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私の読む「源氏物語」ー32-玉鬘

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 姉のおもとは、家族が多くなって、乳母達一行と出立することができない。お互いに別れを惜しんで、再会することは二度と出来ないと思うが、妹のあてきは九州肥前の地に十六年という長年過ごしたからと言って格別去り難くもない。ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。あてきは、この先のおぼつかない旅を思って

 浮島を漕ぎ離れても行く方や
    いづく泊りと知らずもあるかな 
(浮き島のように思われたこの地を漕ぎ離れて行きますけれど、どこが落ち着き先ともわからない身の上ですこと)

 と詠うと、それに答えるかのように玉鬘は、

 行く先も見えぬ浪路に舟出して
      風にまかする身こそ浮きたれ
(行く先もわからない波路に舟出して、風まかせの身の上こそ頼りないことです)

 と歌を返して、心細い気が一杯で舟底にうつ伏していた。

 乳母達一行は
「このように、こっそりと逃げ出したことが、自然と人の口の端に上って大監に知れたら、あの気の強い男であるから、後を追って来るだろう」
 と思うと、気が気でないのであるが、早舟といって、特別の仕掛けがある舟を用意して置いた上に、あつらえ向きの追い風までが吹いたので、危ないくらい速く京に向かった。響灘と言う舟の難所も平穏無事に通過した。
 「海賊船だろうか。小さい舟が、飛ぶようにしてやって来る」
 と、速く走る舟を見て船頭達が言う。しかし一行は、海賊で向う見ずな乱暴者よりも、あの恐ろしい大監が追って来るのではないかと思うと、この海の上ではどう防ぐことも出来ない、それを考えると気持ちが落ち着かないのである。乳母は、

 憂きことに胸のみ騒ぐ響きには
       響の灘もさはらざりけり
(嫌なことに胸がどきどきしてばかりしていたので、それに比べれば響の灘の響きも名前ばかりでした)

「淀川の河口の河尻という所に、近づいた」
 と船頭が言うので、一行は少しは生きかえった心地がする。このところでは例によって、船頭達がそろって、
「唐泊から、河尻を漕ぎ行くときは」
 と謡うのえあるが、その声が無骨ながらも、一同の心にしみて乳母達の心は安堵感で満たされた。
 豊後介も安心して、しみじみと親しみのある声で舟歌の続きを、
「とてもいとしい妻や子も忘れてしもた」
 と謡って、そうだよく考えてみると、
「なるほど、舟唄のとおり、皆、家族を置いて来たのだ。妻や子供はどうなったことだろうか。しっかりした役に立つと思われる家来たちは、皆連れて来てしまった。大監が肥後から乗り込んできてこのことを知り、私のことを憎い奴めと、妻子たちを放逐して、どんなひどい目に遭わせるだろう」
 と豊後介は思うと、自分の行動が、
「浅はかにも、後先のことも考えず、飛び出してしまったことよ」
 と、少し事が成功してきた頃になって初めて、とんでもないことをしたと後悔し、気弱に泣き出してしまった。白氏文集、巻三、縛戎人、即ち、一旦、捕縛せられて後に逃走して郷国に帰った、野蛮国の人を詠じた七言古詩がある。その中に、
 自ラ云フ郷貫ハモト涼原ナリト(中略)身ヲ脱シ 死ヲ冒シテ奔ツテ逃ゲテ帰ル 昼ハ伏シ宵ハ行キテ 大漢ヲ経タリ 雲陰リ月黒クシテ風砂悪シ 驚キテ 青塚二蔵ルレバ寒草疎ナリ 偸ニ黄河ヲ度レバ夜氷 薄シ(中略)涼原ノ郷井ハ見ルコトヲ得ズ 胡地ノ 妻児ハ虚シク棄テ損テッ。(以下略)
 とある歌をふと口にしたのを、兵部の君が聞いて、
「ほんとうに、私たちおかしなことをしてしまったわ。長年連れ添ってきた夫の心に、突然に背いて肥前から逃げ出したのを、あの人はどう思っていることだろう」
 と、さまざまに思わずにはいられない。帰る所といっても、はっきりどこそこと落ち着くべき棲家もない。知り合いだといって頼りにできる人も頭に浮ばない。ただ姫君お一人のために、長い年月住み馴れた土地を離れて、あてどのない波風まかせの旅をして、何をどうしてよいのかわからない。母君はこの姫君を、この先どうされるのであろうか」
 と、途方に暮れているが、「今さらどうすることもできない」と思って、玉鬘に従って急いで京に入った。


 九条と言えば都と言っても南のはずれであるが、そこに乳母は昔知り合いであった人が生き残っているのを訪ね出して、一応住まいとなるところを確保できた。都の中とは言っても、高貴な方々の住まわれているところより遙かに離れていて、周り一帯は品のない礼儀知らずの物売り歩く卑しい女や、商人などが住んでいる。このような周囲の中での生活は玉鬘も乳母や息子の豊後介などの気持ちが晴れることもなく悶々のうちに季節が秋になっていく、、玉鬘一行にとって、これまでのことや将来の見通しも、悲しいことが多かった。
 乳母の長男の豊後介という一同の頼りにしている者も、水鳥が陸に上がって馴れない陸地をうろうろしているような気分で、なす事もな手持ち無沙汰であり、慣れない都の生活の中では何のつてもないことを思い、今さら肥前の国へ帰るのも体裁悪く、幼稚な考えから筑紫の国から出立してしまったことを後悔している。肥前から従って来た何人かの家来たちも、頼りない主人に愛想をつかして、それぞれ縁故を頼って逃げ去り、筑紫へと散りじりに帰って行ってしまった。
 安定して落ち着いて住む処を豊後介はとうてい探すことが出来ないのを、母の乳母は、明けても暮れても可愛そうにと気の毒がっているので、豊後介は気を休めるために母に、
「何の心配もいりません。この私が、姫君お一方の身代わりとなり、どこへなりと行って死んでも問題ありますまい。自分がどんなに偉い身分になったとしても、姫君をあの大監のような田舎者男の中に放っておいたのでは、私どもはどのような気持ちで生きておれましょう」
 と玉鬘や乳母妹を心配せぬよう慰めて、さらに、
「神仏は、姫をしかるべき方向にお導きになるでしょう。ここから近い所に、八幡宮と申す社があります、玉鬘様が筑前でも参詣し、お祈り申していらした松浦八幡、箱崎八幡と、同じ御魂の社です。筑前を離れるときに当たっても、姫は安全を願ってたくさんの願をお掛け申されました。今このように御加護を得て都に帰ることができたことを、早くお礼を申し上げに参上すべき事です」
 と玉鬘に告げて、早速岩清水八幡宮に御参詣させようと岩清水八幡の事情をよく知っている人にこちらの気持ちを告げて、八幡宮の五師と言って五人で岩清水の極楽寺の事務を掌らせる役僧の任に当たる者がいるが、その中に昔亡き少弐の父親が懇意にしていた一人が残っていたのを探し出して呼び寄せて、この役僧のつてで玉鬘を石清水八幡宮に参詣させるようにした。

 さらに豊後介は玉鬘に、