私の読む「源氏物語」ー36ー蛍
源氏の装束は艶も色も溢れる程の美しい衣で源氏の年齢にあわせての単衣は、紅色で重菱などの織り模様光沢も色彩も表着の間からこぼれ出て人目に鮮やかな衣装である、単衣の上に内着を着て、その上の浅葱の直衣が訳もなく手軽に重なった配合が美しく見える。この世の人が染め出したものとも見えず、普段の色も変えない何時もと同じ色の、装束の模様も、端午の今日は、特に物珍しくあり、又。五月五日であるから綾目の文様に菖蒲を響かせ、衣にたきしめた薫りなども、
「源氏様があのように私の体を奪おうとなさらなければ、たしかに美しく風情があるお姿だ」
と玉鬘は思って源氏の姿を眺めていた。
兵部卿宮から玉鬘宛に文がある。白い薄様で、筆跡は見事なとても優雅な筆跡である。玉鬘は見た目には素晴らしいと思ったが、格別に感興を引く事でもないあり来りの事を言っているに過ぎないと気にとめようとはしなかった。文には、
今日さへや引く人もなき水隠れに
生ふる菖蒲の根のみ泣かれむ
(菖蒲を引く今日でさえ引く人がない身は、水中に隠れて生えている菖蒲の様に、私は玉鬘に見向きもせられずたった一人で寂しく、声を出して泣くばかりです)
目立つような長い菖蒲根に文を結びつけてあるのを源氏も見て、
「この返事は必ずしなさい」
と玉鬘に言い、彼女の前から去った。源氏以外の女房達も
「そうですよ、やはり、ご返事を」
と玉鬘に進言するので、玉鬘も返事を差し上げないと、と思ったのであろう、
あらはれていとど浅くも見ゆるかな
菖蒲もわかず泣かれける根の
(泥の中から出て外に現れた菖蒲は、甚だしく小さく薄く見えます、訳もなく流れているのである菖蒲の根が)
お年の割にお若い言葉ですね」
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玉鬘の本音は、訳もわからず、只泣かずにはいられないのであった螢兵部卿宮の泣き声が、若々しくきれいに見せていただきまして、ますます浅く見えました、ということである。
玉鬘の返書を見た宮は、薄墨で書いてある文を、
「筆跡がもう少し立派だったら」
と、風流好みの宮は、少しもの足りないと思ったのであった。
五月五日に飾り、邪気を払う薬玉など、非常に立派に造って、あちこちから多く贈られてきた。筑紫に、佗びしく寂しい生活をして居た名残もない今の生活で、玉鬘の気持ちにゆとりもできてきたので、当面のことを静かに反省して、
「どの道、源氏とのかかり合いを断つならば、源氏の心が傷つかなくて、源氏との関係が終わってくれるならばいいのに」
と、思うのであった。
源氏は、花散る里の住む東の館に立ち寄って、五月三日には、左近衛の武官、四日には右近衛の武官が、それぞれ近衛府の馬場で、騎射競技の練習をして、五日に、大内裏の馬場で、左近衛の武人、同六日には、右近衛の武人が盛装して騎射競技をする。問いのが慣わしで、今日は五日であるので、源氏は東館の住人である花散る里に、
「夕霧中将が、今日の左近衛府の競射が終わった後で、仲間の武官を引き連れて来るようなことを言っていたから、そのおつもりでいて下さい。まだ明るいうちにきっと来るでしょうよ。こちらでは目立たないようにする内輪の催しも、何処で聞きつけてくるのか、蛍親王たちが見物にこられるので、自然と大きな催しとなってしまいます、そのお心づもりでお願いしますよ」
などと告げる。
馬場の御殿は。御殿と言っても、見物などのために使用するので、簡略な建物で、花散る里の館の渡廊から見通せるほどの近いところであるので、源氏は、
