私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半
夕霧は、恋しい雲居雁に手紙をやることさえ出来ないで、いらいらして恋心がますます増してくる、日が過ぎるにつれてあの雲居雁の可愛らしい顔を見ること、柔らか体を抱くこと、もう一生出来ないのではないかと思っている。今まで育ててくれた祖母の大宮の側へも、何となく気乗りがせず訪問することもしない。祖母の家の自分の部屋をや、長年雲居雁と一緒に遊んだ所ばかりが、ますます思い出されるので、祖母の家が疎ましく、東院の自分の勉強部屋に籠もっていた。
そんな夕霧を源氏は東院に住む花散る里に、夕霧の面倒を見てくれるように頼んでいた。
「あの子の祖母の大宮もお歳であるからこれから長い間夕霧の面倒は見ていただけまい、今から貴女が夕霧の世話をしていてくれて、大宮がお亡くなりになった後も、あなたが夕霧の後見をしてくださるとよろしい」
と花散る里に源氏が頼むと、頼まれたことを素直に実行する彼女の性質なので、夕霧を真から可愛がって面倒を見る。
そんな花散る里を夕霧はちらっと顔見て、
「たいした器量ではないな。このような女の方も、父は見捨てずに大事に囲っておられるのだな」などと、「自分は、無性に、どうにもならない雲居雁の器量に心を奪われて恋しいと思うのもつまらないことだ。柔和な気だての女の人と愛し合いたいものだ」
と思う。また一方で、
「向かい合ってじっと顔を眺めているのが辛いような女の人も気の毒だ。こうして長年連れ添ってこられたのであるが、父上が、ご器量を、承知のうえで、浜木綿の花のように幾重にも几帳の隔てを置き置きして、彼女の顔を見ないようにしていらっしゃるのもらしいのも、もっともなことだ」
と父親の女関係を夕霧が考えるとは、大人顔負けの立派な者である。
祖母の大宮の器量は格別で、老いてもまだたいそう美しく、夕霧は今までこちらでもあちらでも、美しい女性ばかりと接触してきたので、女性は器量のよいものとばかり目馴れていたが、花散る里は元々そんなに美人ではなく、しかも女の盛りが少し過ぎた感じがして、体も痩せて女独特の瑞々しい豊満さがなくなり、髪も少なくなっている、そんなところに夕霧が不細工な女だと、決めつけたところであった。
年の暮になると、正月のご装束などを、大宮はただ夕霧のためばかりの事を、一心に準備をする。正月装束をいく組も、たいそう立派に仕立てあげて夕霧に見せるのであるが、彼は六位の衣装が気になってばかりで、せっかく喜んでもらおうと思っている祖母の大宮に、
「元旦などには、特に参内すまいと存じておりますのに、どうしてこのようにご準備なさるのです」
と礼も言わずに言うと、大宮は、
「どうして、そんなことを言うのです、まるで歳を取って精力を無くした人のようですよ」
と夕霧に言うので、
「歳はとっていませんが、何もしたくない気です」
と独り言のように呟くと涙ぐんでいる。それを見て大宮は、
「あの雲居雁のことを思っているのだろう」
と、恋に苦しむ孫の夕霧が可愛そうで、大宮も泣き顔になってしまった。それでも大宮は気を引き立たせようと夕霧に、
「男は、取るに足りない低い身分の人でさえ、気位を高く持っている者です。まして貴方のような将来ある若い人がこんなに沈んいるとはとんでもないことです。どうして、こんなにくよくよ思い詰めるのです。縁起でもありません」
と夕霧に言うのであるが、夕霧はさらに、
「そんな気力を落としていることはありません。私のことを人が六位などと軽蔑するので、こんなことは少しの間だとは存じておりますが、参内するのが億劫なのです。亡くなられた祖父の大臣が生きていらっしゃったならば、冗談にも、人からは軽蔑されることはなかったでしょうに。何の遠慮もいらない実の親も、たいそう他人行儀に私を遠ざけるようされますので、父君が居られても気安くお話も出来ないし、気安く側にも行くことが出来ません。内裏から下がって東の院にお出での時だけ、お側に上がります。花散る里の御方だけは、私にやさしくしてくださいますが、それでも母上が生きていらっしゃいましたら、このように何も思い悩まなくてよかったと思います」
と言って、涙が落ちるのを隠している様子である。それを見てたいそう可愛そうで、大宮は、ますますほろほろと泣き、
「母親に先立たれた人は、身分の高い低いに関係なく、貴方と同様に気の毒なことなのですが、それはそれぞれの前世からの宿縁で、成人してしまえば、貴方のことを誰も軽蔑する者はいなくなるのですから、思い詰めることはありませんよ。亡くなった祖父の太政大臣がせめてもう少しだけ長生きをしてくれればよかったのに。私は貴方の絶大な庇護者として、父君の源氏の大臣を同じようにご信頼申し上げてはいますが、思いどおりに行かないことが多いですね。伯父様の内大臣の性質も、普通の人とは違って立派だと世間の人も褒めて言うようですが、昔と今では違う事ばかりが多くなって、私は自分の長生きも恨めしい上に、これから先長い貴方まで、このようなちょっとしたことで、自分の身の上を悲観しているので、とてもいろいろと考えることが多い恨めしいこの世です」
と言って、大宮は孫の前で泣いている。
源氏三十四歳の春正月元旦。
元旦にも、源氏は太政大臣という職柄決まった仕事がないので宮中へは参賀しないで、のんびりとしていっらしゃる。正月七日、良房の大臣と申し上げた方の、昔の例に倣って、、天皇が豊楽殿に出御して左右馬寮から出す二十一頭の白馬をご覧になった後、饗宴が行なわれました。馬は陽の獣で、青は春の色です。そして七は小陽の数で七曜にあて、これに陽の三を乗じて二十一頭としたといいます。源氏はその例を模して、白馬を牽き、節会の日は、宮中の儀式と同じようにして、さらに昔の例よりもいろいろな事を加えて、盛大催した。
二月の二十日、冷泉院は兄の屋敷である朱雀院に行幸した。花盛りはまだのころであるが、三月は帝の母故藤壷入道宮の御忌月であるので二月にしたのである。早く咲いた桜の花の色もたいそう美しいので、朱雀院も心配りを特に入念にして、帝の側行幸に供奉する上達部や親王たちをはじめとして、青色の袍の上着に下は桜の下襲を着用という十分な用意をしていた。
帝は、供奉する臣下が青色の袍の時は赤色の袍という決まりからそれを着用していた。帝の命令で源氏太政大臣が同行した。規則によって源氏も同じ赤色の袍を着ているので、帝と源氏はますますよく似ていて輝くばかり美しくどちらがどうと見違えるほどであった。人々の装束や、振る舞いも、いつもと違っている。朱雀院も、歳と共に立派になり、見た目や態度が、以前にもまして優雅になっていた。
このような席には必ず専門の文人を呼ぶのであるが、それは省いて、漢詩を作る才能の高いという評判の学生十人を招集した。その中に夕霧も混じっていた。式部省の文章生の試験にならって勅題が出た。帝は源氏の長男夕霧のためにこのようなことを考えたのであった。気の弱い者たちは、帝や、先の帝朱雀院、高官達の前で緊張からぼおっとしてしまって、繋いでない舟に一隻に一人ずつ乗って、池の中に放り出され、どうしていいのか途方に暮れているようであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半 作家名:陽高慈雨