私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半
夕霧は好きな雲居雁に「もしやちょっとした隙でもありやしないか」と、最近は頻繁に内大臣の屋敷に帰ってくる、幼少より育った家であるので彼にとっては自分の家に帰ることであるし、自分の部屋もあった。内大臣の牛車があるので、伯父の来ていることが分かると、彼はそれでも気がとがめて具合悪いので、こっそり隠れるようにして自分の部屋に入った。
内大臣の子供たち、左近少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などに任官している人々も、今日はここに集まっているのであるが、母親の大宮は御簾の内に入ることは許さなかった。
内大臣と異母兄弟である左兵衛督、権中納言なども、故太政大臣の威光で現職に就けたので、今でも大宮の前に訪れてはいろいろと手助けをしている、その子どもたちもここにしょちゅう訪れるのであるが、夕霧のような美貌の男はいなかった。
大宮は雲居雁が可愛くて、この上ない愛情を注いでいつも側に置いてかわいがって世話をしていたのであったが、今回の夕霧との問題で内大臣の屋敷に移ってしまうことになったのをとても寂しく思っていた。 内大臣殿は、
「これから内裏に帝のご機嫌伺いに参って、夕方に姫を迎えに参りましょう」
と言って、出かけていった。内大臣は、
「今さら言っても始まらないことだが、二人の仲を許してやろうか」
と思うのであるが、やはりやはり胸が悪いので、「夕霧の身分がもう少し上になった時に、その地位が満足なものであれば、その時に、二人の愛情の深さを見定めて、許すにしても、正式な結婚という世間に対して形式を踏んで婿として迎えよう。厳しく言っても、一緒にいては、子どものことだから、今はどうあるとも男女の関係から妊娠でもすれば見苦しいことである。この度の私の処置を母上も、まさかむやみにお諌めになることはあるまい」
と思い、宮中から引き取った弘徽殿が淋しくしているので、すぐに雲居雁を自分の屋敷に連れ帰るのであった。。
大宮は自分の前から姿を消し息子の館に移っていった雲居雁に文を送った。
「父君は、この度のことで私を恨んでおいでになることでしょうが、貴女には私の気持ちが分かっていただけることだと思っています。たまにはこちらにお出でになってお顔をお見せください」
と折り返すように本人が、とても美しく装束を着て訪問してきた。十四歳になるのでもう立派な女である。しかし彼女の性格がおっとりしているので十分に十四歳の女とは見えない、それでもしとやかで美しい容姿をしていた。
「貴女をいままで側に置いてお離ししなかったのは、独り身の私が淋しくて貴女を明け暮れの話相手としておりましたのに、離れてしまってとても寂しいことです。私は残り少ない晩年です、貴女が将来どのようになって行くのかを見届けることができない、寿命と言えばそれまでのことですが、まだ元気なうちから私を見捨てて移りになる先が、お父君のお屋敷でと思うと、あなたが継母に育てられるのがとても不憫でなりません」
と言って雲居雁が可愛そうと泣くのである。彼女はこのような事態になったのは、夕霧との恋愛が原因であることを知っているので、自分の行動恥ずかしいと思い、顔をあげて祖母の顔を見ることも出来なくて、ただ泣いてばかりいる。そこへ夕霧の御乳母、宰相の君が入ってきて、
「同じ心でお二人様に仕えようと思っていましたが、残念にもこのように内大臣様の屋敷にお移りになることとは。内大臣のお父上の君がなにかを別にお考えになる事がありましょうとも、姫様そのように自分をお責めになることはなさいませんように」
などと、雲居雁の耳元でひそひそと申し上げると、彼女はいっそう恥ずかしくなって、黙っていた。それを見て大宮は、
「もうこの上いろいろなことは言わないで、ますます心が乱れます。人の運命はそれぞれで、とても先のことは分からないものです」
と姫を慰める。宰相の女房は黙っていない、
「いえいえ、内大臣様は私の主人夕霧様を一人前でないと侮っておられるのでしょう。今は勉学の身で六位で甘んじておられますが、わたくしどもの若君夕霧様が人にお劣り申していらっしゃるかどうか、どなたにでもお聞き合わせくださいませ」
と、今回の内大臣の処置が癪にさわるのにまかせて言葉強く言う。
夕霧は、陰に隠れて大宮、雲居雁が対面しているのを見ていた。話を聞いていると、とても心細くて、涙を拭いながらじっと様子を見ているのを、乳母の宰相がそんな夕霧がとても気の毒で、大宮の前に参上していろいろとご相談して、夕暮時の人の出入りが激しいときに紛れて、二人の若い恋人達を対面させた。
