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私の読む「源氏物語」ー30-乙 女

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 と思って、自分が引き取り、母の大宮に預けて養育してもらっていた。娘の弘徽殿女御よりは期待もせずにずっと軽く扱ってはいたが、娘の性格や、器量など、とてもかわいらしかった。娘は雲居雁とよばれていた。

 六位で無官の夕霧の君は十二歳、従妹である雲居雁は八歳、亡き母親葵の生家であるかっての左大臣邸今は内大臣邸で祖母の大宮の許で育てられていた。しかし夕霧が十歳を過ぎてから後は、住む部屋を別にして、雲居雁は父親の内大臣から、
「夕霧はおまえの従兄であるがもう大人であるから男と女が一つの部屋で遊ぶようなことは慎むように、例え親しいと言っても男の子には気を許すものではありません」
 と、注意したので、今は夕霧とは離れて暮らすようになっていた。そうは言っても小さいときから共に育った中であるので、お互い慕わしく思うことはあたりまえのことで、綺麗な花が咲いた、紅葉が美しいからと共に眺めて楽しみ、また雛遊びの時には夕霧を招待したり、どうしても夕霧と雲居雁はつかず離れず熱心にくっついてまわって、親密な間柄であったので、女房達の前であっても抱き合ったりして深い情愛を交わし合うのが恥ずかしくも何ともなかった。
 お世話役の女房たちも、
「小さいときからご一緒にお育ちになった間柄でまだ子供のこと、長年親しくしていらっしゃったのを、急に引き離してしまうなんてとても出来ない」
 と思っている、幼い雲居雁は別に何とも思っていないが、十一歳になった夕霧は女房達から見るとほんに子供のようであったが、二人の関係は男と女の仲がどこまですすんでいたのか、離れ離れになってからは、二人のことが気になるのである。。
 まだまだ未熟な筆使いと文章であったが将来すばらしい方になると思われるかわいらしい筆跡で、雲居雁と書き交わした手紙が、気がつかなくて落としているのを、雲居雁の女房たちは、拾い読みして二人の関係をうすうす知っている者もいたのだが、「こんなに二人が愛し合っているのを」とても他言が出来ないと知っていながら隠していたのであった。

 源氏の太政大臣へ昇任と頭中将の内大臣への新任という目出度いことの披露宴があちらこちらで催され大層な賑わいであった大饗の宴もやっと終了して、たまたま宮中での用件もなく、内大臣はのんびりとしていた。外は時雨がさあっと降って、「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露」(秋の哀れはいつとは区別できないが、やはり夕暮れこそただならず身にしみる、萩の上葉に吹く風の音、萩の下枝におく露の珠など、もののあわれはこれらにきわまる)という清孝少将の歌のように、庭の荻の上風もしみじみと感じる夕暮に、内大臣の母である大宮の部屋に訪れて話すうちに音楽のことになり、大宮が音楽に造詣が深く自分も琴を弾くので、内大臣は娘の雲居雁を呼びよせて、琴を弾いて祖母に聞かせなさいと言う。大祖母の大宮が器楽が何でもうまく弾かれるので娘に教えてもらおうという彼の気持ちであった。大宮は喜んで自分の知識を孫娘の雲居雁に教え始めた。
「琵琶というものは、女性が弾くと見にくいように言われて誰もが手を出さないのであるが、演奏するといかにも達者な感じがするものです。しかし今の世に、演奏法を正しく伝えている人は、めったにいなくなってしまいました。何々親王、何々の源氏とかいう方がご上手でいらっしゃるそうですが。」
 などと雲居雁に数えになる。聞いていた息子の内大臣はふと思いついたように、
「そうです、源氏太政大臣が大堰の山里に囲われてる女の方が、巧みに琵琶を演奏されると聞いています。その方の父上が琵琶の名人と言われる血筋で父から娘へと教えられたものでしょうが、、なにしろ田舎生活を長年していた女が、どうして人が噂するように上手に弾けるでしょう。源氏の君があるとき、彼女はことの他琵琶の演奏が上手だとおっしゃったことがありました。和歌とか、漢詩とかの芸とは違って、音楽の才能は個人芸でなくやはり広くいろんな人と合奏をし、琴や笙などあれこれの楽器と調べを合わせて合奏することで、個人の腕もあがるものですから、独りで楽器を学んで、上手になったというのは珍しいことです」
 などとおっしゃって、母の大宮に琴の演奏をお促し申し上げになると、
「しばらく琴柱を押さえたことがありませんが、」
 とおっしゃったが、さすがに名手と言われた人である美しく演奏して雲居雁に聞かせた。大宮は演奏を終えて、
「源氏の君はご幸運な上に、さらにやはり不思議なほど立派な方なのですね。今までに幾人もの女の方を外の夫人とされましたが、授からなかった女の子を山里の女に生ませてその娘を女の許においてみすぼらしくするでなく、手元に引き取りあの紫の上の養女になさり、れっきとしたお方がお育てになり、立派な姫に成長なさったと聞いています」
 などと、山里育ちの明石の娘のことをこのように息子に話すのであった。

 源氏と仲の良かった頭中将が内大臣となって、帝の添い寝女御として差し出した我が娘弘徽殿女御が、源氏の推す元伊勢の斎宮で源氏と関係が深かった六条御息所の娘梅壺女御に、帝の后となる騒動で敗れた悔しさが心の中に渦巻いていた。母親の大宮との話から出てきた源氏の外夫人明石のことで大宮に、
「女性は気立てしだいで、世間から重んじられるものでございますね」
 などと、女の身の上について話し出し、
「帝に差し上げました娘の弘徽殿の女御は、決して人に劣るような性質ではありません、文芸の面でも他の女には負けることはないと思っておりましたところ、思いがけない源氏が推す斎宮の宮に敗れてしまい、帝とは七歳も年上の后とは、この世は思うようには参らぬものと痛感いたしました。せめてこの雲居雁だけは、何とかして后になるようにしたいものですが、東宮の御元服も近いうちにおこなわれることでしょうし、ひそかに期待しているのですが、あのような幸運を持った源氏の外夫人である明石から生まれ、二条邸に引き取られて紫の上からしっかりと学芸作法を教え込まれた后候補者が、また後から追いついてきました。あの姫が入内なさったら、対抗できる姫はいないのではないでしょうか」
 と母の大宮に向かって内大臣は愚痴をこぼすと、
大宮は、
「どうしてそう弱気に考えるのですか。我が家筋から后が出ないで終わってしまうということが、どうしてありましょうか。亡くなられた父上も、このたび帝のお后をお決めになるのにも、弘徽殿女御のことを、熱心に奔走なさったのでしたが、生きていらっしゃったならば、今回のように他の家筋から后が上がるというようなことはなかったと思いますよ」
 と息子を慰めながら、今回の后選びのことで、太政大臣の威厳を示して強硬に后を決めた源氏を恨めしく思った。