私の読む「源氏物語」ー32-玉鬘
と言って、大泣きして喜ぶ。右近はまだ若いころこの下女をあれこれと用事を言いつけていたのを思い出すと、思わず離れていた年月を勘定し、とても感慨深くなった。三条に、
「まずは、乳母殿はいらっしゃいますか。姫は、どうおなりになりましたか。あてきと言った人は」
と言って、夕顔の最期を看取った右近はあえて、主人であった夕顔のことを口にしなかった。もし夕顔が亡くなったことを言えば右近が夕顔の側についていたにもかかわらずどうしたことかと、詰られるであろうと、夕顔が亡くなったことを言い出せなかったのである。
「皆さんご一緒にこちらに参詣に参りました。姫君も大きくおなりです。まずは乳母殿に、これこれと申し上げましょう」
と三条は言って自分の軟障に帰って行った。三条の報告を聞くと玉鬘の一行は皆驚いて、乳母は、
「右近に会えるなんて、夢ではないでしょうね」
妹のあてき、今は兵部と名乗っているのも、
「別れた後どうなさっているのやらと心配を続けていた方に、ここでお会いすることが出来るなんて」
と言って、右近の軟障に近寄って来た。お互いに長年別れていたことなど忘れて、言葉も出ずにそのまま全員が泣くだけであった。年老いた乳母が、ほんのわずかに、右近に、
「夕顔様は、どうなさいましたか。長年、夢の中でもお会いしたいと大願を立ててましたが、都を離れて遠い筑紫に行きましたために、風の便りにも噂をも伝え聞くことができませんでした。それがたいそう悲しく思うと、老いた身でこの世に生きながらえていますのも、とてもつらいのですが、夕顔様の残された姫君が、可愛く気の毒で、このまま姫を置いて私が冥土にでも旅立てばお世話する中途であり、とでもそのようなことは出来ないと、まだ目を瞑れないでおります」
と言い続けるので、昔のあの源氏とのことを、そして夕顔の急逝のことを今さら言っても詮ない事、右近は答えようがなく困ったと思うが、あっさりとでも言っておくべきだと、乳母に、
「今更申してもどうにもならないことで御座いますが、夕霧様は、ずいぶん前にお亡くなりになっています」
と言うなり、右近も、乳母達二、三人も皆涙が込み上げてきて、とてもどうすることもできず、泣き伏してしまった。
右近や乳母達が旧懐を懐かしんでいる間に「日が暮れますよ」と、案内する者が騒ぎ、急いで灯明などの用意をして参詣者を急がせるので、右近や乳母は落ち着かない気がしたが別れる。右近が「ご一緒にいらっしゃいませんか」と言うが、お互い供の人々がどんな関係かと不思議に思うに違いないので、参詣を急がされるので豊後介にも事情を説明することさえしない。乳母も右近も旧知の仲で格別気を遣うこともなく、皆外へ出た。
右近は、乳母達の一行をこっそりと注意して見ると、一行の中にかわいらしい後ろ姿をして、目立たないように質素な服装の旅姿ではあるが、今は秋であるのに夏四月ころの火のしをかけて張った薄い単衣のようなものの中に、長い髪の毛を束ねて着込めている髪が、透き通って見えるのが、とても上品で立派に見える。右近にはこれが玉鬘姫かと、今まで筑紫の田舎暮らしで苦労されたのであろうとおいたわしくかわいそうに思ってみていた。。
少し歩きなれている右近の一行は、先に御堂に着いたのであった。しかし、玉鬘の一行は姫君を介抱するのに苦労して、戌の時に始まる初夜の勤行にやっと間に合って堂にはいることが出来た。御堂の中は参詣人でとても混んでいて騒がしかった。右近の場所は仏の右側の近い間に用意してある。初瀬寺は東向きであるので仏の右側とは南になる、間とは柱と柱の間のことである。玉鬘一行の担当の御師は、玉鬘達とまだなじみが浅いためであるのか、西の間で仏からは遠い所だったのを、右近が玉鬘を見つけて、乳母に先ほど共に参りましょうと言ったので
「こちらの方にいらっしゃいませ」
と、右近が乳母に言うので、乳母は男たちを西の間において、豊後介に玉鬘と右近の間柄を簡単に説明して、玉鬘を右近の間である仏の右側に移した。右近は乳母に、
「私はこのようにつまらない者でありますが、今は源氏太政大臣様のお邸にお仕え致しておりますので、このように忍びの旅でも、無礼な扱いを受けるようなことはありますまいと源氏様を頼りにいたしております。田舎者には、このような所で、たちの良くない者どもが、悪戯をしでかすことがあります、そのようなことでもあれば、玉鬘姫に恐れ多いことです」
と言って、右近は乳母達と話をもっとしたく思ったが、重々しい勤行の声と、堂内の騒がしさに話も出来ずに仏を拝み申し上げる。右近は、心の中で、
「この姫君を、何とかして尋ね上げたいとお願い申して来たが、何はともあれ、こうしてお逢いすることが出来たので、今は願いのとおり、源氏大臣の君が、真剣にお探ししてお出でであるので、殿にお知らせ申して、玉鬘姫がますますお幸せになりますように」
などと心から仏に右近はお祈り申し上げたのであった。
この初瀬寺には近隣の村からはもちろんのこと遠い地方からも田舎の人々が大勢参詣しているのであった。大和国受領の正妻も、このとき参詣しているのであった。その一行は従者も多く寺の僧都達も大切に扱うようなたいそうな身分であるのを羨ましくて、三条が言うことには、
「この初瀬の大慈悲観音様には、私は他のことはお願い申し上げません。私のお仕えする姫君様が、太宰府の大弍の北の方に、さもなくば、この大和国の受領の北の方になられますように。わたくし達も、身分相応に出世さしてください、お礼参りは必ず致します」
と、額に手を当てて念じている。その願い事を聞いていて右近は、
「ひどくけちな縁起でもないことをお願いすること」 と聞いて三条を咎めて、
「三条よおまえは筑紫に下がっていって、とてもひどく田舎者になってしまった事よ。玉鬘姫の父君頭の中将殿は、おまえが都にいるときにすでにご信任の厚い方であったが、まして、今では天下を治められる内大臣でありますよ、そんな立派な方の姫であるこの方が、たかが受領の妻として、お定まりになるものですか」
と三条に注意するように言うと、彼女は祈りを暫く止めて、
「お静まりください。大臣や公卿とやらの話もちょっと待ってください。筑紫の大弍のお館の奥方様が、筑紫の清水のお寺や、観世音寺に参詣なさった時の行列の様子は、帝の行幸に負けてはおりませんでしたよ。まあ、右近様なんて嫌なことをおっしゃりますこと」
と言って、さらに手を額から離さず、一心に仏を拝んでいた。
玉鬘一行は、三日間参籠しようと決めていた。右近一行は、そのように三日間も参籠しようとは思っていなかったが、この機会に、ゆっくり玉鬘達と話しをしようと思って、参籠を延長することを、知人の僧都を呼んで伝えた。願文などに書いてある趣旨などは、ここの僧都達は馴れたもので、それで右近は僧都に、
「今回もいつもの願い事、藤原の瑠璃君というお方のために奉ります。よくお祈り申し上げてくださいませ。願い適ってその方は、つい最近お捜し申し上げました。そのお礼のことも重ねて申し上げることにいたします」
作品名:私の読む「源氏物語」ー32-玉鬘 作家名:陽高慈雨