私の読む「源氏物語」ー36ー蛍
と源氏に言うので、
「この女は我らを一目で見抜いている」
と少し言い当てられてむっとするが、にっこりと彼女に笑い、その後誰のことも口に出さなかった。 源氏は人の欠点を見つけてそれを大袈裟に批評する者が嫌いであったので、鬚黒の右大将などを世間の人は、奥ゆかしい人物と見て噂しているようであるが、源氏は、
「世間の人は、奥ゆかしい人物としているようであるけれども、私は、世間の人はともあれ、鬚黒大将と言った所で、何程の人物であるものか、それを、玉鬘の婿として、自分に近い縁者で見るとすれぱ、きっと物足りないことであろう」
と、思っていても口にはしなかった。
最初の話があまり夜の床の雰囲気からかけ離れていたので源氏は花散る里の体を求める意欲がなくなり、寝床を別にして寝ることにした。
「どうしてこのような男女を超えたさばさばした関係になってしまったのだろう」
と、源氏は花散る里の体をじっと見つめて決心が付きかねていた。だいたい、花散る里という女は紫とか明石などと較べるとなんのかのと嫉妬を言わない、源氏との関係が出来てからも季節ごとの催し事を、女房達から聞いてはいたが、今日の競射は珍しく自分の館で開催されたことを、彼女はとても光栄に思っていた。そこで、源氏に何となく誘いの心を込めて、
その駒もすさめぬ草と名に立てる
汀の菖蒲今日や引きつる
(馬も食べない草というその草であると、評判になっている水辺の菖蒲草を、今日は端午の節句と言うので、引き立てて、持てはやして下されたのであろぅか)
と源氏に持ち前の気性であるおっとりと詠いかけた。源氏はその歌を受けて、出来は良いとも言えないが、しみじみとした情感があると感じていた。そして返歌は、
鳰鳥に影をならぶる若駒は
いつか菖蒲に引き別るべき
(かいつぶりが影を並べている、若くなよなよとした真菰の私は、何時になったら菖蒲の君に別れるであろうか、別れる事はない)
この歌も味もないつまらぬ歌であるよ。
「常日頃は何となく心が交わらないような所はあるけれど、こうして貴女と逢っているとき、私は何となく心が安らかになる」
と、源氏は花散る里を誘うが、彼女は気がつくのが遅いのんびりとした性格であるので、気を引くように源氏は言うのであるが彼女は気がつかない。
御帳台は源氏に譲って、花散る里はその横に床を設えて寝むことにした。源氏は共に臥せて夫婦の語らいをしながら体を交えていくという男と女の当たり前のことを、花散る里とはそういう雰囲気になれないとして源氏は共寝をするというようなことはしなかた、多少は夜這いをしうと考えもしたが、何となく冷え切ったような彼女の体に興味が薄れて、女を誘うことはしなかった。
このところ雨が降りしきり例年よりも長雨となり一向に止むことなくひどく降って、晴れる日がない、紫を始めとして夫人たちにそれぞれの女房もすることもなく暇なので、古い絵を持ってきて物語があるのはそれを声をだして音読してみんなで聞き、物語がない絵には新しく話を創作して遊ぶ絵遊びをして、毎日を過ごしていた。明石の御方は、絵が無くなった物語にとても美しく文章にあった絵を描くのが上手で、優雅な趣向を凝らして描き上げた草紙を仕立てて、紫の許にいる我が子の明石姫に贈った。
筑紫で長く暮らした西の対の玉鬘は、この絵遊びが経験したことのない珍しい遊びであるので興味津々で、毎日絵を写したり詞書きを読んだりしてせっせと勉強として励んでいた。絵物語の読み書きに堪能な若い女房たちが玉鬘の許に大勢勤めていた。玉鬘はいろいろと珍しい人の身の上などを綴った物語を読み、事実を書いてあるのか嘘の作文かと、たくさんある物語を読むが、「自分の身の上と同じような不運を書かれた物語はない」と思っていた。
ただ『住吉物語』の「中納言の姫君三人の中、大君は宮腹にて才色あり、宮仕へさせんと思ひしに、母うせて継母来るや、中納言に讒言して、宮仕の 事は違ひたり。その後、内大臣の子宰相の右兵衛督との事も、継母のためにかなはず。継母は、主計頭とて,七十許りなる翁にて、目たぐれて恐ろしげなる者に、大君を盗ませんと計る。大君聞きて、住吉に忍びて逃れ住みけり。故に、この大君を住吉の姫君と言ふ」と言う下りが、玉鬘には物語中での評判もさることながら、現実に戻って考えると、主計頭が、もう少しで奪うところであった大君のことが、自分)などと違い、物語の趣向は格別勝れている様であるけれども、あの筑紫の大夫監に自分が襲われかけた時の恐しさに重ねて読んでいると偽りが書かれた物とは思われなかった。。
源氏も玉鬘の許に来て、あちらこちらにこのような絵物語が散らかっているのが目につくので、
「やれやれ困ったものだ。女は、面倒がりもせず、このような絵物語を写したり読んだりして人にだまされるように生まれついたものですね。たくさんの物語には真実は少ないだろうに、そうとは知りながら、このようなつまらない物語に熱を入れて読みふけってしまう。だまされるのも知らずに、蒸し暑いこの五月雨のときに、髪の乱れるのも気にしないで、よくまあお写しになることよ」
と言って、笑いながら一方では、、
「髪の乱れもかまわずに書写するのはなる程、世の中の、こんな古い物語でも読むのでなければ、このうっとうしい毎日の退屈さをしのぐことが出来ませんね。それでも作り事の物語などの中で、文章通りに「なる程、そうでもあろう」と、読む者に、しみじみと思わせ、事実らしく書き続けてある物語は、それはそれとして、たわいもないこととは知りながらも、読者は感動して、かわいらしい姫君が物思いに沈んでいるのを読むと、どうしても心が引かれていくものです。
また、読者がけっしてありそうにないことだと思いながらも、誇張して、大袈裟に取り上げて書いてある物語で、最初一読して気持ちが驚きそれに惑わされてしかも珍しい筋書きに引きつけられて一気に読んでしまい、後になって冷静にもう一度読むと、なんだこの話はとつまらぬ話であると腹が立つって憎い物語があるでしょう。
最近、幼い明石姫が女房などに時々読ませて聞いている物語を立ち聞きすると、何と口のうまい者がいるものですね。根も葉もない嘘を上手に語り馴れた人の口癖からどうも物語は出来上がるのでしょうね、そうではないありませんか」
玉鬘は源氏の言葉を聞いて、、
「おっしゃるとおり、源氏様は「根も葉もない嘘を上手に語り馴れた人の口癖から云々」とおっしゃいました、なる程、おっしゃる通り、読む人の中に人に嘘を言う事に馴れた人が、物語をそんな風に想像して読まれるのでしょう。ただ私はどうしても真実のことと思われるのです」
と言って、書写を止めて硯を押しやる、彼女は一般的なことを源氏に話しかけながら、暗に、巧みに女に空言を言う源氏の事を述べていた。源氏はそのような考えもあろうかと、
作品名:私の読む「源氏物語」ー36ー蛍 作家名:陽高慈雨