私の読む「源氏物語」ー32-玉鬘
「八幡宮に次いで、仏門ではこの都では大和の初瀬に、日本でも霊験あらたか寺があると言うことです。その寺の観音に、形の醜い唐の僖宗皇帝の后、馬頭夫人は、醜い顔を嘆いていたが、ある仙人の教により東に向かって、日本国長谷寺観音に祈請したところ、夢の中に一人の貴僧が紫雲に乗って東方より来て、手をのべて瓶水を面に注ぐと、忽ちに容貌端正になった。この霊験の礼として、乾符三年(わが清和帝の貞観十八年丙申七月十八日、侍女を引率して、日本に船出をする港の明州の港にこられて、十種の宝物を日本の長谷寺に贈った、と言う伝えがあるほどです。また、大臣吉備真備が遣唐使として在唐の時も、長谷観音と住吉明神に祈請して、野馬台の詩を読み通したと言われます。それほど唐土にまでも評判の高いお寺といいます。まして、玉鬘姫はわが国の中で、遠い地方に長年住まわれて苦労なさったのであるから、唐の人以上に姫君には御利益があるでしょう」
と言って、玉鬘を初瀬へと出発させた。車や輿は使わずにわざと徒歩で参詣することにした。姫は慣れないことで、大変辛く苦しい道中であるが、豊後介の言うことを聞いて、無我夢中で歩いて行った。
都から初瀬までは十八里ある、道々玉鬘は、
「私の前世は罪業深い身であったために、このような流浪の日を送るのだろう。どんな罪を犯したのだろう。わたしの母親が、既にお亡くなりになっていらっしゃろうとも、わたしをかわいそうだとお思いになってくださるなら、今いらっしゃるところへお連れください。もし、この世に生きていらっしゃるならば、お顔をお見せください」
と、仏に願いながら、生前の姿を知らない姫は、ただ、「母親が生きていらしたら」と、ばかり悲しく嘆き続けていたので、こうして今、慣れない徒歩の旅が辛くて悲しいのであるがその辛さをぐっと噛みしめて、やっとのことで、椿市という所に、都を出てから八月四日朝の巳の刻(午前十時)ごろに、生きた心地もしないで、到着した。
歩くともいえないありさまで、あれこれとどうにかやって来たが、玉鬘はもう一歩も歩くこともできない様子であるので、どうすることもできずここで休むことにした。
玉鬘の一行は、頼りとする豊後介、弓矢を持たせている家来が二人、その他には雑用をする男と童たち三、四人、女性は玉鬘、乳母、娘の兵部と三人は壷装束姿である。それに便器の始末をする樋洗童女と老婆の雑用の女房とが二人ほどいた。
一行はひどく目立たないようにしていた。仏前に供えるお灯明など、椿市で買い足しなどをしているうちに日が暮れた。宿の主人の法師が、
「他の方をお泊め申そうとしているお部屋に、どなたがお入りになっているのですか。下女たちが、勝手なことをして」
と不平を言うのを、失礼なと思って聞いているうちに、なるほど、言うとおりに大勢の人がこの宿に入ってきた。
大勢で宿に入って来た一行も徒旅であった。上品な女二人が使用人の男女を多数伴っていた。馬も四五頭を引き連れて、自分たちでは人目を忍んで粗末な様子をしていると思っているのであろうが、都風の清楚な姿がみえみえであった。宿の主人はこの一行をなんとしてでも泊めたくてどうしようかと頭をかきかき歩き回っていた。それを見ていて姫たちは宿の主人には悪いと思うのであるが、ここを出てまた宿を探すのが面倒であるので、ここを動こうとはしないで部屋の奥の方に入り片側に身を寄せて、部屋の半分をあけて新しく来た一行が利用できるよぅにした。そして軟らかな障子で、布製の間仕切りである軟障を引き回して部屋の区切りとし、その中に玉鬘を座らせた。
後から来た集団も気の置ける相手ではない。ひどくこっそりと目立たないようにして、相手が誰であるか分からないので互いに気を遣っていた。
そうではあるが同室の一団は、あの何年も夕顔の忘れ形見玉鬘を恋い慕っている右近が主人の一行なのであった。右近は夕顔が亡くなったあと源氏が引き取りさらに今は紫の許に女房として仕えているのであるが、年月がたつにつれて、落ち着かない中途半端な女房仕えがだんだんと身に添わなくなり悩んでいるのであるし 行く方が知れない姫である玉鬘にも再会したいと願をかけて、このお寺に機会あるたびに参詣していたのであった。
右近は長谷詣ではいつものことで馴れてはいるのであるがなんと言っても都からここまで歩いてきて、いかに身軽な旅支度であっても、我慢のできないほど疲れて、物に寄りかかって疲れをいやしていると、隣の一行の中から豊後介が母の乳母から言われたのであろうか、幕の側に近寄って来て、食事なのであろう、折敷を置き、
「これは、御主人様に差し上げてください。お膳などが整わなくて、たいそう恐れ多いことですが」
と言うのを聞くと、右近は「お隣は自分より身分の高い方では」と思って、隙間から声をかけた男を見ると、この男どこかで見たような気がする。しかし誰であると思い出せない。この男がたいそう若かった時に見たのだが、見られた豊後介は大きくなり、太って色黒く粗末な身なりをしていたので、長い年月の間を経た目では、右近は昔ともに夕顔に仕えていた乳母の子供であるとは気がつくことは出来なかった。豊後介が、玉鬘の雑用係の三条という女を、自分は男であるから軟障を開いて折敷を中に入れるわけにいかないので、
「三条、こちらに参れ」
と呼び寄せる、その女を右近が見ると、これもまた見た事のある女である、右近は、
「この女は亡くなったご夕顔様に雑用の下人として長い間お仕えしていて、あの源氏様とお会いした五条の隠れ屋敷にもお供していた者であった」
と気がついて、気が高ぶりまるで夢のような心地である。この女が今仕えている主人にとても逢いたいと思うが、軟障を巡らされているのでとてもお会いすることは出来ない。右近はどうすればこの女の主人に会えようかと困って、
「この三条に尋ねてみよう。あの男は兵藤太と言った筈である。姫君がいらっしゃるのかしら」
と思いつくと、とても気がせいて、この向こうの軟障の中にいる三条を呼ばせたが、三条は何で他人の私を呼ぶのかと、食事に夢中になっていて、すぐには右近の方へ参上しなかった。右近はすぐに来ない三条を早くすればいいのにと少々腹立ちになった、仕方がないことである。
やっとして、三条は右近のいる軟障の中にやってきて
「何でございましょうお呼びになって。私は筑紫の国に二十年ほど過ごしました雑用の女ですのを、名前をご存知の京のお方がいようとは。何か人違いでございましょう」
と言って、右近に近寄って来た。田舎者めいた紅色に染めた掻練の上に衣などを着て、とてもたいそう太っていた。右近もその姿を見て自分も歳を重ねたものだと思い知らされて、恥ずかしかったが、前にいる三条に、
「もっとよく私を見てご覧なさい。私が分かりませんか」
と言って、顔を差し出した。三条ははっと気がつき手を打って、
「あなた様右近様でいらしたのですね。ああ、何とも嬉しいことよ。どこから参りなさったのですか。夕顔様もご一緒ですか、何処にいらっしゃいますか」
作品名:私の読む「源氏物語」ー32-玉鬘 作家名:陽高慈雨