書く様な事はなくても、この様に親が子に恋する珍らしい事は、世間の話の種になりますわね」
「珍しく、二人の仲を自然に思いますか。私には貴女の情のなさがたまりません」
 と言って、玉鬘を腕の中に抱きしめている態度は、打ち解けて戯れて居るように見えた。源氏は玉鬘を抱きしめたまま

 思ひあまり昔の跡を訪ぬれど
      親に背ける子ぞたぐひなき 
(思いあまって昔の本を捜してみましたが、親に背いた子供の例はありませんでしたよ)
 親不孝なのは、仏の道でも厳しく戒めています」

 と言いかけるのであるが、玉鬘は、恥ずかしくて顔も上げられない、源氏は彼女の髪を撫で下し撫で下ししながら、言葉を尽くして、玉鬘を口説くので、彼女はやっとのことで、

 古き跡を訪ぬれどげになかりけり
        この世にかかる親の心は 
(私とても、古い例を調べましたが、貴方様の仰せの通り、このような例はありませんでした、この世に貴方様のような、こんな親心と言うものは。誠に思いの外の親心でござります)
 と返歌をするにも、源氏は自分の行動が恥ずかしいと思い、これ以上玉鬘の体をなぶることはしなかった。
 このようなことで二人の仲はどう進展して行くのであろうか。

 紫の上も、養女にした明石の子供の明石姫がほしがるのにかこつけて、物語は源氏が言うようには思わずやはり必要な物であると捨てがたく思っていた。ところで源氏はもとよしの親王とある女の悲恋を描く『くまのの物語』の絵の方を見て、
「とてもよく描いた絵だ」
 と見ていた。小さい可愛らしい姫が、あどけなく昼寝をしている画面を見て、昔の自分の様子を回想しながら紫は見ていた。源氏は昼寝をしている姫の他の部分を見ながら、
「こんな童同志でも、どんなに思いあっていたのであったであろうか。わたしなど、貴女を世間の慣例になるまで貴女の成人を待っていた、この気の長さは人には真似の出来ない事でしょうね」
 と紫に言う。源氏の言うとおりに、紫以外に普通の人には出来そうもない恋愛を、数々源氏はしてきたのであった。源氏は明石姫が心配で紫に、
「姫君の御前で色恋の事を扱った物語などを、読み聞かせしなさんな。隠れた恋をする物語の娘などは、おもしろいと思わぬことはないが、このようなことが世間にはあるのものだと、当たり前のように姫が思うのが、問題なのです」
 と言うのを玉鬘が聞いたら、自分に対して体を求める源氏は、明石姫という自分の子供にはずいぶんと違った扱いをしていると、きっとひがむことであろう。
 紫の上は、
「物語の中の軽率な女の真似なんかは、私でも困ったことと思います。『宇津保物語』の藤原の君の娘は、とても思慮深くしっかりした人で、間違いはないようですが、男を寄せ付けないような女性特有の柔らかさを持たず、男を魅了するような味のある話をするわけでもない、女性らしいところがないようなのも、浅はかな女と同じような者ですわね」
 と、少し自分の意見を言う。紫が源氏に言った藤原の君の娘とは、宇津保物語の中の左大臣源雅頼の娘の九番目の娘のあて宮のことである。あて宮は、絶世の美人であった。それを知っている周りの男達が、心から彼女を愛したのであるが、かなわず、あて宮は春宮妃となって宮中に入ってしまった。彼女を真剣に愛した男どもは、世をはかなんで出家したり、死を持って思いを伝えたりした。けれども、あて宮は、簡単に動揺したりしないしっかりした女で、恋などで簡単に男と寝てすぐに捨てられるというようなよくある恋の失敗は全くなかったが、なまめかしい所もなく、言い寄る男に無愛想に応じ、女らしい点の無い様であるのがどうも欠点で、それは思慮浅薄で、人まねする女と同じ様に気の毒だ、と紫は思っていたのであった。
源氏は紫の言い分を聞いて、