いろいろと事沙汰されているのを知っている二人は、互いに何となく恥ずかしく、久しぶりの逢瀬のような気持ちがして胸がどきどきし、何も言わないでただ泣いているだけであった。
「内大臣の怒られるお気持ちがとてもつらいので、いっそこのまま諦めようと思いますが、それでも貴女が恋しくてたまらないです。どうして、一緒にこの屋敷過ごし、いつでも会うことが出来たときに、もっとお会いすれば良かった」
と夕霧が言うと、雲居雁も、
「わたしも、あなたと同じ思いです」
と言って二人は抱き合って頬を寄せ合って動かない。
「わたしを愛していますか」
と耳元で夕霧が囁くと、雲居雁はちょっとうなずき体を強く寄せて気持ちを伝えようとする、若い男女の恋である。
夕方深くなった、そこかしこの灯火を点け始める。女房達が灯火を持って忙しく動く中に内大臣が帰還する先駆けの声が聞こえてきた。宮中から退出して来た様子である、先払いする声に、女房たちが、
「それそれ、殿のお帰りだ」
などと騒がしく動き回る。そのような中で雲居雁は恐ろしく体が震えてきた。夕霧は内大臣がどう言おうとかまわないと、男の一途な気持ちで姫を離そうとしない。雲居雁の乳母が姫を捜してやってきて二人の姿を見ると、
「まあ、お二人なんということを、いやだわ。なるほど、大宮は御存知ないことではなかったのだわ」
と間近に二人の愛し合う姿を見て、又自分が殿からお叱りを受けると思うと恨めしくなって、
「何という情けない姿で、どうしょうもありませんね。内大臣の殿がお叱りになるのは当然のことで、母様のご主人大納言様もこのことをお聞きになったらどうお考えになることでしょう。男の方が美しく学のあるお方であっても、雲居雁様の恋する相手が六位風情の位の低いお方では」
と、二人を隠す屏風の後ろから、わざと聞こえるようにつぶやいている。
夕霧は、「自分のことを位がないと軽蔑しているのだ」と思うと抱きしめている女との愛情も少しさめる感じがして、許しがたい。
「姫よ、よく聞いてください。
くれなゐの涙に深き袖の色を
浅緑にや言ひしをるべき
(真っ赤な血の涙を流して恋い慕っているわたしを、浅緑の袖の色だと言ってけなしてよいものでしょうか)
位が低いのは恥ずかしい」
と雲居雁に歌で自分の気持ちを伝えると、
いろいろに身の憂きほどの知らるるは
いかに染めける中の衣ぞ
(色々とわが身の不運が思い知らされますのはどのような因縁の二人なのでしょう)
内大臣の子供たち、左近少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などに任官している人々も、今日はここに集まっているのであるが、母親の大宮は御簾の内に入ることは許さなかった。
内大臣と異母兄弟である左兵衛督、権中納言なども、故太政大臣の威光で現職に就けたので、今でも大宮の前に訪れてはいろいろと手助けをしている、その子どもたちもここにしょちゅう訪れるのであるが、夕霧のような美貌の男はいなかった。
大宮は雲居雁が可愛くて、この上ない愛情を注いでいつも側に置いてかわいがって世話をしていたのであったが、今回の夕霧との問題で内大臣の屋敷に移ってしまうことになったのをとても寂しく思っていた。 内大臣殿は、
「これから内裏に帝のご機嫌伺いに参って、夕方に姫を迎えに参りましょう」
と言って、出かけていった。内大臣は、
「今さら言っても始まらないことだが、二人の仲を許してやろうか」
と思うのであるが、やはりやはり胸が悪いので、「夕霧の身分がもう少し上になった時に、その地位が満足なものであれば、その時に、二人の愛情の深さを見定めて、許すにしても、正式な結婚という世間に対して形式を踏んで婿として迎えよう。厳しく言っても、一緒にいては、子どものことだから、今はどうあるとも男女の関係から妊娠でもすれば見苦しいことである。この度の私の処置を母上も、まさかむやみにお諌めになることはあるまい」
と思い、宮中から引き取った弘徽殿が淋しくしているので、すぐに雲居雁を自分の屋敷に連れ帰るのであった。。
大宮は自分の前から姿を消し息子の館に移っていった雲居雁に文を送った。
「父君は、この度のことで私を恨んでおいでになることでしょうが、貴女には私の気持ちが分かっていただけることだと思っています。たまにはこちらにお出でになってお顔をお見せください」
と折り返すように本人が、とても美しく装束を着て訪問してきた。十四歳になるのでもう立派な女である。しかし彼女の性格がおっとりしているので十分に十四歳の女とは見えない、それでもしとやかで美しい容姿をしていた。
