私の読む「源氏物語」ー30-乙 女
二人の前で笙の琴を弾く雲居雁の様子が、とても子どもっぽくかわいらしくて、一心に箏の琴を左手で絃を揺するたびに彼女の髪が下り、髪の色艶が、とても上品で美しくしっとりとしているのをじっと見詰めていると、彼女は二人の視線を感じて恥ずかしく思って、少し横を向く、その横顔、その恰好がかわいらしげで、琴の弦を押さえる指が、非常にじょうずに作った人形の指のように細く、大宮も孫娘をこの上なくかわいいと思って見つめていた。そして琴の調子が少しずれてくると、孫の手から琴を取り、調子合わせのための小曲などを軽く弾いて雲居雁に、押しやり続けて演奏をさせた。
雲居雁の演奏が続くうちに内大臣も和琴を引き寄せ、調子を合わせる曲を若者向きの今風の曲でする。その道で名の通った内大臣が思いっきり今風の曲を奏でるのはたいそう興趣がある。庭の木から葉がほろほろと散っていくなかを内大臣の演奏が流れていくのを、古くから仕える老女房たちが、あちらこちらの几帳の後に、集まってうっとりと聞いていた。
「落葉、微風を俟ちて隕つ。而も風の力、蓋し寡し。孟嘗め、雍門に遭うて泣く。而も琴の感、已に未し」唐国の周から梁に至る千年間の文章・詩賦などを細目に分けて編纂した書、文選のなかの豪士賦を朗誦し、
「琴のせいではないが、不思議としみじみと落ち着いた夕べですね。もっと、弾きましょうよ」
と雅楽の一つである「秋風楽」に調子を整えて、唱歌する声がとても素晴らしいので、みなそれぞれに、内大臣も見事な演奏と綺麗に歌われると聞いている一同が思っているところへ、演奏会をいっそう盛り上げようというのか、源氏の息子で大宮の孫である夕霧が参上してきた。
「こちらに」と内大臣は甥である夕霧を大宮と雲居雁の居る几帳を隔てて招じ入れた。内大臣は演奏を止めて、太政大臣の息子であるので大臣は少し丁寧な言葉使いで
「なかなかお目にかかれませんね。どうしてこう、学問ばかりに打ち込んでいらっしゃるのです。自分の持つ学識が身分以上になるのもよくないことだと、お父上の大臣もご存知のはずですが、それでも貴方に学問を勧められるのは、何かお考えのことと私は思っているのですが、部屋に籠もりきりで勉学ばかりなさらないで少しはゆっくりなさいませ、お気の毒でございます」
と夕霧に話しかけさらに、
「時々は、別のことでもされてはいかがですか。笛の音色にも昔の学者の教えは伝わっているものです」
と夕霧に笛を差し出した。
夕霧は差し出された笛を若々しく美しい音色で吹くので、みんながうっとりと聞き惚れ、雲居雁達の琴はしばらく弾き止め、伯父の内大臣は拍子を軽く打ちにながら、夕霧の六位の浅葱の衣が早く昇進して色が改まるようにという気持ちをこめて催馬楽の更衣
「更衣せむや さきむだちや 我が衣は 野原篠原 萩が花摺りや さきむだちや 」
と歌い、
「貴方の父上も、このような管弦の遊びにご熱心で、いつも忙しいご政務から逃れるために気分を和らげようと管弦の宴を催されたものでした。一生をつまらなく送るよりも、自分の満足のゆくことをして、命を全うしたいものです。」
などと夕霧に語りかけ、杯を勧めているうちに、あたりが暗くなったので、燈火をつけて、お湯漬や果物などを、みんなして食事をするのであった。
雲居雁姫は夕霧と逢わないようにあちらの部屋に引き取らせた。つとめて二人の間を遠ざけ、
「琴の音も夕霧に聞かせないように」
と、今ではすっかり二人を引き離してしまった。
それを見て女房達は、
「お二人のあいだになにか不吉なことがおこるのではないでしょうか」
と、大宮づきの年輩女達は、ひそひそ話しているのであった。
内大臣は母の大宮に別れを告げて帰るふりをして実はかねてから体の関係がある女房に会うために、こっそりと女房のいる局の方に向かった。他の女房に見とがめられないようにこっそりと足音を立てないようにして歩いていると、。内大臣の居ることに気がつかない女房達のひそひそ話が聞こえてきた。じっと話し声を聞いていると彼女たちは自分のことを話しているではないか、
「内大臣になられて大層威厳があるように見えますが、人の親ですよ。いずれ、大変後悔なさることが起こるでしょう」
「子どものことを親は知り尽くしていると、嘘のようですね」
などと、こそこそと噂していた。聞いていた内大臣はこの噂は夕霧と雲居雁のことであると察して、
「あきれたことだ。やはりそうであったのか。思いよらないことではなかったが、子供だと思って油断しているうちに。こんなに噂をされるとは世の中は何といやなものである」
と、ことの子細をつぶさに了解し、音を立て内容に注意してその場を離れた。
前駆の大声が盛んに聞こえるので、ひそひそ話をしていた女房達は
「殿は、今お帰りあそばしたのだわ」
「どこに隠れていらっしゃったのかしら」
「今でもこんな浮気をなさるとは」
と言い合っている、
「あのすてきな香りは、夕霧の君がいらっしゃるのだとばかり思っていましたわ」
「まあ、いやだわ。殿は私たちの陰口をお聞きになったかしら。少し曲がったご気性だから」
と、皆は少し困っていた。
内大臣は、
「まったく問題にするような悪いことではないが、ありふれた従妹同志の結婚で、世間の人もきっと珍しくもないありふれた結婚だと取り沙汰するに違いない。源氏大臣が、強引に梅壺女御を后に据えられたことも癪なのに、何とかして雲居雁を后に向けて推薦すれば源氏が後見の梅壺に勝てることがあろうかも知れないと思っていたが、くやしいことだ」
と思うのである。源氏と内大臣の頭中将は仲は、普通のことでは昔も今もたいそう仲がよいのであるが、帝の后のことになると、お互いに張り合ったことを思い出し、おもしろくないので、内大臣は眠られずに夜を明かした。
「大宮だって、二人の様子は御存じであろうに、たいへんにかわいがっていらっしゃるお孫たちなので、好きなようにさせていらっしゃるのだろう」
と、女房たちが言っていた様子を、いまいましいと思うと、心が穏やかでなく、何事もきっぱりとしたい男らしい気性の内大臣は、気持ちを静めることが出来なかった。
娘の雲居雁や源氏の子供の夕霧らと琴や笛の管弦の遊びを母親の大宮の前で楽しみ、その帰りに女房達の噂話で夕霧と雲居雁との関係を知って驚きと怒りを感じてから二日ほどして、また大宮の元を訪れた。頻繁に大宮を訪問すると、大宮もとても嬉しくて気分よかった。夫の先の太政大臣を亡くされているので尼削ぎにしている髪に手入れをして、喪がとっくに過ぎているのできちんとした小袿などを着こんで、わが子ながらきっちりした考えの人なので、慣例として男女が直接顔を合わせることがないので親子とはいえ御簾ごしに横を向いて逢われた。
大臣は先日のこともあり機嫌が悪くて、
「こう再々こちらにお伺いするのも、女房たちがさぞかし乳離れしない情けない男のように見ていることでしょう、気がひけてしまいます。私は父上と違ってたいした者ではありませんが、生ある限り、常にお目にかかり、ご心配をかけることのないようにと存じております。
作品名:私の読む「源氏物語」ー30-乙 女 作家名:陽高慈雨