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私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半

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 源氏は、現在の住まいが二条であまりにも賑やかすぎるのでどこか閑静なところで住みたいと、しかも同じことなら広大な敷地に、あちこちに屋敷を建て、滅多に逢うことが出来ない大堰の明石の君を呼び寄せて住まわせ、また他に自分の外夫人をもここに集めて住んでもらおうと計画して、六条京極の辺りに、亡き六条御息所の旧居の近くに、四町あまりの敷地いっぱいを使って住居を建設した。
 式部卿宮が、明年五十歳になる祝賀のことを、娘の紫の上が計画しているのを、源氏としても、「あまり親しくはないが見過ごすわけにはいかない」と、「それならば新しい建物でしよう」と、急いで建設をした。
 年が変わってからは紫の上は、昨年以上に祝賀の準備、先ず祝賀は僧が法要を行い将来の福徳を祈ることから始まる。それが終わると精進落としである「としみ」が催される、それに参加させる楽人、舞人の選定、源氏は熱心に準備させる。経、仏像、法事の日の装束、世話になった者に贈る禄などを、紫の上は準備するのだった。
 東院に住む花散る里も分担して準備の手助けをする、紫との間柄はすこぶる円満で、普通以上に優美に話し合ったり手紙のやりとりをしていた。
 このように源氏一家が総出で準備をしているのが世間中の話題となって、本人の式部卿宮の耳にも入って、
「源氏の君は長年の間、一般の人には寛大な心で接しておられたが、わたくしどもには何となく理由もなく冷たい態度と見られたのであるが、やはり須磨に流れられたときの私の態度に不満がおありなだろうか、何となく私に辛く当たられ、私の部下達にも心配りがなく、不満の数々があったのであるが、やはり私を恨めしいと思っておられるのであろう」
 と、式部卿は源氏に済まない思いと自分の辛さで悩みが絶えなかったのであるが、今回の祝賀を準備しておられることを聞くと、数多くの源氏の女性関係の中で、我が娘紫を源氏は特別に寵愛され奥ゆかしくすてきな女として、大切にされているのを、自分の所まで源氏の心配りがないとしても娘を大事にしてくれるのは名誉ある事と思っていた、また今回の計画を聞くと、
「このように世間中の評判となるまで、大騒ぎして私の五十の祝賀を準備なさるのは、思いがけない晩年の慶事だ」
 と、喜ぶのを横で見ている彼の妻は、「おもしろくない、不愉快だ」と思っていた。自分の娘が女御として帝の許に上がる際にも、、源氏が何の配慮もしなかったことを、ますます恨めしいと思い込んでいるからであろう。

 八月に、六条院が完成して二条院から引っ越しする。源氏は次のように割り振りを、「未申の町は皇后である元斎宮の旧邸なので、そのままお住まいになる予定である。辰巳は、源氏と紫が住む。丑寅は、現在東の院に住む花散る里の区画、戌亥の区画は、大堰から来る明石の御方と」
 と考えた。もとからあった池や山を、風景に合わないのは造り変えて、水の流れの情緒や、山の風情を住む予定の女達に聞いて、それぞれの御方々の希望どおりに造り上げた。
 源氏の住む東南の区画は、山を高く築き、春の花の木を、無数に植えて、それに合う池の様子も趣深く優れていて、庭先の前栽には、五葉の松、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などといった、春の楽しみの中に、秋の前栽を、ひと塊づつ混ぜてあった。
 西南の梅壺后のところは、もとからある山に、紅葉の色の濃い植木を幾本も植えて、泉の水を清らかに遠くまで流して、遣水の音がきわだつように岩を立て加え、滝を落として、秋の野を広々と作ってあるが、折柄ちょうど秋のまっただ中で、盛んに咲き乱れていた。その光景は嵯峨の大堰あたりの野山も負けるほどの圧倒されるほどであった。梅壺の后は秋を好む方で秋好宮と呼ばれていた。
 花散る里の住む北東は、涼しそうな泉があって、夏の木蔭を主としていた。庭先の前栽には、呉竹があり、下風が涼しく吹くようにし、木高い森のような木は庭の奥深さを強調して山里のようである。花散る里の旧邸は卯花の垣根をめぐらしてあったのを模して垣根を造り、旧邸を思い出させる花橘、撫子、薔薇、くたに(竜胆)などといった花や、草々を植えて、春秋の木や草を、その中に混ぜていた。東面は、一角を区切って馬場殿を造って、土塀を巡らし、五月の馬遊びの場所として、東西の池のほとりに菖蒲を植え茂らせて、その向かい側に御厩舎を造って、またとない素晴らしい馬を何頭も飼うことにした。
 明石の君が住む西北は、北面は築地で区切って、源氏一家の諸道具から食料を保管する倉庫群とした。隔ての垣として松の木をたくさん植えて、雪を鑑賞するのに都合よくしてある。冬の初めの朝、霜が結ぶように当然菊の籬を置き、得意げに紅葉する柞(柏)の原、ほとんど名も知らない深山木などの、木深く茂っているのを移植してあった。明石の君は冬の方と呼ばれるので、庭は冬を想定して造られてあった。


 源氏は八月十日彼岸のころに引っ越してきた。源氏の家人や源氏自身も一度に引っ越しをと決めていたのであるが、それでは大袈裟すぎると言って、秋好中宮は少し引っ越しを後にする。いつものようにおとなしく気取らない花散里は、紫と共に一緒に引っ越しをしてきた。
 紫が住む南東の庭は春の庭に設えてあり、今の秋の季節には合わないが、とても見事である。一行は車十五台、御前駆は四位五位の人々が多く、六位の殿上人などは、特別な人だけを選んでいた。一行は世間の非難があってはいけないと大袈裟なことはしないで簡略にしていたので、何処から見ても簡素な引っ越しであった。
 花散る里も紫に負けずひっそりとした引っ越しで、侍従となった夕霧が付き添っていた。夕霧は花散る里が後見となって世話をしているので、なるほどと皆が合点した。
 女房たちの住む曹司町も、それぞれ細かく区切って割り当てられていて、他の何よりも素晴らしく気を遣ってこしらえてあった。
 五、六日過ぎて、秋好中宮が冷泉帝の許しを得て宮中を退出した。道中の様子はそれは、簡略とはいっても、后の行列である、まことに大層なものである。彼女の運の強さは言うことないが、彼女の性格が奥ゆかしくしっとりとしているので、世間からは后にふさわしいと人と重んじられていることは、格別であった。
 この六条の源氏の屋敷の敷地内は、仕切りには、塀や廊下などを、あちらこちらと行き来が簡単に出来るように建設されて、源氏の女達や女房がお互いに親しく交わり風雅な生活が送れるように造られてあった。

 九月になると、紅葉があちこちに色づいて、秋景色を考えて造られた中宮の庭先は何ともいえないほど素晴らしい。風がさっと吹いた夕暮に、中宮は箱の蓋に、色とりどりの花や紅葉をとり混ぜて、紫に贈ってこられた。