「貴女をいままで側に置いてお離ししなかったのは、独り身の私が淋しくて貴女を明け暮れの話相手としておりましたのに、離れてしまってとても寂しいことです。私は残り少ない晩年です、貴女が将来どのようになって行くのかを見届けることができない、寿命と言えばそれまでのことですが、まだ元気なうちから私を見捨てて移りになる先が、お父君のお屋敷でと思うと、あなたが継母に育てられるのがとても不憫でなりません」
と言って雲居雁が可愛そうと泣くのである。彼女はこのような事態になったのは、夕霧との恋愛が原因であることを知っているので、自分の行動恥ずかしいと思い、顔をあげて祖母の顔を見ることも出来なくて、ただ泣いてばかりいる。そこへ夕霧の御乳母、宰相の君が入ってきて、
「同じ心でお二人様に仕えようと思っていましたが、残念にもこのように内大臣様の屋敷にお移りになることとは。内大臣のお父上の君がなにかを別にお考えになる事がありましょうとも、姫様そのように自分をお責めになることはなさいませんように」
などと、雲居雁の耳元でひそひそと申し上げると、彼女はいっそう恥ずかしくなって、黙っていた。それを見て大宮は、
「もうこの上いろいろなことは言わないで、ますます心が乱れます。人の運命はそれぞれで、とても先のことは分からないものです」
と姫を慰める。宰相の女房は黙っていない、
「いえいえ、内大臣様は私の主人夕霧様を一人前でないと侮っておられるのでしょう。今は勉学の身で六位で甘んじておられますが、わたくしどもの若君夕霧様が人にお劣り申していらっしゃるかどうか、どなたにでもお聞き合わせくださいませ」
と、今回の内大臣の処置が癪にさわるのにまかせて言葉強く言う。
夕霧は、陰に隠れて大宮、雲居雁が対面しているのを見ていた。話を聞いていると、とても心細くて、涙を拭いながらじっと様子を見ているのを、乳母の宰相がそんな夕霧がとても気の毒で、大宮の前に参上していろいろとご相談して、夕暮時の人の出入りが激しいときに紛れて、二人の若い恋人達を対面させた。
いろいろと事沙汰されているのを知っている二人は、互いに何となく恥ずかしく、久しぶりの逢瀬のような気持ちがして胸がどきどきし、何も言わないでただ泣いているだけであった。
「内大臣の怒られるお気持ちがとてもつらいので、いっそこのまま諦めようと思いますが、それでも貴女が恋しくてたまらないです。どうして、一緒にこの屋敷過ごし、いつでも会うことが出来たときに、もっとお会いすれば良かった」
と夕霧が言うと、雲居雁も、
「わたしも、あなたと同じ思いです」
と言って二人は抱き合って頬を寄せ合って動かない。
「わたしを愛していますか」
と耳元で夕霧が囁くと、雲居雁はちょっとうなずき体を強く寄せて気持ちを伝えようとする、若い男女の恋である。
夕方深くなった、そこかしこの灯火を点け始める。女房達が灯火を持って忙しく動く中に内大臣が帰還する先駆けの声が聞こえてきた。宮中から退出して来た様子である、先払いする声に、女房たちが、
「それそれ、殿のお帰りだ」
などと騒がしく動き回る。そのような中で雲居雁は恐ろしく体が震えてきた。夕霧は内大臣がどう言おうとかまわないと、男の一途な気持ちで姫を離そうとしない。雲居雁の乳母が姫を捜してやってきて二人の姿を見ると、
「まあ、お二人なんということを、いやだわ。なるほど、大宮は御存知ないことではなかったのだわ」
と間近に二人の愛し合う姿を見て、又自分が殿からお叱りを受けると思うと恨めしくなって、
「何という情けない姿で、どうしょうもありませんね。内大臣の殿がお叱りになるのは当然のことで、母様のご主人大納言様もこのことをお聞きになったらどうお考えになることでしょう。男の方が美しく学のあるお方であっても、雲居雁様の恋する相手が六位風情の位の低いお方では」
と、二人を隠す屏風の後ろから、わざと聞こえるようにつぶやいている。
夕霧は、「自分のことを位がないと軽蔑しているのだ」と思うと抱きしめている女との愛情も少しさめる感じがして、許しがたい。
「姫よ、よく聞いてください。
くれなゐの涙に深き袖の色を
浅緑にや言ひしをるべき
(真っ赤な血の涙を流して恋い慕っているわたしを、浅緑の袖の色だと言ってけなしてよいものでしょうか)
位が低いのは恥ずかしい」
と雲居雁に歌で自分の気持ちを伝えると、
いろいろに身の憂きほどの知らるるは
いかに染めける中の衣ぞ
(色々とわが身の不運が思い知らされますのはどのような因縁の二人なのでしょう)
作品名:私の読む「源氏物語」ー31-乙 女後半 作家名:陽高慈雨