私の読む「源氏物語」ー30-乙 女
と、大宮は自分の愛情が夕霧に傾くせいからであろうか、彼女もまた内大臣を恨めしく思うのである。もしもこの気持ちが息子の内大臣に知れたならば、さらに憤ることであろう。
雲居雁との仲が内大臣の屋敷中でこのように大騷ぎになっていることを知らない夕霧は大宮を訪れてきた。彼は何か大宮に言いたいことがあったのであろうが先夜は人目が多くて、思っていることを大宮に話すことが出来なかったので、自分の夕霧に対する思いをゆっくりと話したいので、夕方の頃合いを見計らって訪ねてきたのであろう。
大宮は、いつもは大事にしている孫が来訪すると喜びをいっぱいに表して孫の話を聞くのであるが、今夜はそのようなことなく真面目な顔つきで夕霧に、
「あなたのことで、伯父様の内大臣殿がとても悩んでいることを知り、伯父様がとても気の毒でならないのです。貴方と雲居雁が従妹同士で恋し合っていると人に感心されないことをなさって、わたしに心配をかけないようにしてください。伯父様が二人の仲を知って大変立腹していることを耳に入れまいと思いましたが、何も知らないで今まで通りに過ごすことは出来まいと思いまして貴方にご注意します。」
と夕霧に言うと、夕霧も少しは心配していたのであろう、すぐに気がつき顔を赤くして、それでも言い訳がましく祖母の大宮に、
「どのようなことでしょうか。私は東院の一部屋に籠もりまして以来、訪ねてくる人もなく人と交際する機会もないので、私のことでお恨みを受けるようなことはないと存じておりますが」
と言って、とても恥ずかしがっている様子を、かわいくも気の毒に思って大宮は、
「そうですか。せめて今からはご注意なさい」
とだけ言ってその後は、他の話をし出し、二人の恋騒ぎのことは口にしなかった。
夕霧は十二歳、雲居雁は八歳。夕霧は、
「これから先、文を送るのも一段と難しくなるであろう」と大宮から受けた注意と内大臣の怒りとを考えると、とても雲居雁と連絡が取ることが出来ないと、食事も喉を通らない状態、床に伏しては見るが、心も体も落ち着かず、人が寝静まったころに、隣の部屋の雲居雁の所に忍ぼうと中障子を開けようと引いてみたが、いつもは特に錠など下ろしていないのに、内大臣の指示か夕霧が夜這いにでも出はしないかと固く錠がしてあって開けることが出来ない、いつもならば自分付きの女房達がしゃべる声も聞こえない。物音一つしない実に心細く思われて、障子に寄りかかっていると、同じ頃に雲居雁も目を覚まして、和漢朗詠集の夏の夜、白氏文集に「風生竹夜窓間臥 月照松時臺上行」のように風の音が竹に待ち迎えられて、さらさらと音を立てると、雁が鳴きながら飛んで行く声が、かすかに聞こえるので、幼い雲居雁も、あれこれと思い心が落ち着かないのであろう、
「雲の上を飛ぶ雲居の雁も、わたしのように下が見えずに迷っているのであろうか」
と、独り言を言う、若々しくかわいらしい。
夕霧はその声を聞いて何となく不安になって、
「ここを、お開け下さい。小侍従はおりますか」
と乳母の子供である童女を呼ぶが、返事がない。雲居雁は独り言を言ったのが恥ずかしくて、しとねに掛けた表着に顔を隠すのであったが、完全に彼女は夕霧に恋をしている。乳母たちが彼女の居間の近くに臥せっていて、主人に起きていることに気づかれるのもつらいので、お互いに音を立てないようにしていた。
さ夜中に友呼びわたる雁が音に
うたて吹ひ添ふ荻の上風
(真夜中に友を呼びながら飛んでいく雁の声に、さらに悲しく吹き加わる荻の上を吹く風よ)
夕霧は「吹きくれば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな。古今六帖の歌に詠われているように、身にしみて感じられることだ」と思い続けて、大宮の御前近くの寝所に帰って嘆いていたが、
「私のがっかりした声が大宮に聞こえはしないだろうか」
と心配して、もじもじしながら臥せった。
翌朝何となく恥ずかしい気がして夕霧は、自分の部屋に早く帰って雲居雁に手紙を書いたのであったが、自分をみんなが避けているのか小侍従にも会うことができず、また彼女の部屋に行くことも遮られていて、どうしようもなく心が静まらずにいらいらしていた。
雲居雁もまた、夕霧とのことで騒がれたことだけが娘心に恥ずかしくて、
「自分の身はどうなるのだろう、世間の人はどのように思うだろう」と言う大人のかんがえには及びもつかない、美しくかわいらしくて、みんなが噂していることにも、全く無関心であった。
また彼女は、二人の間がこのように騒がれほどのことではないと思っていたのを、お付きの女房達の重だった人が言葉強くた注意するので、夕霧と文通をすることも出来なかった。二人がそれ相応の大人であったら、如何なる方法でも考えて機会を作るであろうが、男の夕霧も元服したとはいえまだ幼いところがあって、どうすることも出来ないでただ手をこまねいているばかりであった。
内大臣は、母親の大宮に娘の雲居雁と源氏の息子夕霧との問題を大宮の育て方が間違っていたのが原因と文句を言って以来大宮の前の姿を見せなかった。内大臣の北の方は元の右大臣の四の君で、妻には雲居雁と夕霧との間に恋愛問題が噂になっているということを、一切言わず、ただ何かにつけて、とても不機嫌な様子をあらわにしていた。
「前斎宮女御でこの度后になられた秋好中宮は一度里邸に下がって、立后の宣命を受け、皇后としての威儀を整えて、あらためて宮中に入られたのに対して、わが娘弘徽殿女御が将来を悲嘆しているのが、可愛そうで胸が痛むので、里に退出させて、気楽に休ませて上げましょう。立后出来なかったとはいえ、帝のお側にずっと伺候して昼夜お勤めをしていれば、仕えている女房たちも気楽になれず、弘徽殿に気を遣ってばかりいて苦しそうですから」
と、急に弘徽殿女御を里に退出させた。
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それまで親しくしていた帝はなかなか許可をしなかったが、内大臣が無理に頼み込んだので、帝もしぶしぶお許しになったので、弘徽殿女御は思いを残しながらも気持ちを改めて宮中から離れた。内大臣は自邸に娘を迎えて、
「ここでは退屈でしょうから、祖母様の大宮の所から雲居雁をこちらに呼んで、一緒に遊びなどなさい。大宮の所に雲居雁が居ることは安心なのですが、あちらの女御は少し歳を取った小賢しい者が多くて、あの女房達の考えていることに染まっては、困る年頃に雲居雁はなったので」
と弘徽殿に言うと、急に雲居雁をこちらに引き取ってしまった。
可愛い孫娘を取られた大宮は、とても気落ちして、引き取りに現れた内大臣に、
「一人娘のあの葵が亡くなってから、とても寂しく心細い日を送っていましたが、うれしいことにこの雲居雁を預かることになって、これからの余生を姫の世話ができると思って、朝な夕なに、老後の淋しい心の慰めにしようと思っていましたが、ここにきて貴方が私を信用しないことになって、大変辛い思いをしています。」
などと言うと、息子は恐縮して、
「母君がこの度の私のやり方にご不満があることは、私がありのままのことを申し上げたことが原因でございましょう。私が母君を信用しないということは毛頭ございません。
作品名:私の読む「源氏物語」ー30-乙 女 作家名:陽高慈雨