私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半
やがて日がだんだん陰ってきて夕暮れともなると、音楽の舟が幾隻も文章生が乗る舟の周りを漕ぎ廻って、音の調子を整える時に、山風の風の音と楽の音が面白く吹き合っているので、夕霧は、
「こんな試験のようなつらい修業をしなくても皆と一緒に音楽を楽しめたりできるはずのものを」
と、こんな世界が恨めしく思った。
「春鴬囀」を舞うときに、源氏十九歳春のこと故桐壺帝の花の宴の時を思い出して、朱雀院が、
「もう一度、あのような宴を見ることが出来るだろうか」
と源氏に語りかけ、二人はその当時のことがしみじみと次から次へと思い出されてきた。舞い終わるころに、源氏は兄の朱雀院に杯を差し出し。
鴬のさへづる声は昔にて
睦れし花の蔭ぞ変はれる
(鶯の囀る声は昔のままですが、馴れ親しんだあの頃とはすっかり時勢が変わってしまいました)
それに答えるように朱雀院も、今日の行幸に感謝のお礼歌を詠う。
九重を霞隔つるすみかにも
春と告げくる鴬の声
(宮中から遠く離れた仙洞御所にも春が来たと鴬の声が聞こえてきます)
以前は帥宮としてであったが現在は兵部卿となって、帝の側に控えていたのであったが、帝に杯を差し上げ
いにしへを吹き伝へたる笛竹に
さへづる鳥の音さへ変はらぬ
(昔の音色そのままの笛の音に、さらに鴬の囀る声までもちっとも変わっていません)
二人の歌に唱和して、巧みにその場をもりあげる、その気配りは立派であった。
帝は差し出された杯を取ると、
鴬の昔を恋ひてさへづるは
木伝ふ花の色やあせたる
(鴬が昔を慕って木から木へと飛び移って囀っていますのは今の木の花の色が悪くなっているからでしょうか)
と巧みにみんなの歌にあわされるのは、この上なく奥ゆかしい性質である。このお杯事は、お身内だけのことなので、そのほかのことは書き記さない。
音楽を奏でているところが少し離れているので、帝は琴などの楽器を持ってこさせた。そこで兵部卿宮は、琵琶。内大臣は和琴。箏のお琴は朱雀院の前に差し上げて、琴の琴は、例によって源氏が担当する。それでは合奏をと合図して奏楽が始まった。このような素晴らしい名手の方々の優れた演奏で、演奏者が互いに秘術を尽くした楽の音色は、何ともたとえようがない。唱歌のできる殿上人が多数伺候している。最初は催馬楽の「安名尊」を、
あな尊 今日の尊さ や 古も はれ 古も
かくやありけん や 今日の尊さ あはれそこ よしや 今日の尊さ
と演奏して、次に「桜人」。
桜人 その舟とどめ 島つ田を 十町(とまち) つくれる 見て帰り来んや そよや 明日帰り 来ん そよや 明日帰り来ん 言をこそ 明日 とも言わめ 彼方(おちかた)に 妻去る夫(せ な)は 明日も真(さね)来じや そよや さ 明日も真来じや そよや
と歌い上げた。
月が朧ろにさし出して美しいころに、中島のあたりあちこちに篝火をいくつも灯して、今日の遊は終わった。
帝の帰還は夜更けになってしまった。冷泉院は今日のような機会に、朱雀院の母君である太后宮の住まいの前を通ることに気がつき、訪問をしないのも後でこのように前を通り過ぎたことを聞かれたらどんな思いをされるか、思いやりがない男であると思われるであろうと、弘徽殿大后を訪問した。源氏も一緒に同道した。
弘徽殿大后宮は夜更けではあったが喜んで帝一行を待っておられた。帝と源氏は大后と御簾の中で几帳もなく直に対面した。帝や源氏は大后は相当歳を取られた様子であると見て、故藤壺宮を思い出し、「こんなに長生きされる方もいらっしゃるものを」と、冷泉帝は母であり又源氏は恋しい人であった藤壺の宮が早くに亡くなったことが残念であると思うのであった。弘徽殿大后は二人に、
「今はこのように歳を取って、老いからかすべての事柄を忘れてしまっておりましたが、帝がわざわざお越しになって、まことに畏れ多く、お二人を目の前にいたしますと改めて昔の御代のことが思い出されます」
と、涙を流して喜ぶ。冷泉帝は弘徽殿に、
「私も若いときに頼りになるはずの父君母君に先立たれて後、暗い冬のような気分で毎日を過ごしていましたが、大后様にお目にかかれて胸の中に春の明るさが蘇ったような気持ちがいたします。初めて心慰めることができました。この後、時々はお伺い致します」
と大后に御挨拶された。源氏もこの弘徽殿とはいろいろな過去があって、そうまで親しくはないのであるが、ほどほどの言葉をかけて、
「私もまた改めてお伺い致しましょう」
と、帝に続いて弘徽殿に挨拶した。
帝と源氏はあわただしく弘徽殿の前から帰って行った。大后は、今や源氏の威光の世であることをはっきりと見せつけられた気分で胸が静まらず、
「源氏は私のことをどのように思い出しておられようか。あれほど自分がいろいろと手を尽くしたが結局、政権を取られたということは、私は彼の運を押しつぶすことが出来なかったのだ」
と昔手の打ち方が悪かったと後悔するのであった。
朱雀院が想いを寄せて大事に囲っている朧月夜の君は、かって秘かに源氏と深い関係になり、二人が朧月夜の部屋で抱き合っているところを彼女の父右大臣に見つかり、源氏が須磨に落ちて行く原因ともなったった、その尚侍の君の朧月夜も、今は朱雀院が職を辞して暇がある身になり自分も、ゆったりした気分で源氏のことを思い出すと、いろいろと体が熱くなったり震えたりするのであった。源氏とは今でも適当な機会に、いろんな方法でこっそりと便りを送ることもあった。
大后は朝廷に、下賜されている年官や年爵をもう少し豊かなものにして欲しいと、申し込まれるのであるが、なかなか思うようにはいかない、その都度大后は、
「長生きをしてこんな酷い目に遭うとは」
と嘆き、もう一度昔の御代に取り戻したいと、かんがえるがどうしようもない。
年官は、毎年の春の除目に、名前だけであるが掾一人・目一人・史生三人を任補して、その俸禄を戴く。年爵は、毎年の秋の除目に、これも名前だけで京都の官人一人を任補して、その俸禄を年官と同様に受け取るのである。
弘徽殿は歳とともに、根性が曲がってきて、息子である朱雀院ももてあまして、どうしようかと本当に困ってしまっていた。
さて、いろいろと問題があったが夕霧は、帝の前の学問比べに漢詩を見事に作詩して、帝から褒められ進士に昇進した。当日選ばれた十人の文章生は長い年月修業した優れた者たちであったが、及第した人は、わずかに三人だけであった。
夕霧は秋の除目に、五位に叙されて、侍従として仕えることになった。夕霧のことは片時も忘れることはないが、内大臣がきつく見張っているので困ったことと思うが、無理をしてまでも夕霧は彼女に会おうとはしなかった。ただお手紙だけはこっそりと送り届けるという、二人とも気の毒な状態が続いていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半 作家名:陽高慈雨