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私の読む「源氏物語」ー34-初音

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 と言うと、恥ずかしいとも思って居ない末摘花ではあるが、源氏に言われたので、さすがに恥ずかしそうにし、ぎごちなく恥じらい笑いながら、
「兄の醍醐の阿闍梨のお世話をしようと思いましても、手が熟れていませんので兄の召し物などを縫うことができずにおります、その上、あの皮衣までも、阿閣梨に取られてしまった後は、寒うござりますること」
 と語るのを聞きながら、源氏はそうだこの女の兄も鼻の赤い男であったと思い出すのである。話題の皮衣は、初めて末摘花の許に泊まり翌朝彼女が羽織っていたが、昔風で立派ではあるが若い者には似合わないと感じた、あの黒貂の香をしっかりとたきしめた皮衣である。末摘花の語ることは、素直だとはいっても、皮衣を兄に取られた事まで話すとはあまりにも無造作すぎると源氏は思うが、この末摘花の前では自然に真面目で無骨、無風流な木訥な人間でになってしまっていた。皮衣などは着なくても好いと、
「皮衣はそのまま山伏の兄様の雨の日の修行に使う蓑代衣にお譲りになってよいでしょう。それでこの、普段に使う破れても惜しくない真っ白い着物をば、幾枚も畿枚もどうして重ねて着ないのですか、重ねて着る方が体が温かくよいでしょう。必要な物がある時には、忘れて思い出したことでもおっしゃってください。私はもともと愚か者で気がききません性分ですから。まして夫人たちのことでの忙しさに紛れて、ついうっかりしまして」
 と言って、女房に命じて末摘花の住む屋敷の向かいにある院の倉庫を開けさせ、絹や、綾などを取り出して末摘花に差し上げさせた。
 この二条院は荒れた所もないが、かって源氏達が住んでいた母屋は人気がなくてひっそりとして、それでも手入れを怠らない庭先の木立だけがたいそう美しく、紅梅の咲き出した匂いなど、誰も見る人がいないのを眺めながら、

 ふるさとの春の梢に訪ね来て
     世の常ならぬ花を見るかな 
(昔住んで居た屋敷に訪ねて来て、春の紅梅の梢に、世に有り触れたものでない立派な花(鼻)を見るよ)
 独り言を言うが、この歌の意味を末摘花は理解できなかったようである。

 源氏は末摘花の処から、空蝉の尼君が住まいする屋敷に、足を運んだ。彼女は、おんなのひとによくある、少し男が大事にしてくれると、得意げにわがもの顔に振る舞うというようなことはなく、小じんまりと静かに源氏の世話になっていると小さくなって生活していた。自分の住まいするところは出家の身であるので当然のこととはいえ、仏様を飾るのに広く場所をとり、自身は狭く生活をして勤行に明け暮れている様子がしみじみと感じられた。経や、仏の飾り、ちょっとした水入れの道具なども、それなりの風があり優美で、やはり空蝉の嗜みが現れているようであった。
 尼であるから空蝉は、濃い縹色に青味ある青鈍色の几帳で、刺繍などを施した面白みのあるもののに、すっかり身を隠して、女としての慣例で、尼であるから、黄色いくちなし色の袖口を覗かせている。青鈍いろと違って少し花やかに見える、心惹かれる感じなので、源氏は今は尼になられたのだと思うと何となく涙ぐむ、源氏は、
「『音に聞く松か浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり』という歌がありますが、私は貴女を遠くの人だと思って諦めるべきだったのですね。昔から、私たちの間は、つらかった縁であったのであるけれども、然しながら、几帳を隔てて安否や動静を訪ねるこれぐらいの親しみは、絶えるはずは無いと思っておりました」
 尼君も、聞いていてしみじみとした気持ちになり、
「この様に安否や動静を御訪ね下さるのを、特に頼りにいたしますのも、やはり源氏様との緑が、浅くないと、私は自然にそう思っております」
「貴女は私に薄情な仕打ちを何度もなさって、私の心を惑わしなさった罪を、勤行によって仏に懺悔されるとはお気の毒なことで、それがまた私を苦しめていることをご存じですか。私がこのように素直な者であると言うことを、お気づきになることがありましょう」
 聞いている空蝉は
「継子の紀守が夫亡き後私に言い寄ったことを、お聞きになっていたのだ」
 と、恥ずかしく、
「私とても不義の懸想を逃れて出家したこの様なみじめな有様を、貴方様から命がつきるまで見られるという辛い報いが、他にこれ以上の辛いことがありましょうや、ございませぬ、私こそ、源氏様よりも一層、辛い報いを受けて居りまする」
 と言って、空蝉は心の底から泣いてしまった。
 彼女は現在では、昔にまして、思慮深く奥ゆかしげさが深くなり、しかも、尼となって
「男女の道から離れた」
 と源氏は思うにつけても、後見をして援助をしなくてはと思わずにはいられない、こうなれば他の夫人達とはちょっとした色めいた冗談も話すのであるが、空蝉とは、ありふれたことを話したり昔のことを思い出したり、「せめてこの程度の話相手であってほしいものよ」と、先ほど別れてきた末摘花が、せめて、空蝉程の世話のしがいでもあればよいなあと、思うのである。。
 このようなことで、関係のある外夫人の間を回って、源氏は夫人たちにそれぞれ、
「会えない日が重なることがあると思いますが、私の心中にはあなた方を思慕する気持ちには変わりはありません。そうは言っても、生きている限りは逢おうと思えば逢えましょうが、ただいつかは死出の別れが来るのが心配です。寿命というものは分からないものです」
 などと、やさしく言う。源氏はどの夫人をも、身分身分に応じて愛していたのである。
 源氏ぐらいの身分になれば、自分こそはと気位高く構えているのが当たり前であるが、夫人たちにはそのように尊大な態度を取ることもなく、場所に応じ、夫人の身分に応じながら、誰にも広く親しみ深く、やさしく接するので、只それだけの源氏の情愛にすがりついて、多くの夫人は毎日を過ごしているのであった。

 今年は隔年に行われる男踏歌がある年であった。正月十五日、殿上人・地下人などで、四位以下の人達が、催馬楽を歌いながら内裏から朱雀院に参上して、続いて貴族の邸を巡廻するのである。宮中朱雀院が終わると次に六条院に参上する。道中が遠かったりなどして、六条院に到着したときは明け方になってしまった。月が曇りなく澄みきって、薄雪が少し降った庭が何ともいえないほど素晴らしいところに、殿上人達も音楽のうまい人が多いので、笛の音もたいそう美しく吹き鳴らして、源氏の前では特に気を配っていた。夫人たちすべても見に来るようにと、前もって知らせてあったので、六条院南の区画の源氏の屋敷に集まり、庭に面する左右の対の屋、渡殿などに、それぞれ観覧席を設けてあったのでそこに向かった。
 西の対の玉鬘姫君は、寝殿の南の方に案内されて、こちらに居る明石の姫君と初めてご対面があった。紫の上も一緒にいたので、几帳だけを隔て置いてご挨拶を申し上げ、歓談する。
 男踏歌の行列は朱雀院の弘徽殿后宮などを回ったころに、夜もだんだんと明けていったので、六条院では踏歌の人に酒などをふるまう水駅として普通は簡単にお酒と湯漬けくらいの簡略なもので済ますのであるが、そのほかに、特別に料理を追加して、たいそう派手に饗応させた。