私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半
と姫は言い、父の内大臣が近づいてきたので、夕霧から離れてしかたなく自分の部屋に戻っていった。
夕霧は彼女に去られ一人になると、先ほど女の乳母に言われた身分のことが、とても体裁が悪く、別れたつらさや自分の低い身分を嘲られたことで胸が一杯になって、自分の部屋で横になった。
車三輌ほどがひっそりと急いで出ていくのを聞くと落ち着いてはいられない、祖母の大宮が気を遣って「部屋にいらっしゃい」と伝えてきたが、ふて寝をして身動きもしなかった。
一晩泣き明かして、朝早く霜がたいそう白く積もる頃に急いで父源氏の二条院の屋敷に戻っていった。泣き腫らした目許を人に見られるのが恥ずかしい、祖母の大宮もまた、自分を呼び寄せたら寂しいので放さないだろうから、気楽な父の屋敷でと思って、急いで帰るのであった。
帰り道は、誰のせいでもなく自分の撒いた種でこのようになったと、心細く思い続けていると、空模様も何となくくらい感じで曇って陽が差さずまだほの暗いのであった。
霜氷うたてむすべる明けぐれの
空かきくらし降る涙かな
(霜や氷が嫌に張り詰めた明け方の、空を真暗にして降る涙の雨だなあ)
車に揺られながら一人淋しく呟いた。
源氏は、今年、五節の舞姫を差し出した。五節とは新嘗祭の五節のことで、十一月の中旬の丑、寅、卯、辰の日に行われる。舞姫を公卿から二人、殿上人・受領から二人差し出す。源氏は公卿として乳母兄弟の惟光の娘を差し出した。なお天皇が変わり初めての新嘗祭を大嘗祭と言いこの時は五人の舞姫を差し出すのが決まりである。
これといった用意ではないが源氏は、出演する童女の装束など、期日が近づいたといって、急いで準備するように言いつけた。
花散る里が住まいする東の院では、源氏が参内する夜の付人の装束を女房達と手分けして準備させる。源氏は二条院の方で、五節の全般的な事柄、中宮の装束から童女や下仕えの人々の五節の準備費用を、そこそこでない膨大な物を差し上げた。
というのは昨年は、五節などは藤壺入道の崩御によって五節が停止になって、世の中がもの寂しかった思いから、今年は喪も開けて殿上人の気分も新しく、例年よりもはなやかにという年なので、家々が競って、たいそう立派に善美の限りを尽くして用意をするとの噂であった。
雲居雁の母が再婚した按察大納言の娘、内大臣元の頭中将の弟左衛門督の娘と、殿上人の五節としては、今では近江守で左中弁を兼官している良清が娘を差しだした。この良清は、かって源氏が須磨に流れたときに共に従って都落ちした者で、それ以前若い源氏が瘧に罹り北山の修験者の祈祷を受けに行った際に、明石入道の娘の噂を源氏に伝えた者である。
これらの五節の舞姫は祭りが終わった後は皆宮中に残させ、宮仕えするようにとの、例年にない特別な指示があったからで、そのような光栄に浴するとはと、娘をそれぞれ差し上げたのである。
源氏の差し出す舞姫は、乳母兄弟の惟光朝臣、今は摂津守で左京大夫を兼官している、その娘で、大層美しい娘であるという巷の評判を聞いて差し出すことにした、しかし源氏は自分が推薦する娘が身分の低い惟光の娘とあっては少し迷惑な話でもあった。その気持ちを察した周りの人々が源氏に、
「按察大納言が、外夫人の娘を差し出すというのであるから、良清朝臣が大切なまな娘を差し出すのは、何の恥ずかしいことがある」
と言い含められるし、惟光も五節祭りの後は、そのまま舞姫は宮仕えをすることになるので、娘にとって宮中の女官になることは名誉なことと考えていた。
選ばれた五節の舞姫達の練習は、それぞれの屋敷でして十分に仕上げて、介添役や親しく身近に添う女房などを、丹念に人選して、舞の当日の夕方源氏の屋敷の二条院に集まった。。
源氏の屋敷でも、それぞれ舞姫達にさらに童女や下働きの者が必要であるので、屋敷内の優れている者を比べて選び出しが行われ選ばれた者たちの気分は、その役どころそれぞれたいそう誇らしげである。
集まった舞姫、源氏の屋敷内で選ばれた者、帝の前で舞をお見せする前に、源氏の前を通らせて最終選考をしてみようと決めた。ところが誰一人落第する者もいないくらいに、それぞれ素晴らしい姿かたち、器量であるので源氏はこまってしまって、
「もう一人舞姫を増やしてもらいたいものだね」
などと言って、わずかな態度や心構えの違いによって最終決定をした。
夕霧は、雲居雁との恋を無理に割かれて、悲しみで胸が一杯、食事も喉を通らない、ひどくふさぎこんで、学問の方も手につかず、漢籍を読むどころではない。少しふてくされて横になっていたが、気分を紛らそうかと外出して、人目につかないようにこっそりと歩いた。
彼の姿形や顔つきが立派で美しく、その上性格的に落ち着いて優美であるので、若い女房などは、とても素晴らしいあこがれの男性と見ていた。
二条院の寝殿東の対に居住する源氏の正妻である紫の上の前には夕霧は、御簾の前近くに出ることさえさせず、近寄らせないように源氏は言いつけてあった。源氏は自分の性癖から藤壺と関係したことを今でも気にしているので、夕霧ももしかすると紫とそのような関係になりはしまいかと考えたのであろうか、紫が夕霧の継母とはいえ他人行儀な扱いをするようにしていた。紫付きの女房なども主人の考えに従って夕霧には疎遠なのであるが、今日は源氏が差し出した惟光の娘のことで混雑していて夕霧はその隙に東の対には入り込んだ。
東の対では踊り疲れて帰ってきた舞姫の惟光の娘を車から注意深く下ろして、妻戸の間に屏風などを立てて、臨時の部屋を作ってそこに舞姫を休ませていた。夕霧はそっと近寄って几帳の隙間から覗いてみると、女が疲れて苦しそうに物に寄りかかっていた。
よく見ると、雲居雁と同じ年頃に見えて、比べると少し背丈がすらっとしていて、物に寄りかかっている姿つきなどが一段と艶めかしく、美貌の点では雲居雁より勝ってさえ見える。暗いので、はっきりとは見えないが、灯火に映し出される全体の姿はたいそうよく似ているので、彼の気持ちが雲居雁から離れるというのではないが、男の気持ちが高ぶるのを抑えかねて、几帳の外にはみ出している女の裾を引いてさらさらと音を立ててみると、女はどうしたのか分からず、変だなと思っていると、
夕霧は、
天にます豊岡姫の宮人も
わが心ざすしめを忘るな
(天にいらっしゃる豊岡姫に仕える宮人も、わたしのものと思う気持ちを忘れないでください)
ずっと昔から思い染めてきましたのですから」
と言ってしまってあまりにも唐突すぎると思うのであった。
夕霧の声を聞いた舞姫はその声が若々しく美しい声であるが、誰とも分からず、薄気味悪く思っていた。そこへ、化粧を直そうとして、騒ぎながら女房達がやってきたので、夕霧は見つかってはまずいと思ってその場を立ち去った。いい女だったのにと残念な気がしていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半 作家名:陽高慈雨