「若い女房たち、渡殿の戸を開けて競射の見物をしなさいよ。左近衛府には沢山立派ないい男が多いところだから、そこらの殿上人には負けない男がいますよ」
と女房達に言うので、女房達は見物できることを楽しみにして待っていた。
西の対の玉鬘の方からも、童女などが聞きつけて、見物にやって来て、それでも男達から隠れるために渡廊の戸口に御簾を青々と懸け渡して、そのうえ現代風の裾の色が濃いい几帳をいくつも立て並べ、その準備に童女や下働きの女などがあちこち忙しく動き回っている。菖蒲襲の袙(あこめ)の上に、藍で染めて又べに花で染める、紫色に似ているが、それよりもやや薄く、光線の工合でべに色にも見える軟く美しい二藍色の薄絹の汗衫(かざみ)を着ている童女は、玉鬘に仕える者であろう。
玉鬘の童女は気のつく者だけ四人と、下働きの者は「あふち」(表は薄紫色、裏は青)の裾の方の濃い裳と、撫子の若葉の薄緑色をした唐衣を着ていて、どれも皆今日の端午の装束である。
花散る里の方は紅の濃い単襲の上に、表は紅梅、裏は青の撫子襲の童女の上着である汗杉など着て、落ちついておっとりとして、花散る里側も玉鬘側もそれぞれ競い合っているところが面白い。
若い殿上人などは、好みの童女に目をつけては流し目を送る。源氏は未の時(午後二時)に、馬場殿に出座すると、思い通り親王たちが集まっていた。競技は普通馬場では「真手つがひ」という二人ずつで行う騎射の競技であるが、内裏の武徳殿に催せられる朝廷の行事に較べては、様子が違って。近衛の
すけと呼ばれる中・少将達が連れだって集まって、武徳殿で行われる宮中の行事とは違って、源氏を始めとして集まった人々は、花やかに派手な趣向を凝らして、一日中を遊び過ごした。
女性は、競射はどんな競技であるのか何も分からないことであるが、集まった近衛少将や中将それに下の武官である舎人連中までが優美な裲襠装束を上に着飾って、懸命に競技をしている姿などを見るのはまたとない男の強い姿を見られて楽しむのであった。
紫が住む南の区画まで馬場はずっと続いているので、紫の女房達もあちらで楽しんで観戦していた。競技の最中ずっと「打毬楽」「落蹲」などが奏でられ、見ている者や競技に参加している者達が、勝ち負けに大騒ぎをする、競技は延々と続いて夜になってしまって、何も見えなくなって終了となった。競技に出場した舎人連中が褒美を位階に応じて貰った。夜が更けてから、人々はそれぞれ帰って行った。
源氏は久々に花散る里と共にすごそうとこの屋敷で泊まることにした。女房達を遠ざけて二人ともくつろいだ姿で向かい合い、源氏は花散る里に、
「今日集まった親王方を見ていると兵部卿宮が、誰よりも優れていたね。容姿はそれほどいいとは思わぬが、身嗜みや態度などは、奥ゆかしい所があり、魅力的な人物だね。貴女はこっそりと見ましたか。誰もが彼のことを立派だと言うが、まだ物足りないところがあるね」
花散る里は、
「宮は貴方の弟君ではいありますが、貴方より大人びて見えました。長い間、この様に何かある時は、欠かさず此方にお見えになって、貴方と何かと親しくされていると承っています、現在の内裏ではありませぬが、私が姉の麗景殿の女御に伴って昔の内裏に上がっていた折りに、それとなくちらりと、お見受けしたことはありますが、それ以後は、お見受け申しましたか否か、多分御目にかかった事はござりますまい。あの当時から見るとずいぶんと大人びて成長されました。もう一方帥の親王も素晴らしくいらっしゃるようですが、如何にも、親王の宣下もなく、姓も戴かず、やはり王という態度で列席されていましたね」
作品名:私の読む「源氏物語」ー36ー蛍 作家名:陽高慈雨